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トップ > ねた > ねた - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月4日 5時)
どうどうめぐり な はなし
昨日は、ココログがメンテナンスに入っていたので、更新が滞りました。午後からは更新できたはずだったのですが、午後からは、今度はこちらの身が空いておりませんでした。 ▽ 気がつけばもう12月。もうじき明細書等の記載様式が変わるとあって、あちこちで準備が大変。私も個人的に作成してあるひな形を新様式に対応させる作業をしたりと、ここのところ、細かな作業に時間を取られることが多い。そうは言っても面白そうな講演というのは、やっぱり逃せないわけで… ■ 先日、都内某所で、例の Bilski 判決についてのささやかな講演が行われた。 講演の内容はなかなか考えさせる内容で、ちょっと面白かったので、その面白かったあたりをツツいてみたいと思った。 ご存じの通り、Bilski 判決は、米国の特許法101条に関わるものである。35 U.S.C. 101Whoever invents or discovers any new and useful process, machine, manufacture, or composition of matter, or any new and useful improvement thereof, may obtain a patent therefor, subject to the conditions and requirements of this title. Machine や、Manufacture 等は実体があるので、問題は少ないのだけれど、ここで Process というのがあって、つまりはどのようなプロセス・クレイムがこの 101 条所定の、特許の対象となり得るかについては過去に争いもあったということだ。具体的な歴史的経緯としては、最高裁まで争われた事件(Benson, 409 U.S. at 70)があって、ここで、[t]ransformation and reduction of an article 'to a different state or thing' is the clue to the patentability of a process claim that does not include particular machines[私訳]対象を、「異なる状態または物」に変換、ないし変形させることが、特定の機械を含まないプロセス・クレイムの特許性の鍵となるなどと言われてしまっていた。 ■ 翻って、特許の対象を定める日本の特許法の条文はどこにあるか、というと、□ 2条1項 (この法律で発明とは)自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。□ 29条1項柱書 産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。というあたりであろう。日本の法律の場合、「発明」をわざわざ法律で定義し、その定義に当てはまる「法上の発明」のうち特許の対象たりえる部分を規定する。 これらの規定には、発明のカテゴリについて、プロセスだの何だのということは書かれていないが、2条3項の実施規定に、「物の発明」、「方法の発明」、「物の生産方法の発明」があることから、「物」、「方法」、「生産方法」のカテゴリが想定されているとみていいのだろう。 ちなみに「プログラム」は、「物」の一態様という位置づけになっている(2条3項1号括弧書き)。そのうえ、我が国の特許法は欲張りだから、プログラムの定義まで含められている。□ 2条4項(括弧書き抜粋) (プログラムとは)電子計算機に対する指令であつて、一の結果を得ることができるように組み合わされたもの あ、いや、とにかく日本ではこれだけの規定はありながら、どのカテゴリに属するかということで特許の対象となるかどうかが議論となることはあまりないように思う。むしろ日本で特許の対象たり得るかどうかの議論は、上に書き出した2条1項か、29条1項柱書の要件に基づく。例えば、「自然法則の利用」、「産業上の利用性」といったところが問題になるわけだ。 ■ つまり、自然法則に反するものが権利にならない理由として、米国では useful でない(「使えない」)ことを理由に(Adelman, Rader, Klancnik, "Patent Law in a nut shell", Thomson West(2008)、p.69 )、日本では自然法則を利用していないことを理由に、それぞれ特許の対象としないわけで、結論としては同じであっても、両国の考え方には相違があるように思う。 同じように、Benson 事件でいうプロセス・クレイムの特許性の議論が、我が国の特許法の構成にそのまま当てはまるわけではない。 このあたりは、特許制度の設けられている理由もさることながら、各国の産業政策上の思惑というものがたぶんに影響しているのではないかと、そんな風に感じている。 ■ さて、問題の Bilski 事件であるが、2006年7月に言い渡された米国最高裁の判決の影響が色濃いという。この事件、Labcorp v. Metabolite Laboratories, Inc (548 U.S. (2006))において、最高裁判所は、CAFC の "Useful, Concrete, and Tangible result" テストについて、But this Court has never made such a statement[私訳]当裁判所は、そんなことを言ってはおらんと述べているのである。CAFC としては、この判決を意識しないわけにいかず、今回の Bilski 事件の判決となった、というわけである。 しかしながら、今回の講義で知ったところによると、CAFC で、"Useful, Concrete, and Tangible result"テストが develop されたのは、他でもない、かの Benson 事件の「テスト」である、machine-or-transformation というテストが奏功しなかったからであったらしい。 なんか、「どうどうめぐり」?? また、この"Useful, Concrete, and Tangible result"テストを develop したのは、かの Rich 判事であったということであった。 ■ 私としては、この話に強く興味をそそられた。machine-or-transformation から "Useful, Concrete, and Tangible result"テストを導いた Rich 判事の考えはどのようなものだったのか。そしてそれは日本の法律にも共通して適用可能な考え方だったのかどうか。 途中に挿入して書いたように、日本の法制と米国の法制とは制度の思想からして異なるところが多いものだが、どうも、以前に米国の103条の成立過程と、日本の29条2項の成立過程とを並列して追跡して以来、なにがしか似たようなところがないだろうかと気になって仕方がないのである。 そんなことを気にして何になる、と言われると、返す言葉はあまりないのだが、まぁ、「そこに山があるから」登ってみたい気になった、というだけのことである。 それにしても Rich 判事の残した資料みたいなものが、どこかにあるものだろうか---。
作者: ntakei
