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トップ > ガイドブック > ガイドブック - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月5日 3時)
Murano in Venezia 3 (ムラーノ島)
ムラーノ島の建物は、本島に負けず劣らず洒落ている。煉瓦造りの家屋、石畳の街路、それらに映える緑の草木。街はとても閑静で、こんなところで暮らしてみたいとさえ思わせる。 井戸でさえも、まるでオブジェ。古いものをそのまま放置してあるのではなく美しくペイントしてあるそこに、イタリア人のセンスが窺えるというものだ。 ムラーノ島にある鐘楼。時計の針の動く音さえ風に乗って聞こえてきそうなほど閑かである。 この美しい街並にはまた、オープンカフェがよく似合う。 ガラスのオブジェ。太陽の光をスポットライトのように受け、輝いていた。 街中にはたくさんのショップがある。これはそのうちの一つのショーウインドウに飾ってあったのを写したもの。それぞれが2cmほどのサイズのオーケストラ。 二人分の荷物を持ち歩いているわたしはとにかく荷物を増やしたくなくてここまで買い物をしないでいたが、我慢できずに(?)ブレスレットとピアス、指輪を購入。ヴェネツィアン・ガラスに海の色が融け込んでいる。 オープンカフェでのひとコマ。 ゆったりとした時が流れるムラーノ島では、犬ものんびりと過ごしている。
作者: AYA
更新日:2008年11月27日 0時31分
Murano in Venezia 2 (ムラーノ島)
ムラーノ島へ到着すると、 真っ先にファクトリーへ。 まずは製造工程を見学させてもらう。 工房内部には、もちろんクーラーなどない。近くにいるだけで熱いので溶鉱炉の前での作業の熱さはいかほどかと想像するが、職人さんは慣れたもので表情一つ変えない。変えるような人だったら、もっと痩せてんだろうなあ。 まずは、まん丸に形を整えるようだ。 そして少しずつ形を変えていく。 最初に作ってみせてくれたのは花瓶だった。これは明らかに別のもの。何だろう。 前肢らしきものがある。動物か。 後肢もできてきた。やはり動物。それも四肢で立つものに違いない。 締めくくりは、台座に載せてパッチン。 後肢で立ち上がる馬像の出来上がり。 このファクトリーは数ある中でも大きいほうらしくて、工房見学のあとは広い店舗へ案内された。数々のシャンデリアやボトル、フラワーベース、もちろんグラスも含め、飾り物からアクセサリーと、ありとあらゆるガラス製品が売られている。 なぜかリッチ・ファミリーと見られてしまった我々母娘には、工房のオーナーが横にぴったりくっついた。そして商品説明を受ける。オーナーの奥さまは日本人らしく、日本語がけっこう上手い。「半額にしてあげる。しかも日本への送料込みよ」と言うけれど、その価格が数百万円。我々は、ウフフ、エヘへ、オホホと笑いながら、ファクトリーをあとにした。 ・・・to be continue
作者: AYA
更新日:2008年11月25日 14時8分
Murano in Venezia 1 (ムラーノ島)
ヴェネツィアへ来たからには、ここに行かねばならぬとばかりにムラーノ島へ。ヴェネツィアングラスを製作している島である。 ホテルからは、モーターボートでレッツゴー。ドライバーの男性がカッコ良かった! モーターボートはこんなふうにして、全て屋根付き。 運河から見るヴェネツィアの街並みも美しい。ほとんど全ての建物がオブジェのようにして街を飾っているようだ。 北東1.5kmにあるムラーノ島へは、30分ほどで到着。おとぎの国に来たような感すら湧く、小さな可愛らしい島である。 ガラス技術はイスラムから来たもの。ヴェネツィアはかつて東方貿易の中継地で、だからそのテクニックを吸収し得ることができた。そのガラス作りの秘法が流出するのを防ぐため、本島にあったガラス工場と職人は全てこの島に隔離された。それが1291年のこと。 15世紀から16世紀頃には、貴族や富裕層がこの島へ癒しを求めて過ごしに来ていたらしい。 さすが、「ガラスの島」ムラーノ。街中に、大きなガラス作品が点在していた。 ヴェネツィアン・グラスは、かつてのヴェネツィア共和国の名を広めたばかりでなく、国に莫大なる富をもたらした。国は商品の輸出だけでなく、時には人手とその技術をも派遣した。フランスはパリにあるヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」は、ヴェネツィアの12人の職人によって作られたそうだ。 ・・・・to be continue
