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トップ > セバスチャン > セバスチャン - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年11月21日 10時)
■『AERA』 現代の肖像/吉田修一
現在発売中の雑誌『AERA』No.52の連載特集『現代の肖像』に,作家の吉田修一が登場。
カラー写真1ページ,『文学の垣根を揺るがす圧倒的なリアル』と題された記事が4ページにわたって掲載されており,修一ファンならばぜひとも手元に持っておきたい特集記事に仕上がっている。
記事を執筆しているのはフリーライターの村尾国士氏。修一本人への取材,さらに彼を取り巻く人々への取材をもとに,彼の生い立ちからデビューに至るまでの軌跡が実に巧みに,そして非常にわかりやすくまとめてある。こうして修一を特集した雑誌記事は,これまでにもいくつかあったし,そのほとんどを購入しているけれども,今回の村尾氏による記事は,これまでのどの記事よりも読みごたえがあると思う。「ライター」を名乗りながらも素人みたいな輩も少なくない昨今,このようにプロの仕事を見せていただけることは本当に喜ばしい。ファンの一人として,修一に代わり,お礼を申し上げたいくらいだ。
「吉田修一」という作家を,「観察者」というキーワードから切り開いていこうとする村尾氏のアプローチは,実に的確で,最適な方法であると思う。いや,逆に,あまりにも正攻法すぎて,ディープなファンとしては,少し物足りないような気がしないわけでもない。どうせなら,もう少し斬新なキーワードを設定して欲しかったけれども,吉田修一にさほど興味がない一般層にとっては,こうしたアプローチこそが最上の入り口となりうるのだろうな。この記事を読み,「この作家,面白そうだな。ちょっと読んでみようかな」と手を伸ばしてくれる人がたくさん生まれてくれることを願おう。
ところで,今回の記事の中にこんなくだりがあった。
「吉田の真骨頂は,その場所に生きる人間たちの見えない心の振幅をあぶり出すところにある。いったいどんな視点で場所と人間を選び,切り取ってくるのか。」
こうした問いかけに対する修一の答が面白い。
「きれいか,きたないか,その基準だけです」
「きれいか,きたないか」――きわめてシンプルな言葉で表現された,非常に感覚的な判断基準である。それは,具体的にはどのようなものであるのだろうか。
たとえば,今年相次いだ無差別殺傷事件。ここで犯人たちは,それぞれ判で押したかのように「誰でもよかった」と口にする。それに対し,修一は次のように語る。
「コメンテーターなんかが,犯人の気持ちがわからないと言ってますが,わかるじゃないですか。わかるけど,僕はまったく関心がない。」その理由は「きれいじゃないから」。
さらに,「きれい/きたない」という判断基準は,「ケータイ小説」にも向けられる。
「いま流行のケータイ小説,あれも自分を伝えることしか考えてないでしょ? 僕にはきたないとしか思えず,興味がないんです」
ふむふむ,なるほどねえ。彼が言わんとしていること,なんとなくわかる気がする。今後,彼の作品を読むときは,この「きれい/きたない」というキーワードを意識しながら読み進めてみることにしよう。そこにはきっと,何か新しい発見がある筈だ。
最後に。
今年の9月に40歳になった彼は,「結婚にも子どもにも関心がない」という。
ええ,だからと言って,どーのこーのと勘繰るつもりなど毛頭ございません。関心がないのならば,それはそれでいいじゃありませんか。