更新日:2008年12月3日 17時25分
乱読日記[109]
村上陽一郎 「安全学」 安全学posted with amazlet at 08.12.02 村上 陽一郎 青土社 売り上げランキング: 107996 おすすめ度の平均: 安全工学ではない安全学という視点は少しは分かりますが。 著者の言う安全学の道は険しく遠い 学際的分野の新天地開拓に混迷さを感じさせる 散漫な印象 安全は学となるのか Amazon.co.jp で詳細を見る コンピュータを扱う上での安全というと、バックアップ、あるいはミラーリングということになろうか。先日、弊所でファイルサーバとして稼働させていたコンピュータが電源部の異常で突然ダウンしたのであるが、内蔵のハードディスクを取りだして外付けディスクに改装し、事なきを得た。むろん、前日分までのバックアップは作成してあったから、仮にディスクが飛んでいたとしても問題はなかったのだが、ハードディスクに異常がなかったことで、対処はだいぶんラクになった。 ▽ 近頃では CD-R や DVD-R といったメディアがかなり安価なので、バックアップの作成はラクになったし、また中小企業であっても、複数のコンピュータがあったりするから、必要なデータは日々 CD-R にでも焼いていってしまえば、コンピュータが一台くらいダメになっても、他のコンピュータでデータを読み出せばよい。 ※まぁた、「公開」されてませんでした。モバイルで更新作業するのはダメかも知れない。■ しかし従来はそうもいかず、たとえフロッピーディスクにバックアップを作成してあったとしても、ハードディスクが故障したといって、このバックアップディスクに安易に手を出すと危険だったりした。というのは、故障の如何によっては、ディスクドライブもまた故障に巻き込まれているかも知れないからである。健全に動作している他のコンピュータがないとすると、最初の一回はバックアップディスクに命運を託すしかない。仮にディスクドライブごと壊れていたとして、バックアップディスクの内容が読めなかったとすると、どうだろうか。 バックアップディスクの破損とみるか、ディスクドライブの異常とみるか。 ■ なら、2枚バックアップしておけばいいじゃない、という話がある。1枚目のバックアップディスクも2枚目のバックアップディスクも読めないのなら、ディスクドライブの故障を疑うんだ、というわけだ。 ただし、あまり頭を使わないでいると、「あれー? 2枚とも壊れたー」といって、3枚目のディスクも、壊れたディスクドライブへ直行、というユーザもいないとは限らず、そういう意味では何枚バックアップがあったとしても、確実なバックアップだとはいえない。 ■ この問題の根源は、バックアップディスクが読めない原因を探求することが欠けていることであり、もっと遡れば、最初のハードディスクの故障の原因を探すことが欠けていることである。 最初に、ハードディスク自体に異常があるのか、それともコンピュータのシステム側に異常があるのかを確認しておけば、また、フロッピーディスクドライブの故障の有無を確認して、バックアップディスクが読めない原因を理解していれば、何枚ものバックアップディスクを「死の行進」に送り出す(この表現はすこし大げさかもしれない。故障したディスクドライブに突っ込んだからといって、メディア自体が必ずしも壊れるわけではないから)ことはなくなる。 ■ …というようなことを、本書では言いたいのかなぁ、と思った、のである(前置きがやたら長くなってしまった)。 いや、本書で村上先生が言っていることはもっとあるのであるが、そのうちの一つとして、私が特に共鳴できるのはこの辺の趣旨だったというわけである。 例えば車が人を轢くというような交通事故が起きて、轢かれた人が亡くなると、それは確かに車の運転者側の責任というのもないわけではないんだけど、日本の道路交通法というのは、運転者の責任を極端に高く評価していると感じる側面がある。 当然、飲酒運転は論外として、見通しのとても悪い道路で、何度も同じような事故が発生しているとして、当該事故の責任を、各事故の各運転者に押しつけておけばそれでいいのだろうか。 ■ この問題は、「誰のせい」かを厳しく追及して、誰かが辞任したり処罰されたり自殺でもすればそれで問題は終わったというような意識が浸透しているからではないか、それでは真の安全は図られないのではないか、と村上先生は述べているように思う。それについては私も同調する。 ただ、損害賠償の問題があるから、ある程度、責任の問題を追及せざるを得ないのは仕方ないのであり、そればかりになる(あるいはそればかりを煽る)報道なりの姿勢が批判されるべきなんじゃないかなぁ(あれ、私も「誰のせい」論を展開している?)。 ■ 村上先生は、医療の過誤などについても安全がどのように図られるべきであるかを考察したりしている。また、この本が安全「学」であることの理由を説明したりしている。それぞれに論旨は理解できるのであるが、この本が少々古い本であるせいか、必ずしもそのまま肯定しがたい部分もある。 ただ、村上先生は、私の大学時代の「科学哲学」や「科学史」の担当教授だったのだが、先生の授業は私にとっては難解であった。そしていま、この本を読んでいても、やっぱりその「難解さ」を感じて、正しく読めているかどうかに自信がもてない。そういうことからすると、単に私が先生の真意を理解できていないだけなのかも知れない。
作者: ntakei
更新日:2008年12月2日 4時36分
なんとなく商標からみの むだばなし
新幹線の0系での運行が、通常ダイヤの上から消えるというので、昨日の岡山駅は大変だったようだ。自分自身の記憶でいえば、あの新幹線0系は、確かに子供のころの昭和の象徴みたいなもので、確か家には、「新幹線のうた」なるもののソノシート(この「ソノシート」ってやつからしてご存じの方が、どれだけおられるかしらん)があったような覚えがある。 ▽ iTunes Store は、ヘンなものも時々扱っているからもしや、と探してみたが、そうですか。最近の新幹線のうたは、少し前にはやった「体操のおにいさん」の歌なんですか。 しかし、iTunes Store は、やっぱり「ヘン」で、小田急のこんな歌を置いていたり。[小田急ピポーの電車 (歌:ザ・ピーナッツ / ボニージャックス) ] 「小田急」の名を連呼したところで休符が入り、一拍待ってから「ピポピポー」というのが、なんか懐かしいというか…(ぎょぎょ。どうして聞いたことがあるんだろう??)。 ※ こんな私は別段鉄道マニア、というわけではありません。念のため。 ま、何にせよ、昨日には0系は終着駅の博多で、最後の仕事を終えたそうである。その期間44年。お疲れ様でした。■ という、私であるが、実をいうと九州へは行ったことがない。 酒の方面の話でいえば、焼酎の本場という印象があって、本場で飲んだらさぞかし旨かろうなぁという気持ちはあるのだが、仕事でもあれば別論、いまのところ行かれる予定もなくて…。■ その「九州発」ということで、新聞の伝えるところによると、いくつかの焼酎メーカーが自社商標を中国国内で、別人に取得されてしまっているという話である。 つまりは、中国人の誰か(この話の場合、権利者は個人らしいのであるが)が、日本での著名焼酎の商標を勝手に出願して、中国国内での商標権を取得していた、という話。 むろん、中国での販売を企図するのでなければ、放っておけばいいわけだけど、中国での販売を考えるときは、この商標登録が邪魔になる可能性がある。