作者: AYA
更新日:2008年11月24日 13時40分
Ponte dei Sospiri in Venezia (溜め息の橋)
サン・マルコ広場を軸にして、コッレール博物館の裏手へと散策していると、そこには陽気な空気が流れている。瀟洒な教会、休憩を取るゴンドリエーレ(ゴンドラの漕ぎ手)の笑顔。 ちょうど近くの乗り場から、結婚式を終えたばかりの新郎新婦が乗り込んだ。小学生ぐらいの子供連れの夫妻で、太陽の陽射しと友人たちからの祝福を受けた笑顔は幸せに満ちあふれていた。 このゴンドラは、おそらく特注もの。造りの豪華さも、内部にあしらわれていた布も、通常のゴンドラとは全く違ったものであった。 サン・マルコ広場を挟んで逆方向のドゥカーレ宮殿(写真右手)の裏手に行くと、そこには「溜め息の橋(Ponte dei Sospiri)」がある。ドゥカーレ宮殿にはかつて地下に牢獄があり、小運河を挟んだ向かいにある裁判所とのあいだを、この橋が結んでいたそうだ。 「この橋を渡ると二度とこの世には戻って来れない」という言い伝えがあり、橋を渡る囚人たちは小窓から外を見やりながらこの世に別れを告げ、溜め息をついたという。脱獄した(できた)のはただ一人、かのカサノヴァだけだったと言われている。 周囲にある建物の色彩や形、陽の当たり方にもよるのだろうが、堅牢な橋を見ていると、いかにも溜め息が聞こえてきそうな気配が漂っていた。アーメン。
作者: AYA
更新日:2008年11月24日 2時35分
Piazza San Marco in Venezia (サン・マルコ広場)
サン・マルコ大聖堂や大鐘楼は、サン・マルコ広場にある。世界遺産であるベネツィアを代表する“顔”と言っても過言ではない場所。これは大鐘楼から写した風景で、手前に大聖堂がある。 広場では時として、大物アーティストが訪れてのコンサートもあるようだ(名前を聞いたけど忘れた)。 広場を囲む回廊の左手は新行政館で、17世紀の建築。 奥はコッレール博物館(Museo Civico Correr)で、歴史や人々の暮らしなどについて紹介されている。 右手は旧行政館で、12世紀の建築。とはいっても火災により、現在あるのは16世紀に再建されたもの。 広場の右手には、時計塔もある。15世紀に造られたもので、屋上にはムーア人のブロンズ像があるらしい。 広場をぐるりと囲んでいる回廊には、年代もののカフェやバー、宝飾店など、さまざまなショップが軒を連ねている。美術品を扱っている店舗もあり、びっくりしたのはいかにもダリ(Salvador Dali)の作品らしきこの彫刻。 まるで死んでいるように葉っぱのない木に、涙を流している時計。 店舗前に飾ってあったこれは、店主に聞くと「オリジナル」だという。三回、聞いた。でも「コピーじゃない。オリジナル」という。本物だとしたら、誰でも触れる店頭に置くなんてすごい度胸とサービスじゃありませんか。日本では考えられない所業。店内には、やはりショーケースに入っていない、たとえばクリムトの絵など著名作家の作品が所狭しと並んでいた。 広場と相対するように建っているのがサン・マルコ寺院だが、その隣には「Palazza Ducale(ドゥカーレ宮殿)」が並んでいる。最初のものは9世紀に建造され、その後何度かの火災によって、現在建っているのは15世紀の建築。かつては、ヴェネツィア共和国総督の政庁舎であった。 内部は絢爛豪華。2階にはヴェネツィア派を代表する画家の一人、ティントレット(Tintoretto)の世界最大と言われている油絵もある。 ちなみに、かの作家カサノヴァ(Giacomo Casanova)はある時期宗教裁判で有罪となり、このドゥカーレ宮殿に連なって建てられていた監獄に収容されていたが、その脱獄に成功したことでも有名。 ドゥカーレ宮殿の前も小広場で、オープンカフェもある。ポピュラー音楽の生演奏もあり、歩いているだけで楽しい。 ドゥカーレ宮殿を背にして視線を左にやると、そこにはサン・マルコ運河が広がっている。ゴンドラが波に揺られ、心地良さげに午寝を貪っているようだった。 向こう岸に見えるのは、サン・ジョルジョ・マジョーレ島(Isola de San Giorgio Maggiore)。 ここは共和国時代、海からの玄関口として賑わった場所。12世紀に建てられたという2本の円柱があり、そこにはテオドーロ像と翼を持つ獅子の像がそれぞれ載っている。 翼を持つ獅子は、ヴェネツィア州を象徴するマークにもなっている。写真は、テオドーロ守護聖人。サン・マルコが来るまでは、彼がヴェネツィアの守護聖人であった。