彼には,今後も,心の底から「きれいだ」と思えるものだけをひたむきに追求していって欲しいと思う。
『悪人』を彼の代表作と見る人は多いだろうし,彼自身もまた,そうした自負を持っているようだけれども,『悪人』は彼にとって,一つの通過点に過ぎない筈だ。まだまだこれ以上のものを書けるでしょう。そう遠くない将来,『悪人』を遥かに凌駕するような,さらなる代表作が生まれることを願ってやみません。
作者:Jean
更新日:2008年11月19日 23時13分
■町山智浩/『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』
アメリカ大統領選はオバマ氏の勝利に終わった。
ちょうど選挙で盛り上がっている時期,タイトルに惹かれて手に取ってみたのがこれ。
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』。
いくらなんでも,「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」だなんて大げさ過ぎると思うのだけれど,これはナショナル・ジオグラフィック(全米地理学協会)が実施した調査の結果によるものらしい。パスポートを持っているアメリカ人は国民全体の2割に過ぎず,他の8割は外国にほとんど関心がない。18~24歳の88パーセントは世界地図を見てもアフガニスタンの場所がわからず,63パーセントはイラクの場所がわからなかった。「アメリカ人が外国に戦争をしかけるのは地理の勉強をするためだ」なんていうジョークもまんざらウソではないかも知れない。そして,アメリカ人の地理オンチは海外の地理に限ったものではなく,自国内地理も相当ヤバイようだ。前述のナショナル・ジオグラフィックの調査によれば,若者の5割がニューヨーク州の場所を示すことができなかったという。
わが国の若者もそう大差ないのかも知れないけれども,とりあえずは,「おそるべし,アメリカ」。
著者の町山氏は,アメリカ在住のコラムニストで映画評論家。彼がアメリカで生活する中で見聞きした笑うしかない馬鹿げたニュースを集めたのが本書である。その内容は,
第一章 暴走する宗教
第二章 デタラメな戦争
第三章 バブル経済と格差社会
第四章 腐った政治
第五章 ウソだらけのメディア
第六章 アメリカを救うのは誰か
といった具合に,政治,経済から,宗教,メディアに至るまで,多岐にわたっている。本書のタイトルからして,アメリカ人のトンデモぶりをあげつらい,無責任に笑う(嗤う)だけのおちゃらけ本かと思いきや,意外に真面目な内容で,初めて知ることや学ぶべきこと,「ほほう」と感心させられることが多い。中でも個人的に興味深いのは,アメリカに根強くはびこる同性愛嫌悪の風潮だ。ブッシュ率いる共和党は,同性愛に厳しく反対するキリスト教保守の票を集めるため,憲法でゲイの結婚を禁止したり,ゲイの軍人を解雇する法案を支持するなど,あの手この手で同性愛者たちを社会の隅へと追いやってきたのである。別に,同性愛を全面的に受け入れろだの,同性愛者差別を完全に撤廃せよだのと声高に要求するつもりはないけれども,選挙の票集めの材料として,あるいは自らの失策から国民の目を逸らすために同性愛者バッシングが用いられることには怒りや不快感を禁じえない。しかも,率先してゲイを叩いてみせる政治家たちの中に,いわゆる「隠れゲイ」も少なくはないというから,こりゃ困ったものである。「腐った政治」と言われても仕方ないであろう。