新聞が紹介している自衛策というのは、先手必勝というか、要するに中国での商標権の先取得なんであるが、著名商標が登録されている場合の対抗策というのもあるわけで---記憶によると、だいたい TRIPs 類似の制度だっと思うけど---、どうせ「対抗策」とか書くなら、そっちにももっと触れておいてくれればいいのに。 ■ なんてこった。人の商標をなんだと思っているんだ、などと思われる方も多いだろうが、しかしながら実のところ、私たちは、他人の商標権にどれだけ敏感でいるだろうか。我が国の国営放送(NHK)が、登録商標に敏感で、某幼児番組で、「キミの趣味は何かな?」と聞かれたボウズが、「プラモデル!」と声高に叫んだら、そのボウズの親が呼ばれて、「お子さんに、『プラスチックモデル』と言い換えて言って貰えませんか」とかいう話になったとか、ならなかったとか(プラモデルは、日本プラモデル工業協同組合の登録商標)。 いや、何となく普通名称化してしまってる商標という場合、それを商標権者の怠慢(商標管理の怠慢)という問題で片付けるのは簡単だけど、私たちも、結構、普通名称的に使っていないかなぁとか、ヘンな方向に頭が行ってしまって。 ■ 例えば、 セロテープ(商品の名称としては「セロファン粘着テープ」)、 フロッピーディスク(フレキシブル・ディスク)、 等はいずれも登録商標であるし、最近では、 着メロ (普通の名称としては 「?」 …なんだろう??) なんてのも、実は登録商標だったりする。携帯型のカセットプレーヤーのすべてが「ウォークマン」と呼ばれていたりした時期が確かにあったように、出所の誰彼問わずにセロファン・テープを、我々はツイ、「セロテープ」と言ってしまうわけだ。職業柄、正しく言うべきか?と、私も意識したりしたこともあったんだが、徹底はなかなか難しい(そういう意味では NHK の人たちはよくやってる)。 実際、やって見られると、結構面白いと思う。 ■ お客様と、寒くなってきましたし、昼にうどんでも、という話になり、店に行って、「うどんすき」などを注文すると、これが美々卯の登録商標である(「杵屋うどんすき事件」というのもあるが)。 美々卯で言うなら正しいのだが、この時季、美々卯はなかなか混んでいて入れないのである(話が違うか)。 また、近頃ではその会食の場でメタボな話で盛り上がったりして、「いやぁ、私も万歩計なんか持ち歩いて気にしてますが、なかなか1万歩はいきませんナ」などと言えば、「万歩計」が登録商標である。そこで見せる「歩数計」が山佐時計計器株式会社のもの(またはその使用許諾を得ている者によるもの)でなければ、それは「歩数計」と言わなければならない。 ■ 特許明細書の場合、実は特許庁の出願用ソフトウエアが、登録商標の不用意な使用を確認してくれる。例えば、「このプログラムは、JAVA 仮想マシン上で動作し、…」などと書いてあれば、たちまち警告が出て、「このプログラムは、JAVA (登録商標)仮想マシン上で動作し、…」と書くべきことが勧められる。もっとも、この機能はただ単に文字を比較しているに過ぎないので、「ここでは、JAVA Script が用いられ…」と書いても、やっぱり警告が出る(JAVA と、JAVA Script とは別物である)。 後者は無視すればいい、とは分かっていても、警告が出たままで出願するというのは多少、心臓に悪い。かといって、意味的な分析を要求するのはこれまた難しいわけであるし、そもそも商標には指定商品(指定役務)との関係というものもあるので、単に意味的な分析だけでも難しいし、決定的な解決策はないような気がする。 …何の話でしたっけな。 あぁ、普通名称化の話だ。というよりも、他人の商標権についてどれだけ意識しているかなぁ、という話だ。 ■ まぁ、件の中国の商標権者は、むしろ他人の商標権に敏感になって、---それこそ弁理士試験受験本の言い方風をすれば---自国で登録されていないことを奇貨として、後から高額で買い取らせるつもりで先に登録しているんだろうから悪質な問題なんで、単に他人の商標権にあまり意識がないって話とは別なんだけど、商標って、生活に身近に関係しているわりに、その使用だとか、その登録の意味だとか、そもそも「誰の商標」だとかそんな話がなかなか分かりにくいんだろうかなぁ、と、ふと、そんな妙なことを感じたので、そんなこと(なんか、まとまらないな…)。
作者: ntakei
更新日:2008年11月30日 18時2分
[弁理士試験]吉藤を読む(33)
ほんとうはどうしようかと考えていたわけです。 ▽ と、いうのは、出願の分割は、法改正のされている部分であり、吉藤の記載は部分的に古くなっているからなのですが、それでも吉藤先生の記載のうち、趣旨的なところは問題はないでしょうから、そっち部分だけでも、と、悩みを断ち切って…。※すみません。「更新」指示ができていなかったみたいです。特許庁みたいにプルーフ出してくれればいいのに(無理か)。■ 分割の意義、というのは、吉藤先生いわく、こうです。「出願の分割とは、1出願中に2以上の発明が含まれる場合に、その出願の一部を抜き出して別出願(新たな出願)とすることである」というわけです。 そもそも出願の単一性への対応、というか、昭和62年改正前の一発明一出願の規定違反への対応が実務的の要請であったとすると、米国のクレイムに相当する制度(いわゆる改善多項制)が我が国に入った昭和62年以降は、単一性の範囲がかなり融通の利くこととなって、この規定は必要でなさそうであるけれども、しかし、それまでほどの必要性はなくなっただろうとは思いますが、当然ながら多項制である限りは昭和62年以降も、同じように単一性の規定はあったわけで、分割の必要性は昭和62年以降も変わりはありません。 ただ、昭和62年以降は、分割出願の必要性は単一性違反への対応というだけよりも、むしろ、出願戦略的な話が前面にあったような気がします。そこでは単一性のない部分を分割するというよりも、何かしら単に新しい出願をするかのような(実際にはそれだけではまずいんですが)意味合いが強く、出願の一部分を抽出するよりも、特許庁への係属状態を維持することに主眼があったような気がします。いまでは、米国の first action final みたいな制度ができたんで、あまり戦略的なのはダメっぽいですが。 ■ 吉藤先生は次に、適法な分割と不適法な分割とを説明しています。不適法な分割としては、ここでは、 分割直前のもとの出願の明細書又は図面に記載されている発明ではないもの、 分割出願の発明が分割直前のもとの出願の発明とが同一であるもの 分割出願時にもとの出願が特許庁に係属していないもの の3つが挙がっているわけです。 これはこれでいいのですが、受験勉強としては、これの根拠になっている条文上の文言を拾っていかないといけません。しかしながら、まぁ、これはここでやるような話でもないでしょう。 ■ 分割についての基本的認識としては、「分割は補正の一態様」という気分なので、分割時期は基本的に「補正可能期間」となっています(いまは改正されて、補正可能でなくても分割できる期間ができましたが)。そして、分割の対象は、もとの出願明細書に記載の範囲内(補正によりクレイムアップ可能なように、明細書にだけ記載された発明も含む)と考えるわけです(これも、いまは改正によりすこし変わっていますね)。 ■ 分割が行われると、「新たな特許出願は、もとの特許出願の時にしたものとみなす。(44条2項の一部抜粋)」という規定が働くので、原則として原出願の時点で出願されたものと考えるわけですが、例外もありまして、例えば、「…ただし、新たな特許出願が第29条の2に規定する他の特許出願(…中略…)に該当する場合におけるこれらの規定の適用…(44条2項の続きの一部)」などはもとの出願の時とは考えないとします。 