作者: AYA
更新日:2008年11月23日 14時6分
Campanile in Venezia (大鐘楼)
サン・マルコ寺院のすぐ斜め前には、「Campanile (大鐘楼)」がそびえ立つ。豪奢な造りのサン・マルコ寺院とは対照的に、至ってシンプルな鐘楼。頂上には黄金の天使の像があるが、これは風向きによって回転するそうだ。 16世紀初頭に建設され、1902年に倒壊したものの、その10年後に再建されたという。 高さは約97m。当初は見張り台と灯台の二役をしていたらしいが、現在は街を一望できる見晴し台となっている。エレベータで上がることができる。 360度の大パノラマ。 サン・マルコ寺院もこれこの通り、眺めることができる。 展望台内側には大きな鐘が吊るされている。1902年に塔が倒れた時、奇跡的に鐘は壊れなかったそうだ。それがそのまま現在も吊るされ、ヴェネツィアの時を告げている。
作者: AYA
更新日:2008年11月21日 16時43分
Basilica di San Marco in Venezia (サン・マルコ寺院)
ヴェネツィアは、避難場所としてはじまった地域らしい。5世紀にゲルマニア出身の民族、ロンゴバルド族が北イタリアへ侵入しその後征服するのだが、その侵略から逃れるための土地だったという。 当初はヴィザンチン帝国の統治下にあったものの、823年に聖マルコ(マルコの福音書として有名)をヴェネツィアの守護聖人とし、宗教的な独立を果たしたそうだ。 このサン・マルコ寺院(大聖堂)は、9世紀、聖マルコの遺体を収めるために創建されたという。 ヴェネツィアで最も有名なPiazza San Marco (サン・マルコ広場)にある。何度も再建を繰り返し、現在の建物の基礎ともいうものは1090年に建てられたもの。その後も修復などを重ねているという。 さまざまな時代にいくども修復されているためか、ヴィザンチン、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンスなど、多彩な様式で建造されている。 正面の入り口を見上げると、4体の青銅馬像のコピーが目に入る。オリジナルは寺院の内部にある。 紀元前のものといい、十字軍がコンスタンティノープルから13世紀に持ち帰った。 13世紀といえば、マルコ・ポーロが世界一周旅行を成し遂げた時代。彼は、ヴェネツィア出身の商人である。 のちにヴェネツィアは共和国として栄華を極めるが、1797年にナポレオン軍に占領された。この時に馬像はナポレオンが戦利品としてパリへ持って行ってしまったらしいが、1866年、ヴェネツィアはイタリアに統合され、馬像も戻ってきた。 内部の祭壇や洗礼堂なども壮麗。 入るには、イタリアのほかの歴史的建築物同様、荷物検査がある。くれぐれもリュックなどは背負って行きませぬように。
作者: AYA
更新日:2008年11月14日 11時58分
Traffic of Venice (ヴェネツィアの交通)
鉄道でヴェネツィアに到着し、駅を出ると目の前に広がる運河。 ここは水の都。タクシーやバスなど地上の乗り物は皆無。全て水上移動である。 公共交通機関として、ヴァポレット(Vaporetto)と呼ばれる大きな船が市民や観光客の足。ほとんどが各駅停車で、駅間はとても短い。 1回券は6ユーロ。ほか、12時間券から72時間券まで5種類があった。最も高い72時間券で30ユーロ。クレジット・カードが使える。 駅によっては係員がいなくてチケットを売っていないところもあり。戸惑う。チケットを持っていれば、機械に当てて通ればOK。 ヴェネツィアの街そのものが、歩いて回れないことがないほど小さい。しかしながら街中は河だらけなので、歩いて回るとしょっちゅう楕円形の小さな橋を渡らねばならず、けっこう疲れる。