勝利宣言演説の中,しっかり「同性愛者」に対しても呼びかけてくれたオバマ氏。彼が大統領に就任することで,アメリカはどう変わっていくのだろうか。ナンダカンダ言いつつも,アメリカがしっかりしてくれないことには,わが国も,そして他の国々も,思うように前に進むことが出来ないのだ。そういう意味で,オバマ氏のリーダーシップに大いに期待したいと思う。
一方,わが国のリーダーはと言えば,漢字もろくに読めないことがバレてしまった。それを記者団から指摘されると,「単なる読み間違い,勘違いです!」と不機嫌に言い放ち,会見を打ち切っていたけれども,これは「単なる読み間違い」だの「勘違い」の域を超えている。「踏襲」を「ふしゅう」,「頻繁」を「はんざつ」,「未曾有」を「みぞうゆう」,「有無」を「ゆうむ」,「詳細」を「ようさい」……などなど,間違いの例は枚挙に遑がない(←これ,ちゃんと読めるかしら?)。ここまで読めないとなると,平均的社会人以下のレベルではないかと疑ってしまう。
近い将来,よその国で,わが国の首相のトンデモエピソードを集めた本なぞが出版されたりしないことを願うわん。あ,そんな本を準備しているうちにまた別の首相に代わってしまうか。
作者:Jean
更新日:2008年11月16日 11時58分
■沢木まひろ/『きみの背中で,僕は溺れる』
長距離の電車に乗る際,車内で読む本を持ってきていないことに気づいた。慌てて近くの書店に飛び込み,とりあえず簡単に読めて暇つぶしになりそうな文庫本を買い求める。そこで選んだのがこれ,
沢木まひろの『きみの背中で,僕は溺れる』。
……はあ…(溜息)。やれやれ。
ま,初めから容易に予想できた筈なんだけどね。いい歳こいて,たかが青年の寝顔写真ごときにふらふらとよろめいてしまった自分の浅はかさが悔しい。
そりゃ,とりあえず暇はつぶせたわけだから,その上でいちいち文句をつけるのはちょい図々しいとは思うのだけれど,ただ,いい歳こいたゲイとしては,やはり何かひとこと言わずにいらんないわけよ,この見事なまでにユルユルなオハナシに。
卒業を前に進路の決まらぬ大学生・祐司は,姉が連れてきた婚約者・佐野透に一目で恋に落ちた。だが姉の幸せのため,自分の気持ちを封じようとする。そんな祐司を誘い出したのは,透のほうだった……。祐司と透,それぞれの孤独と,止めようのない恋。痛いほど純粋な愛が切々と胸を打つ,第1回ダ・ヴィンチ文学賞優秀賞受賞作に,その後の祐司を描いた書き下ろし1編を追加収録。【文庫本カバーより】
あひー。なんだか,下世話な主婦向け番組の再現VTRにありそうな話だこと。「実録・女の事件簿!弟に婚約者を寝取られた私!!」みたいなノリね。
ま,いわゆるケータイ小説の類に比べたら,この作品の場合,とりあえずちゃんとした日本語で綴られているため,その点では安心できる。「見あげた瞳は深すぎる湖のように黒く澄んでいた」だの「初めて触れる女の子のからだは,未知の楽器のようだった」だのと,随所に(かなり陳腐ではあるけれど)比喩的表現なども織り交ぜてあり,作者なりにブンガクを目指したのであろうことが窺える。
でもねえ……。
『But Beautiful』と題された第1回ダ・ヴィンチ文学賞優秀賞受賞作だけど,作品が始まるのが7ページ。出だしはこうだ。親友の瞬が,つきあっている女と強引に別れるために,祐司にひと芝居打つよう頼み,瞬と祐司とがホモの恋人同士であるフリをしてみせる。あちゃー,オープニングから早くも安さ爆発。今どき,低予算三流ドラマでもこんなシーン,恥ずかしくて入れないだろ。
そして,祐司の姉に縁談が来たのが12ページ,その縁談相手である佐野透が玄関を入ってきて祐司の目の前に姿を現すのが13ページ。ひゃー,なんだかやけに展開速いなあ。で,続く14ページを読んで吃驚仰天。
祐司,いきなり夢精してやんの。大学4年生,22歳で夢精かよっ!!