青本では---ここは私の記憶に頼ってますので(しかもその記憶は既に6,7年前の記憶ですので)、間違ってたらご指摘頂きたいと思うのですが---この29条の2の場合を除く趣旨として、「新規出願で元の出願にない新たな事項を含めてくる場合があり」というような話があったと思います。 上に書いたように「不適法な分割」という話と考え合わせて、混乱させるような話なんですが、要するに不適法であっても新出願であることに変わらないので、不適法であれば分割の効果は失われて現実の出願日で判断がされるというだけなんです。従って出願自体は残ってしまう。 さて、本件分割出願についての特許性の判断時期は「分割出願として不適法」という理由で繰り下がっていいわけですが、29条の2のときの「他の出願」の場合に原出願日で判断させるよう手当をしていると、不適法分割の場合にさらに余計な規定を盛り込まなければならず、一方で、原出願については29条の2の効果は生じているはずで…、と考えれば、このように規定しておけば問題ないじゃん、というような話かと。 ■ あと、分割においては(変更でも準用されていますが)、手続期間を確保するための例外規定が置かれたりしています。これらは、まぁ、規定を見れば分かる話、というか、規定をちゃんと頭に置いておくことが大切かと。 また、吉藤先生の本が改訂されていた頃にはなかった規定(実用新案登録に基づく特許出願)が増えていますから、そのあたりは、改正本で手当てしませんとなりません。 ■ そういうわけで、大ざっぱには吉藤先生の本を見て回ってしまったんですよね。あとはやるとしても審査手続のあたりくらいかな?? その後、どうしよう。新たな悩みが。
作者: ntakei
更新日:2008年11月30日 17時57分
写真著作権についての みじかいはなし
先日、愛鷹の山へ行ってきたことを書いたが、そういえば最近、旅行会社を通じた旅行なんて久しくしていないなぁと思った。夏にどこかへ行くか、という話になっても、親戚の家が伊豆のあたりにあるので、せいぜいそのあたりへ行くのが関の山なんだ。▽ この場合、行き先が親戚の家だから、当然、旅行会社などは通さない。(結局、日が変わってしまいました。本日分は、また遅れてしまいそうです…)■ 読売旅行という旅行会社が、著作者の許諾を得ないまま、写真をパンフレットに掲載したというので、家宅捜索を受けたのだそうだ。 ニュースの記事によって、写真が4点になっていたり、「過去数千点」となっていたり無許諾で利用された写真の数にずいぶんとひらきがあるのだが、告発が「数千点」で、容疑はとりあえず「4点」ということみたいだ。 ■ 告発したのは、東京新宿にある「アイ・フォトス」という写真レンタルの会社だそうだ。google で調べてみても、この会社のウェブサイトなどはないし、今回の事件については、当事者のウェブサイトで事実関係が紹介されていたりはしないようだ。 しかし、google の検索結果に引っかかった資料に、社団法人日本写真家協会(http://www.apa-japan.com/)というところの著作権レポートというのがあって(昨年4月27日号(APA 著作権レポート vol.5 ))、それによると、この会社、過去にも「JTB」との間で同様の告発をしている。この当時の事情は、この著作権レポートに大変詳しく掲載されている。なんだかな。やっぱり一度、こういう経験がないとなかなか著作権侵害の訴えというのはしにくいものなのだろうか。 ■ 件の旅行会社がそうだとはいわないが、写真というのは知人の間では実費程度でやりとりされるようなものという気分があったりするので、著作物としての認識がなかなか働かないのではないか。 しかしながら写真は、構図だの、光線の具合だのといった点で創作性があり、著作物として成り立つ。従って、他人の著作権に係る写真の無断利用は当該著作権の侵害になる。 一方で、著作物にならない写真というのもあるにはあって、例えばそもそも平面的な絵画や書といったものをその通り忠実に撮影したものは被写体の忠実な再生に過ぎないという理由で(要するに創作性がないという理由で)著作物として成り立たない。 もっとも、これは誤解を招きやすい言い方かも知れなくて、絵画をそのまま忠実に撮影した写真は著作物でないとしても、もとの絵画の複製ではあるわけだから、これを使うときにはもとの絵画の著作権には注意しないといけない。 ■ いまは写真の情報がディジタル化されていて、いったん原本を借りだしてでもしてしまえば、使用も複製も容易だから、過去に使用して保存していた写真データを、契約が切れた後にうっかり使用してしまうというケースがあってもおかしくはない。 しかし一方で、契約の内容(許諾された使用の範囲)や有効期限といった情報を写真のデータと一緒に保存しやすいとも言えるわけで、使用者側としては、要は、写真ごとの契約内容がいつでも分かるようにしておくことが必要ではありそうだ。あとは遵法精神的な問題ではないだろうか。 ■ 著作権者側も、同じように、写真ごと・使用許諾先ごとに契約内容をはっきりさせておく努力が必要そうで、例えば著作権の「判例百選」などを見ていると、どうも、使用料金をしっかり定めておかずに、「長年の友好関係」をベースになんとなく決めていたことが災いして、争いに至るケースが多く収録されているようだ。 お客さんとの友好関係は大事だろうけど、よい関係を長く維持するためには、料金を含めた面倒なところも、予めきっちり決めておく方がベターだということだろう。 もっとも、業界としてそれが簡単にできるようになっているかどうか、それは分からないのだが。 ■ それにしても…、旅行ねぇ。いつになったら、そんな余力ができるんだろ。
作者: ntakei
更新日:2008年11月27日 16時53分
定期点検 ばなし
連休の一日を割いて、愛鷹山の越前岳(1,504m)に登ってきた。知人の誘いで出たので、十里木の駐車場までの往復は自分で運転する必要もなく、大層ラクをさせてもらったのだけれども、愛鷹登山は決して素人にはラクではなかった。東名高速道路は、事故車や故障車が多数あったようでナビの VICS は何度もそれらによる渋滞を報知していた。そんなことで、家を出たのが6時頃だったのにも関わらず、十里木に到着したのは午前10時頃。
この頃にはおりた霜がそろそろ溶けだして登山道は泥道。山道である上に足許が悪いとあって、山頂まで残り80分あまりという地点(馬の背)あたりで既にバテ気味に。普段からの運動不足の成果(?)だなぁ…。
それでも山道脇に生えている木の枝を頼りに少しずつ登り、越前岳山頂にはたどり着いた。山頂に着いた時点では、空は見事に晴れており、越前岳から望む富士は美しかった。一説によると、「一富士、二鷹、三茄子…」というときの「鷹」は、この愛鷹連峰をいう、という話があるが、どうもこれらは徳川家康に由来するものらしいから、鷹はあの狩りのの対象の鷹をいうのだろうと思う。そういう意味では「愛鷹」説は、後からできた説っぽい気もする。
▽ これとはあまり関係ない話ながら、ある自動車工場で働いている人から、自動車運転で怖いものをいう俗説に、「一姫、二トラ、サン(3)デートライバー」というのがあると聞いたことがある。女性運転者、トラック運転手、普段運転しない人、ということらしいのだが(怒ってはいけません、あくまで俗説です)、サンデードライバーが怖いというのは、たしかに運転技術の側面もあるんだろうけど、東名での故障車の数を思うと、普段から乗らない上に点検を怠っている車が使われるという事情もあったりするかなぁ、と邪推してみたり。機械はなるべく使っていないとダメなんだよなぁ。