このヴァポレットは非常に便利。おおいに活用すべし。主な観光どころは、それぞれの駅からとても近いからなおさらだ。 ヴェネツィアには、モーターボートもある。モトスカーフィと呼ばれている。 ヴァポレットをメトロやバスととらえれば、モーターボートはタクシー。決まった路線を運行するものと、メーター制がある。乗船前に行きたいところを告げて金額を言ってもらうパターンもあり。 ヴァポレットから観た、ヴェネツィアの街。 見渡す限りの運河の街、ヴェネツィア。湿気もほとんど感じず、それはそれは快適だった。ここへ来るまでに会話したイタリア人は、我々の行く5カ所の土地名を聞き、例外なく「ヴェネツィアは素晴らしいよ」と笑顔で強調していた。国民にとっても人気の高い土地、それがヴェネツィアなのだ。
作者: AYA
更新日:2008年11月13日 14時34分
CASA VERARDO in Venezia , Italy (ホテル・カーサ・ヴェラルド)
HOTEL CASA VERARDO (ホテル・カーサ・ヴェラルド)。 ヴェネチアでは、絶対ここに泊まりたいと思っていたホテルだ。16世紀に建てられたという、もと貴族の館。外観といい内装といい、イタリアのエスプリとセンスが織りなす美しさと可愛らしさがある。 日本の旅行サイトでも紹介されていてそこには廉価な価格で掲載されているが、まず予約はできない。ホテルのサイトに直接申し込むがよろし。サマーシーズンは日本の5つ星ホテル並みの値段だけれど(笑)。 泊まる価値あり。一見の価値もあり。 ホテル内の小さなバー。深紅の壁と年代もののカウンター。調度品は、できる限り昔のままのものを保存しているのだそうだ。 4階建て、23室。家族経営のホテルで、オーナー夫妻ともよく顔を合わせたし、まるでフランス人形のような息子さんはカウンター業務をしている。目の保養にいい(笑)。 オーナー夫妻が飼っている犬もホテル内をうろちょろしているが、とても大人しい。名を、「ナポレオーネ」という。2階にあるPCコーナーにオーナーと一緒に行こうとすると、まるで会話を聞いていたかのように廊下を先に立って歩き、先にエレベータに乗り込んだ。恐るべし、ナポレオーネ。 ブレック・ファストは、屋内とテラスの二カ所が選べる。当然、テラスのほうが人気。ここの焼きたてのようなクロワッサンとカフェ・ラテは最高に美味しかった。 中庭。イタリアのホテルは総じて部屋が狭く、ここも例外ではなかった。といっても、ベッドもアンティークのクロゼットもすごく大きくて、それらが部屋を占領しているようなものではあった。 たまに部屋を抜け出して、1階の中庭へ降りてみた。こじんまりとしているが手入れが良く、読書をするには最適であった。
作者: AYA
更新日:2008年11月13日 2時5分
フィレンツェ こぼれ話
イタリアでは、日本でいうところのコンビニエンス・ストアは目にしなかった。小さな雑貨店はそれなりにあり、郵便局へ行かずともそういう店で切手も販売している。 日本を発つ前日にお世話になった方の退職の挨拶ハガキが届いていたので、それを労うハガキを出そうとフィレンツェでしたためた。 ホテルのすぐ近くにあったお店へ行くと、背の高い白髪のおじいちゃまがそれを見て切手代を言う。支払うと、そのおじいちゃまが切手をハガキに貼ってくれた。へえ〜貼ってくれるんだあ、とその手元をニコニコしながら見ていたら、怪訝な顔をされた。しかも、ハガキを戻してくれない。手を差し出すと、「出しておいてやる」のゼスチャー。サービス面において日本に勝る国はないだろうと思っていたので驚いた。 イタリアではカジュアルなレストランを「トラットリア」と呼ぶ。 (写真はホテルのブレックファスト・ルーム) フィレンツェの2日目の夜にトラットリアへ入り、英語のメニューをもってきてもらった。もってきてもらっても、全部が分かるわけではないのだが(笑)。 やっぱそのメニューの中にも知らない単語があり、聞くとウエイトレスはそりゃあ困った顔をした。だって彼女はイタリア人で、英語を話せるけれど日本語を知らない。英語で書かれたものを分からない日本人にどう説明しようか思案し、これで分かるか、という感じの表情をしてこう言った。「Popeye」。 (ほうれん草だ!) ポパイ。 世界共通語に認定することにした。
作者: AYA
更新日:2008年10月31日 3時39分