始まってからまだ7ページしか読んでいないのにこれである。電車の中でこの箇所を読んだ時,誇張ではなく,本当に椅子からずり落ちそうになってしまった。
いやあ,小中学生ならいざ知らず,大学4年生で夢精ですか。姉貴が連れてきた男に一目惚れしちゃいましたか。
中学にあがったころから,なんどみたかわからない夢だ。ぼくは泳げるはずなのだがそこではなぜか溺れていて,もうだめだと思ったとき,だれかに助けられる。うれしさとなつかしさとでいっぱいになり,すがりついた指の先にまっすぐな背筋が触れてくる。姿をちゃんと見たいのに,全容がつかめない。すべすべと広い胸,ジェットコースターの安全バー並みに頼もしい腕,首筋をとらえる大きな手,――目に入るのは美しいからだの断片ばかりで,やがて冷たい魚のようなものが歯列を割って入ってくる。
いつもはそこまでなのだ。ところがその晩初めて視線がからんだ。そうだったのか。思ったとたん稲妻に貫かれる感覚とともに目が覚めて,ぼくは射精していた。久しぶりに風呂場でこっそり下着を洗濯するはめになった。(14)
うーん,凄い。激しい感動のあまり(←勿論,ネガティブな意味です),「キィーッ!」と叫びながら電車の床に本を思いっきり叩きつけたい衝動に駆られてしまうじゃありませんか。
姉が家に連れてきた見合い相手が,写真で見るよりもずっといい男だった。で,その晩,昔からいつも見ていた夢の中にその男が登場し,夢精し,自分が漠然と憧れを抱いていた夢の人が現実に目の前に現れたことを知るのである。ひぃー,もう勘弁してよー。お茶でも飲みながら読んでいたら,絶対に噴き出していたに違いない。
それにしても,平成の世もすでに20年,かつてのスーパーアイドル聖子ちゃんが白髪染めのCMに出る時代だというのに,どうしたらこんなに大真面目に夢の中に出てくる人だの夢精だのを描写できるのだろうか。ここまで陳腐な描写が出てきた時点で(読み始めてからまだ7ページ目ですけどね),自分の中でこの作品は,完全に「ネタ」と化してしまう。これ以降も,突っ込みどころ満載,ご都合主義のオンパレード。それらを一つ一つ挙げていきたい気もするけれど,それではとてもこちらの身がもたない。とにもかくにも,この14ページのインパクトが強すぎて,後はもうどうでもいいという投げやりな気持ちになってしまうのよねん。興味のある方は,書店にて現物をお求めの上,ご確認ください。
ところで,このネタ…じゃなかった,作品を読みながら,絶えず頭に浮かんでいたのは,かつて渡辺淳一センセイが直木賞選考の折に,佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』を評して言ったこの言葉である。
作家が異性を書くときは、その異性の感性から生理まで書ける自信がなくして、簡単に挑むべきではない。
あらら,さすがは大御所。なんて厳しいお言葉であろう。
ま,こんな水戸黄門の印籠のような言葉を突きつけられた日にゃ,妄想に支えられたボーイズなんちゃら系作品のほとんどが息の根を止められてしまうのだろうけどね。この作者サンも,どうしてわざわざ夢精なんて厄介な生理現象を書こうと思ったのだろう。よっぽど自信があったのか? これ,男の自分が書こうと思っても,そうそう書けるものではないぞ。無理せず,オナニーシーンくらいにしときゃ良かったものを。尤も,オナニーシーンだって簡単に挑むべきではないと思うけどさ。
小説は年に1~2冊読むくらい,といったヒトならばそれなりに楽しめるかも知れないけれど,とりあえず知性と教養と分別のある,いい歳こいたオトナの方々にはおすすめしない。世の中にはこれ以外にも読むべき本が腐るほどある。
作者:Jean
更新日:2008年11月11日 0時39分
■吉田修一/『元職員』
講談社創業100周年記念出版「書き下ろし100冊」の第一弾として刊行された吉田修一の『元職員』を読んだ。
〔*以後,一部ネタばれ的記述がありますので,これから本作品をお読みになられる方はご注意ください〕