■ 点検
自動車の定期点検は法律で義務づけられているわけだけど、このほど、定期点検されることとなるのは、特許庁の出している、「審査基準」である(この記事で、「審査基準」は、特にことわらない限り特許の審査基準をいうものとします)。
「審査基準」は、特許法の運用についての特許庁の考え方をまとめたもので、例えば、発明としての成立性をどのように判断するか、とか、進歩性はどうやって判断するか、というようなことが書かれている。また、補正の適否判断などについても記載がある。
どの項目についても、「特許庁の考え方」なので、法律としての機能はしておらず、従って裁判所が審査基準に従っているかどうかを判断することは基本的にはない。裁判所はあくまで法律に照らしてどうかを判断するところだからだ。このことはひっくり返して言えば、特許庁が「考え方」として法律に反することを審査基準に規定し、それに従って審決をしたとすれば、裁判所によって、その「考え方」に従ってされた当該審決などは、あっさりひっくり返されてしまう、ということを意味する。
しかしながら、裁判に至らない限りは、特許庁の考えとしての審査基準は実質的に、「絶対」の基準に等しい意味があるんであって、代理人としては、これを無視しては通れない。時折、裁判所で争って欲しい条項などがあったりするが、代理人はそれを出願人の方々に強制するわけにも、安易にお勧めするわけにもいかない。当然のことながら。
■ そういう、「審査基準」を定期点検することにしたい、という特許庁の考えはどこから来ているのか。おそらくは、平成20年5月30日の知財高裁大合議の事件(平成18年(行ケ)10563号)が、一つのきっかけだったのではないかと思う。このケース、感光性熱硬化性樹脂組成物の特許発明に係るもので、原告は当該特許は無効であるとして特許庁の審決を求めたのだったが、特許庁が「無効でない」と判断したので、その審決を取り消すよう求めた裁判である。
本件特許発明のクレイムは長いので省略するが、無効審判の課程で訂正が行われており、当該訂正によって、いわゆる「除くクレイム」となったものである。
いわく、
「TEPIC:日産化学(株)製、登録商標」を含有してなる感光性熱硬化性樹脂組成物を除く、
というようなわけで、争点としては、この訂正が、
「願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」
であるか否か。また、訂正後のクレイムは、登録商標「TEPIC」の記載を含むこととなっているが、登録商標の記載によって訂正の内容を技術的に特定できないから、
「クレイムの減縮」に相当しない
というようなことなど、多岐にわたる(今回はこれら争点には触れない)。
■ この裁判の判決文において、裁判所は「除くクレーム」に関する審査基準の記載に触れ、「除くクレーム」を特定の場合に限って「例外的に」適法な補正として扱うとする記載を指摘して、次のように述べたのである。
「除くクレーム」とする補正が本来認められないものであることを前提とするこのような考え方(著者注:例外的、とする考え方)は適切ではない。すなわち 「除くクレーム」とする補正のように補正事項が消極的な記載となっている場合においても,補正事項が明細書等に記載された事項であるときは,積極的な記載を補正事項とする場合と同様に,特段の事情のない限り,新たな技術的事項を導入するものではないということができるが,逆に,補正事項自体が明細書等に記載されていないからといって,当該補正によって新たな技術的事項が導入されることになるという性質のものではない。
したがって除くクレームとする補正についても当該補正が明細書等に「記載した事項の範囲内において」するものということができるかどうかについては,最終的に,上記アにおいて説示したところに照らし,明細書等に記載された技術的事項との関係において,補正が新たな技術的事項を導入しないものであるかどうかを基準として判断すべきことになるのであり 「例外的」な取扱いを想定する余地はないから,審査基準における「『除くクレーム』とする補正」に関する記載は, 上記の限度において特許法の解釈に適合しない
特許庁としては棚からぼたもち、ではない、寝耳に水だったのではないか。審査基準の一部が特許法に適合していないと判断されたというのだから(この事件については、いずれご紹介しようとは思ってるんですが、なかなか通して検討する時間が…)。
■ そうしたわけ、なのかどうかは定かでないが、産業構造審議会に「審査基準専門委員会」を設けて議論をしようという方向になったわけである。議事の次第は特許庁ウェブサイトで公開される模様なので、楽しみにしているのだが、今月5日に行われた第一回の議事録については、本日の時点では未だアップロードされていない。
委員の顔ぶれは、というと、アカデミックの方々はもちろんのこと、ユーザ(出願人)側、代理人側(弁理士・弁護士)までが含まれる。
■ まぁ、審査基準は機械とは違って、「定期」に「点検」する必要があるかどうかはともかく、いままで改訂ごとにパブリックコメントの形でしか意見具申ができなかったことに比べると、一気に開かれたものとなった感じだ。
審査基準は、私ら代理人の日々の業務に直接関わるものだけに、有意義な議論が行われて、審査基準がよりよいものとなることを期待したい。
いや、しかし、「定期点検」は、不測の不具合を防止するのに役立つ手段だと思うわけだけど、一つ気になることが。それは東京を東西に結ぶ、中央線のことを考えるからだが、この電車、「定期点検」をしているだろうはずだのに、どうして日々、「車両点検」が行われて遅延するのだろうか。(今日の原因は車両点検ではなく、線路の点検だったようだが)今日だって、あやうくセミナーに遅れるところだったのである。
作者: ntakei
更新日:2008年11月25日 17時52分
コメントにお答えして
本日は、本来ならば乱読日記を書くべき日なのですが、ここのところ諸般の事情から本を読む時間がとれなかったこともあり、また、次のようなコメントを頂戴し、お答えしておくことが適切かとも考えましたので、予定を変更して、そのような体裁の記事とさせていただきます。なお、当該コメントは、「常にトップ」に出る記事に付されておりましたが、こちらの記事にはがんらいコメントを付せないように設定していたはずで(と、いいますのは、件の記事は広告欄であり、コメントを付してしまうと、広告に対するコメントとなってしまうとよくないと考えたためです)、何らかの原因で設定が解除になってしまったものと思いますので、こちらの趣旨通り、コメントは削除させて頂くことにしました。 ▽ コメントの内容ですが、次のようなものです。貴殿はインターネット上において”「弁理」屋”なる標記を用いて表現活動を行っておられるようですが、弁理士法第29条に抵触するおそれがあると考えます。貴殿にとっての自虐的表現であろうとも一般の弁理士にとっては不愉快であります。つきましては貴殿のお考えをお聞かせ願います。記名はありません。IPアドレスやアクセス環境などは分かるのですが、これをオープンにすると、個人特定になりかねませんので、以下、このコメントをくださった方へ直接返答申し上げるのではなく、一般的なご質問としてお答えする形をとりたいと思います。■ 念のため、弁理士法第29条とは次のようなものです。□(信用失墜行為の禁止)第29条 弁理士は、弁理士の信用又は品位を害するような行為をしてはならない。■ まずは、コメントの御礼を申し上げます。 私としましては、ご指摘を頂くまで、このような観点を持っておりませんでしたので、正直申し上げてこのコメントに接したとき、大変驚き、困惑致しました。 コメントの内容は、必ずしも何を「自虐的表現」と採られておられるのか、よく分からないのですが、文面を素直に考えて、おそらくは本 blog のタイトルの一部である、『「弁理」屋』という標記部分を捉えて、これを私にとっての自虐的表現であるとか、不愉快であるとご指摘くださっているものと思います。■ しかしながら、この『「弁理」屋』という表現は、私にとっては「自虐的表現」でも何でもありません。 この業界で、四法のうち、もっぱら特許ばかりを扱う方が、ご自分を称して「特許屋」という言い方をすることがあります。これも自虐的というよりは、特許を専門にしていることをむしろ誇りとしておられるのではないかと考えています。 そして私は、業界に足を踏み入れたばかりの頃(かれこれ15年ほども前ですが)、小規模の事務所に勤務し、知財部のない中小企業とのおつきあいをした経験から、事務所をやっていく弁理士であるならば、「特許屋」では十分でなく、意匠も商標も自信を持ってできるゼネラリストでなければならないと思い詰めたものです。また、代理人として、時々刻々変化する実務の「理」を「弁」えた商売をする、ともずいぶん以前に決めています。 従って、私は「特許屋」ではなく、「弁理」屋でありたいと思っているわけで、その思いを含め標題として利用しているわけです。つまり、この「弁理」屋という標記には、弁理士という資格の下に事務所を経営して、幅広いニーズに対応できる者として「弁理士」業を行っていくという決意を密かに込めていたものです(「弁理士」屋では、資格を販売しているようでおかしいですし)。 それを、どういうご見識からか「自虐的表現」であると決めつけられたのでは、当方としては大変に残念でなりません。 なお、この標記を用いることが、どのようにして弁理士の信用失墜行為に相当しているのか、それも私にはまったく理解できません。 ■ もっとも、こんな話もあります。 知人に、初めてできた息子の名前を「心太」と書いて「しんた」と読ませるつもりだ、という人がいました。その場にいた私を含む何人かは、顔を見合わせ、「心太」というのは「ところてん」と読むのだ、ということを申し上げて、再考を促しました。 このように、もしかすると、『「弁理」屋』という表現に、何か私の存じ上げない、蔑称としての意味合いがあるのでしょうか。 仮にあるのであれば、ご教示いただきたく思います。蔑称としての用法があるということであれば、なるほど適切な名称とは思えませんので、本 blog の削除を含めて検討したく思います。
作者: ntakei
更新日:2008年11月24日 16時26分
弁理士試験合格者の官報掲載、その他
昨日は、少し遠いところまで3/4日ほどかけての出張でした。また、昨日は東京のJRはなんだか呪われていたのか、朝方はあちこちで車両点検、昼ごろには高崎線に大幅な遅れがあり、夕方には中央線・横浜線がおかしくなり(変電所で停電? とかいうておったが)…。しかしながら、どういうことか、日頃の行いが良いということなのか(?)、遅延電車には一切巡り会わず、スムーズに出張先から事務所へ、事務所から自宅へと移動できました。 ▽ しかしながら、4時間も電車移動で少々疲労気味です。ということで、本日の「吉藤を読む」を休ませてください…。代わりに合格者の方宛にいくつかの話を、思いつくままに書いてみようかと。■ 官報 弁理士試験の結果に合格者氏名が出なくなって久しいんですが、相変わらず官報には氏名掲載がされます。 そんなこんなで、官報の需要があるということなのか、どうか。それは知りませんが、最近、この blog を訪れる方の中に、「弁理士 官報」といったキーワードの組み合わせで検索をされてきた方が散見されます。 そういった皆様。お待たせ致しました。平成20年11月20日付の官報、号外第255号、51ページから53ページにかけて、合格者を一挙掲載。 というか、特許庁で氏名を公表しない趣旨が、この官報掲載により没却される結果になってる気がする…と、毎年感じます。 ■ 合格証書 また、ある方の blog 記事で、合格証書が届いたというのを拝見しました。最近は郵送なんでしょうかな。私の頃は特許庁地下に合格者を集めて、授与式(といっても代表一名が授与を受けて、ほかの人は配布される)が行われたものでございます。 ちなみにこの合格証書、「弁理士試験に合格したことを証する書面」として、弁理士登録をする際に必要になりますので(複写でいいはずだけど)、いきなり額に入れて飾ってみたりしますと、後で取り出す必要があります。 また、合格証書なんて、こんなもんと放り出しておくと、後で探す羽目に陥る可能性がありますので、ご注意を。 ■ 弁理士のバッジ バッジの方はもう届いておられるのかどうか分かりませんが、あのバッジも紛失しますと、再交付手数料(?)を取られるうえ、「始末書」なるものを書かされる羽目になりますのでご注意のほど(私は紛失したことはございませんので、念のため)。 バッジなんて使わないような、そんな気も致しますが、実際には裁判所や特許庁に入る際の身分証明として一応利用できます。特許庁入口で免許証を探す。そんな必要がなくなるわけです。それでも荷物検査はされますが。 ■ バッジにおける上と下 バッジのつくりは時期によって変わるようですが、菊花の中央に桐をあしらったデザインは変わっていません。桐は国家の繁栄の象徴と言われますから、産業財産権の保護・利用に携わる弁理士にピッタリ、ということだったのかもしれません。 さて、このバッジですが、概略円形をしておりますので、上下がわかりにくいきらいがございます。桐の上下の問題なんですが、うっかりすると、「ハテ、どっちだったかな」などと迷うことにもなるかもしれません。この桐、花が上で葉が下になるようにするのが正しいのですが、周りの弁理士さんでバッジを付けられている方をよくごらんになると、もしかすると逆向きに付けられている方が…、いらっしゃるかも…。 ■ 褒章のこと 褒章というのは、商標法の勉強で出てきたので覚えていらっしゃる方がおいでかも知れませんが、社会や文化などに功績のあった者を表彰する記章のことで、弁理士が授与される褒賞としては、黄綬褒章というのがふつうです。 黄綬褒章は、「業務に精励し衆民の模範たるべき者」に授与されるとされますが、毎年だいたい5,600人が受章しており、そういう意味では弁理士試験の合格者数と大差がないほどには授与が行われているわけです。 で、この黄綬褒章、受章の栄誉に浴する弁理士さんというのは、例えば副会長、会長などといった職に携わった方が多いわけです。逆に申し上げれば、そういう職に携わらないと、褒章の受章は(弁理士業務に精励した、という理由では)なかなかない、ということです。
作者: ntakei
更新日:2008年11月20日 18時17分
とある要塞都市の はなし