栃木県のとある公社職員の片桐は,一人でタイのバンコクを訪れる。タイは学生時代に一度,卒業旅行で訪れたことがあったものの,十数年の時を経て再び訪れたバンコクは,以前とは比べ物にならないほどの大都会へと変貌を遂げていた。この地で片桐は,武志という二十代の青年と出会う。こちらのレストランで働いて3年になるという彼は,タイ語にも堪能で,一人旅の片桐に夜のバンコクを案内してくれる。そこで武志から,ミントと名乗る美しい娼婦を紹介される片桐。二人は,片桐が宿泊する五つ星の高級ホテルにて一夜を共にする。翌朝,プールサイドにて優雅に朝食を楽しんでいる最中,片桐の中に突如,過去の一場面の記憶が蘇った。激しく混乱し,動転した彼は,咄嗟にミントに金を押し付けると,そのまま彼女をホテルから追い出してしまう――。
単行本に巻かれた帯には,「吉田修一が到達した最高の『犯罪文学』。」とある。
うーん,「犯罪文学」ねえ。
おそらくこれは,高い評価を得た『悪人』からの流れをアピールしたいものと思われる。『悪人』,『さよなら渓谷』,そしてこの『元職員』。確かにこれらの三作品は,主人公が何らかの罪を犯すという点で共通してはいるけれど,しかし,だからと言って,「犯罪文学」なる語で括られてしまうと,どうも違和感を覚えてしまうのよねん。いずれの場合も,犯罪そのものを描写した箇所はほとんどなく,むしろそれ以後の人間ドラマに重点が置かれている。今回の『元職員』においては,会計の仕事を任されている片桐が公社の金を横領し,使い込んでしまうのだけれども,その事実はまだ発覚しておらず,作品の終了時点においてもなお,発覚しないままであり続ける。そんなわけだから,テレビのサスペンス劇場のような「追いつ追われつ」的展開を想像しながら読む読者は,完全に肩透かしを食ってしまうことであろう。「犯罪小説」などという言葉では,そうした誤解を生じさせかねない。
修一自身の言葉を借りれば,これは「『何かから逃げ続ける』という行為を,善悪のどちらにも寄らずに描いた」【講談社HP】作品である。作者は,「逃げ続けるという行為の行き着く先は,結局,自分自身を騙せるかどうかなのではないか」という地平から物語を構成しているのだ。
「逃げ続ける」主人公・片桐が,バンコクの地で目にするさまざまな風景――都会の喧騒と猥雑さ,現地に生きる日本人・武志,日本人観光客の横柄な態度,娼婦,敗北するムエタイ選手など――は,一見,ばらばらで無関係のようでありながらも,確実に彼の心を揺らし,突き動かしていく。バンコクでの数日間の経験を通じ,彼の内面では,「堂々としていれば,悪事などバレるわけがないという気持ちは,時間が経つにつれてますます強くなっていた。強まるどころか,それは確信に変わり,なぜバレるのかが分からな」くさえなっていった(165)。そして,彼の「逃れ」は,やがて,横領という行為そのものから「逃れる」ことだけではなく,彼の日常そのものからの「逃れ」へと押し広げられるに至る。逃れの果てに,彼は,自分自身をも騙して生きることに,自らの着地点を見出したのである。それが善いことなのか悪いことなのか,そして彼はこの先どうなるのか。そうした一切について,語られることはない。
単行本で166ページ。活字が大きめなので,あっという間に読み終わってしまい,ページ数よりも短い印象を受ける。ちょっと長めの短編作品,といった趣であろうか。
それにしても,「書き下ろし100冊シリーズ」で同時刊行の本多孝好氏の『チェーン・ポイズン』が気合の入った美しい装丁の本である一方,どうして修一の『元職人』はこんなにあっさりした装丁なのだろうか。カバーの紙もザラ紙風のガサガサした手触りで,色も地味なネズミ色。挿画も落書き風のタッチで,なんだか必要以上にシンプル。まさか,「公社職員をイメージしたらこうなった」,ってわけではないでしょうね。もうちょっとキレイにしてくれてもよかっただろうに。
作者:Jean
更新日:2008年11月9日 21時12分
▼当たルンです
机の周りの片付けをしていたところ,先月購入した「オータムジャンボ」宝くじが出てきた。
おお,そうだそうだ,買ったまますっかり忘れていた。見れば,既に先月22日に抽選が終わっているではないか。
宝くじは割とよく買ってはいるものの,なかなか当たってくれない。ま,いつも10枚(3000円)しか買っていないからね。これまでに何度か(2,3度くらい?)3000円が当たったことはあるものの,それさえもここ数年はすっかりご無沙汰だ。
今回もどうせ末等の300円なんでしょ,と期待感ゼロで宝くじのHPにアクセスしてみたところ……
あらま,びっくり! 5等の10,000円が当たっている!!
たかが1万円とバカにすることなかれ。5等1万円は,390,000本しかないのだ。日本全国で何千万枚と売れた中での390,000本である。これは大いに誇るべきことであろう。とりあえず自分の中では,これまでの最高当選額。
さあ,今月末からは,いよいよ年末ジャンボの発売だ。
次は今回よりももっともっと大きな当たりを引き寄せるぞ。信じる者にこそ福は訪れるのだ。
二転三転する定額給付金構想なんぞに甘い期待を抱いたりせず,自分の富は自分で引き寄せましょ。どどーん!と,凄いスケールでね。
作者:Jean
更新日:2008年11月8日 13時17分
●秋深し
休日のお楽しみといえば,普段は観ることの出来ない朝のワイドショーをのんびりウォッチすること。遅めの朝食をとりながら,リモコンを握り,あちらへこちらへとチャンネルを移動しては,愚にも付かぬような芸能の話題をヘラヘラとチェックしていく。ああ,こんなお気楽な生活,毎日続けられたらいいのに。
さて,今朝のワイドショーでは,先ごろ結婚を発表したハセキョーとポルノ・ハルイチが,昨日,それぞれ別々のイベントに参加したという話題が取り上げられていた。
ハセキョーといえば,英明主演ドラマで英明の相手役を務めたりもしていたから,とりあえず顔や名前はきちんと認識してはいたものの,どうもこちらのゲイ的感性に訴えかけてくるようなものをほとんど感じられず。それゆえ,自分の中では,星の数ほどもいる「女性タレントの一人」という程度の印象しか持っていなかった。
一方のハルイチ。僕は普段,Jポップ(とりわけチャートの上位に入っているようなアーティストの曲)をほとんど聴かないので,それゆえ「ハルイチ」という名を聞いても,さっぱり顔が思い浮かばない。二人の電撃結婚が報じられた際,ネットで画像を確認し,ようやく「ああ,この人かあ。見たことある」とわかったような状態だ。しかし,こうして改めて見てみると,なかなかカッコイイ顔をしている。うん,キライじゃない。好きな系統の顔立ちである。不思議なもので,これまで歯牙にもひっかけなかったくせに,こうして他の女のものになったということを知るや,俄かに「悔しさ」に似た感情が湧き起こってきたりするのよねん。こーゆー自分みたいな人間が「略奪愛」だとか「修羅場」だとかの昼メロ的シチュエーションに必要以上に燃えてしまうのかしらん。確かに,一度はそうしたシチュエーションの当事者になってみたいものだけどさ。いい歳こいて夢見がちなゲイでごめんあそばせ。
で,ようやく本題。今朝のワイドショーによると,この二人が出会ったきっかけというのが「句会」だったという。これは,女流俳人の黛まどか氏が主宰する「百夜句会」という集まりで,芸能人・有名人たちによる会員制の会なのだとか。男女が向かい合って座り,小粋にワインなぞ飲みながら恋の句を詠んだりするのだという。
なるほどー。女優とミュージシャン,一見,あまり接点のないように思える二人が出会ったきっかけは,こんなところにあったのね。ここで互いに恋の句を詠んだりしているうちに,一気に燃え上がってしまったということなのだろうか。
それにしても,ハセキョーだの,ポルノ・ハルイチだの,どちらかと言えば俳句などには興味がなさそうなイメージの人たちが,そうした集まりに顔を出していたというのはちょっとした驚きである。
かく言うこの僕も,10代や20代の頃だったら,俳句だの短歌だのは,あっさりスルーしていたであろう。しかしながら,以前は西洋志向一辺倒であった自分の趣味嗜好が,年齢を重ねるごとに,少しずつ日本的なものへも向けられるようになってきた。
見事に咲き誇る桜の木を見上げながら,「世の中にたえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし」などと,高校時代の古典で習った業平の歌を口にしてみたり,花見帰りの列車の中で心地よい疲労感とともにうとうとしながら,「ああ,こういうのを『花草臥(はなくたぶる)』とか『花疲れ』と言うんだな」などと一人悦に入ってみたり。あるいは,真夏の陽射しの中,タンクトップやTシャツに身を包んだ青年たちの逞しい胸板をうっとり見つめながら,「おそるべき君等の乳房夏来る」などという句をふと思い出してみたり(注・オリジナルは女性たちの乳房を詠んだものです)。