カリブ海の要塞都市から海賊たちが脱獄を図ったという話に由来するそのゲームの名前は、当該要塞都市の名前に因んで、「カルタヘナ」と呼ばれている。当該要塞の跡は、世界遺産として登録されている。 ▽ 「カルタヘナ」という都市の名称はスペインにもあるが、こちらはコロンビアの都市である。どうやらこのコロンビアの方のカルタヘナにて、第6回作業部会が行われた後に議定書が採択されたので、この名があるらしい。そう、その名は、「カルタヘナ議定書」という。■ 昨日のエントリーで、国籍法改正の話題がネット上で広く採り上げられていることに触れ、「どうせ特許法改正では、こんなに問題視されることなんてあるまい」と書いたばかりであるが、そんな特許法の一部改正がいま具体的に検討されている。 既に特許庁のウェブサイトにも掲示されているが、存続期間の延長制度に関わる改正である(http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/shiryou/toushin/shingikai/entyo_seido_wg_menu.htm)。 ■ 特許法には、特許権の存続期間についての規定がある。特許に期限があるのは、発明なんてものは時間が経てば陳腐化するし、技術促進の側面からも開放してもらった方が保護するよりよくなるからというものだ。特許法は、そもそも特許権維持のために年金納付をさせて開放を促すようになっているのだが(もっとも最近は維持料が廉価になってその趣旨が薄れている気もするが)、どんなに権利を維持しようとしてもこれ以上はダメという期間を一律に定めている。それが、特許法67条の規定である。□特許法67条1項 特許権の存続期間は、特許出願の日から20年をもつて終了する。一般的なケースとして、出願から3年寝かせておいて、それから審査の請求が行われ、それから2年ほどでアクションが入り、半年ほどで登録になるものはなる、とすると、だいたい出願から5年半ほどで権利が成立すると考えてよいと思う。いや、もちろん、特に荒れるケースでなくても、審査に時間がかかったり、審判まで入ったりして出願から10年近く経過してしまうものがあることは承知している。ごく一般的なケースを想定したいわけである。 えーと、出願から5年半で登録になったとすると、残りは14年半ということだから、発明にかけたコストの回収にはこれだけの時間があればまぁ、一般的には十分(これも「一般的」ですよ、あくまで。例外ばかりなのは分かります。一般論です)と思われるわけだが、ところが権利になっても、権利者たる本人が独占的に実施できない場合というのがあるのである。 ■ いいえ。専用実施権が設定されているとかそういう話ではない。実施権も特段の契約もないのに実施できない場合があるわけだ。それは、「その特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であつて当該処分の目的、手続等からみて当該処分を的確に行うには相当の期間を要するものとして政令で定めるものを受けることが必要である」場合である。 このような処分としては、広く知られているところとしては薬事法、また、農薬取締法などの処分がある(それぞれ特許法施行令3条2号、1号)。 ■ 今回の問題の一つは、存続期間の延長による効力が、薬事法の承認試験待ちのために実施できなかった範囲にだけ及ぶ(68条の2)という部分である。薬事法の承認では、有効成分、効能(用途)、剤型(カプセルとか錠剤とか)、用法、用量、製法などの要素が特定されるというが、特許法では、延長期間に入った特許権の効力は、「用途が定められている場合はその用途に使用される物についての実施」に制限されるのである。 この薬事法と特許法との間の相違は、次のような問題をもたらす。 ■ いま、有効成分、効能(用途)は同じだが剤型が異なる2つの承認申請があったとして、そのうち剤型Iについては2年で承認が出たとする。一方、剤型IIについてはどういうわけか3年かかった。この場合、特許法で延長が認められるのは、剤型に関わらず特定の用途について実施ができなかった(浸食された、という言い方をする)期間だから、剤型Iの承認期間である2年である。この場合、剤型IIの商品については、特許権の保護期間が1年分、なくなるのである。 特許庁ウェブサイトに公表されている議事録からすると、どうやらDDS(Drag Delivery System)---要するに体内の特定箇所でのみ作用するよう構成された薬---については、承認に長期間を要しているらしく、この期間の差が問題視されるに至った、ということみたいだ。 ■ そして問題のもう一つは、カルタヘナ議定書に関連して我が国で定められた法律、「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」(あまりに長いので「カルタヘナ法」と呼ばれているようである)にも対応するか否か、という問題が議論の対象である。 この法律は、要するに、遺伝子組み換えによって発生した生物(むろん植物を含む)について、外部の環境に影響しないよう隔離された環境に置くのではなく、隔離された環境から外へ出して使用したい場合(これを法律では第一種使用と呼んでいるようである)において、「第一種使用規程」を作成して、その承認申請というのを行え、というものである。当該承認申請の内容は学識者が審査して、承認するかどうかを決める。承認された場合に限り、当該承認された第一種使用規程に従った使用が認められる、という話である(概要は、http://www.bch.biodic.go.jp/download/law/1Use_application_flowchart.pdf)。 この審査にもむろん、多少の時間がかかるわけで、「その特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であつて当該処分の目的、手続等からみて当該処分を的確に行うには相当の期間を要するものとして政令で定める」かどうか、つまり特許法施行令3条に含めるかどうかを審議するのだ、ということである。この審査、どれだけの時間がかかるかについては、審議資料に概要があるのだが、平均的に2年半はかかっているようなので、その浸食期間をなんとか取り戻したいと思う権利者の気持ちは理解できる。 ■ おそらくは施行令の方は対応が早いのではないかと思うが、薬事法との関係で延長期間の効力などをどうするかについては選択オプションがいろいろあると考えられるので、審議にはそれなりの時間が必要になることであろう。 ■ カルタヘナ。かつては要塞都市であったこの都市生まれの議定書は、今度は生物の多様性の確保に影響する新生物の拡散を食い止める要塞として働こうとしているわけだが、それがめぐりめぐって特許法(今回は施行令だけど)に影響することとなるとはねぇ。
作者: ntakei
更新日:2008年11月19日 17時40分
専門外ながら、国籍法ばなし
能力担保研修などで民法の授業や試験があるといっても、弁理士が踏み込まないパートが民法にはある。それは「親族法」という部分だ。以前、ダットサン民法をそろえたときに、親族法もついでに一緒に購入したが、結局それを開いたことはあまりない。 ▽ 親族法とはあまり関係ないとは思うけれども、婚姻だとか、子の嫡出・非嫡出といったことに関わる、ある法律がネット上を中心として騒がれているので、少し興味をひかれた。というわけで、専門外ながら、少しばかり調べつつ、この問題をつついてみようとおもう。■ その法律の名称は、「国籍法」という。 国籍法の改正については、実をいえば、既に予定されていた事項ではあった。と、いうのも、現行の国籍法は違憲であると最高裁判所が述べているからだ。その最高裁判例は、平成20年6月4日、最高裁判所大法廷で行われた(平成19(行ツ)164号事件)。裁判所の判決要旨は、次の通り。1 国籍法3条1項が,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した後に父から認知された子につき,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した場合に限り日本国籍の取得を認めていることにより国籍の取得に関する区別を生じさせていることは,遅くとも平成17年当時において,憲法14条1項に違反する 2 日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した後に父から認知された子は,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという部分を除いた国籍法3条1項所定の国籍取得の要件が満たされるときは,日本国籍を取得するこの要旨のうち1番目の話は、実は国籍法2条1号を併せて見ないとわかりにくいかもしれない。□国籍法第2条(柱書、1号) 子は、次の場合には、日本国民とする。一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。要するに、出生時に両親のどちらかが日本国民であれば、子は日本国民になる、はずなのである。従って父母が婚姻していない場合、つまり非嫡出子についてであっても、「日本国民である母と日本国民でない父との間に出生した」場合であれば、日本国民である母から出生した子の母は間違いなく、日本国民(難しい日本語だなぁ)なんだけど、「日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した」非嫡出子の場合、悲しいかな、本当の父親は、「分からないじゃない…」ということになる。 そこで「認知」という話になるわけだが… ■ 種類のある「認知」 「認知」は実をいえば、それをする時期によって区別されている。具体的に言えば、 子がまだ母の胎内にあるときに認知の届出をする「胎児認知」、 出生後に認知の届出をする「生後認知」 等である。ここで父親が「胎児認知」をした場合、出生の時点には既に「父の子」であることになるので、国籍法2条1号が効いて、その子は日本国民ということになる。 しかし、出生後に認知をしようとする場合が問題である。国籍法3条1項の条文をよく見ると、□国籍法第3条第1項 父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で二十歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。とあって、冒頭にあるように「父母の婚姻及びその認知」なので、父母の婚姻が、子の国籍取得の要件になっているのである。 最初にご紹介した、最高裁判所で争われた事件というのは、まさにこの父母の婚姻を要件とするところが違憲(憲法14条1項に反するもの)であると争ったものである。 ■ 結果は上記の通りであるが、横尾和子、津野修、古田佑紀判事の反対意見、甲斐中辰夫、堀籠幸男判事の反対意見、泉徳治、今井功、那須弘平、涌井紀夫、田原睦夫、近藤崇晴判事の各補足意見、藤田宙靖判事の意見が付されている。 多数意見(違憲であるとの見解)に同調する側の補足意見としては、例えば、立法府が、他の合理的な要件を付加することが違憲であることを意味しない、というようなもの(近藤崇晴判事の意見)などがあって、必ずしも現国籍法第3条1項が想定する場合に、何らかの国籍取得の要件を課すことを否定しているものではないようである。 反対意見としては、国籍の付与は国家共同体の構成員の資格を定めるもので、国家共同体の基本的な主権作用の一つなのだから、国籍付与の条件をどのようにするかは、出生時において一律、かつ、可能な限り単一に取得されるべきことなどの要請を害しない範囲で、広い立法裁量にゆだねられているというべき、などと述べるもの(横尾和子、津野修、古田佑紀判事の反対意見)等がある。 詳しい意見の内容は、判例に直接当たっていただきたいが、諸手を挙げて、違憲だ、という話ではなかったようである。 ■ 改正法案の内容 衆議院のウェブサイトに開示されている改正案の内容を参照すると、改正後の3条1項は、次のようになる□(改正案による)国籍法第3条第1項 父又は母が認知した子で二十歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。要するに要件は「認知」だけのことに替わるワケである。また、二十条として、虚偽の認知届けをした場合、「一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」という話になっている。 この法案は、ネット上の騒ぎに関わらず(また、慎重審議を求めた議員がいたにも関わらず)昨日18日に衆院で可決された。 ■ 何を問題にしているか で、ネット上の人たちが何を問題にしているか、というと、「これは日本国籍の安売りだ」ということである。要するに、婚姻を条件から外すことで、単に「認知」さえすれば国籍取得が可能になってしまうわけだから、例えば金銭の授受により、あるいは脅迫などによって虚偽の認知が行われて、容易に日本国籍が取得されることが懸念される、というのである。そうなると、例えば外国人の参政権だのといったことに慎重審議してきたことすら無意味に帰するし、だいいち外国人が国内に溢れて、本来の日本人が排斥されてしまうのではないか(ひいては日本国が崩壊するのではないか)、というように、落ち着いて中道に戻って見解を見るならば、やや国粋主義的かなぁと感じるような意見も含まれているわけである。「なぁに、虚偽申告には罰則があるじゃないか」というと、この罰則たるや懲役1年程度の話なので、「生ぬるい!」と、上記の見解を述べる方々は仰るわけである。 ■ 本件の問題の場合、要するに、現に日本国籍のある父親の子であるとわかれば、認知自体に問題はなくなると思われるわけなので、例えばDNA鑑定を要件としてはいかがか、という考え方はあり得ると思う。 すると、弊所パートナーの話によると、「それは左派の人たちが反対しているようなんだ」そうである。つまり、DNA鑑定を要件とすることは、がんらい嫡出子については適用されない加重要件を課していることになって、結局憲法14条1項違反だろうと、こういう話になるわけだ。 弊所パートナーは、このことについて、「しかし、本当に日本国民かどうかを判断するためにDNA鑑定を課すという話なんだから、日本国民の法の下の平等をいう憲法14条の問題じゃないと思うんだけど」というんだけど、そうとすれば、今回の最高裁判例だって、おかしな話になってしまうような気もするし…(もっとも、判例をちゃんと読んでないんだけど、もしかすると、あれは日本国民である父親について平等になってないって話なのかな?)。しかし、裁判官の補足意見などもあることだし…、どうだろう?? ■ 敢えて個人的な意見を付けるとすると、虚偽申告についての罰則をいくら加重しても、虚偽申告が発生するときは発生するんだし、やっぱりDNA鑑定などの客観的な父親判定技術がある以上は、それなりに父親が日本国籍保持者であることの立証くらいは、それを求めたとしても、それは過酷な加重要件にはならないような気がする。結局は、子の国籍について虚偽なく取得したいという正当な親の思いが通用すればそれでいいんでしょう?? …まぁ、あとはDNA鑑定の精度の問題にもなるわけかもしれないが…。 ■ まぁ、なんだ。こういうごちゃごちゃとした話に比べると、特許法改正なんてすっきりとしたものだなぁ、と思う。今年1月頃の産業構造審議会では、特許法も50年も経っていて、そろそろ全面改訂でも…というような過激(?)な意見もあったようだが、特許法については、おそらくまかり間違っても、こんなネット世論が巻き起こるようなことは一切ないだろう。…たぶん。 ■ あなたはどのようにお考えですか??久々に @nifty 投票でも使ってみようかなぁ。
作者: ntakei
更新日:2008年11月25日 17時48分