そう,年齢を重ねることは,悪いことばかりでもない。若いときには気にも留めなかった季節のささやかな変化が,五感を通じ,実にいきいきと感じ取られるようになってくるのだ。そして,それなりの分別やら教養(らしきもの)やらを身につけた今,自分が感じ取ったものを,自らの言葉で表現してみたい!という欲求を覚えるようになってきた。それも横文字や流行りの若者言葉などではなく,美しい日本語でだ。十代の頃は,洋楽の歌詞やら洋画の台詞を暗記し,なめらかに発音してみることがたまらなくカッコいいことのように思えたものだけれども,今はそうした気持ちは薄れつつある。それよりも,母国語の豊かさと奥深さにどっぷりと浸り,その中でのびのびと戯れてみたい。肩肘張らず,しなやかに。
そんなこんなもあって,この春から小学館より刊行されている『週刊 日本の歳時記』なる分冊百科をちょこちょこと立ち読みしたり,買い求めたりしているワタクシ。毎号紹介される「今週の季語」に「ほほう」と感心し,美しい日本の景色を収めた写真に息を呑む。
うーん,いいねえ。いつかは自分もここに収められているような句をさらりと詠んでみたいものである。俳句だけではなく短歌でもいい。
それが恋する「誰か」を詠んだものであれば最高なんだけどな。あるいは自分の詠んだ句や歌が,まだ見ぬ「誰か」の心を震わせるような力を持ち得るとするならば,こんなに喜ばしいことはない。
「恋愛に言葉はいらない」――それはそれで一つの真実だと思う。けれども,言葉とともに育まれ,言葉によって深まっていく,この歳になったらそんな恋愛を目指していかなけりゃダメだわな,と一人静かに思う十一月の夜。
作者:Jean
更新日:2008年11月3日 22時52分
♪周杰倫/『魔杰座』
待ってました!ジェイ・チョウのニューアルバム。
昨年のジャケットはカウボーイ姿,そして今年はまるでコンピューター・ゲームかファンタジー映画の主人公を思わせるSFチックな戦士姿でキメている。ジェイのコスプレ道もここに極まれり!とでもいわんばかりの気合に満ちたジャケットで,パッケージを開ける前から大いに期待をかきたててくれるではないか。
このジャケットワークのコンセプトは,オープニングチューンの『龍戦騎士』のイメージから導き出されたものなのだろうな。スピード感に満ち,スケールの大きなロックチューンに仕上がっている。残念ながら歌詞の内容がわからないので(輸入盤なので日本語対訳がついていないのだ),自分のイマジネーションを膨らませるしかないのだけれど,サウンド的にはかなりドラマチックな展開である。さながら,耳で聴く「SFファンタジー映画」といったところであろうか。オマケのDVDには,この曲のPVを収録して欲しかったなあ。戦士の鎧を身に纏い,魔剣を振りかざすジェイの姿を是非見たいものである。
しかし,SFチックな壮大なイメージの曲はこれくらいで,いつものように美メロバラードもたっぷり収録されている。オマケDVDに収録された『給我一首歌的時間』もいいけれど,美しいピアノの旋律が印象的な6曲目の『説好的幸福呢』【⇒YouTube】がいい。7曲目の『蘭亭序』では中華風アレンジに心を癒される。
また,ジェイお得意のラップを盛り込んだ3曲目の『蛇舞』は,女性ヴォーカルをフィーチャーし,どこか中近東風な無国籍的サウンドが面白い。そしてこれまた無国籍風アプローチの『喬克叔叔』は,ツボをおさえたキャッチーなテンポとサウンドで,思わずリピートしたくなる。
そうそう,5曲目の『魔術先生』は,昨年の『牛仔很忙』の続編的カントリーポップス。ヨーデル風のボーカルまで披露してくれちゃって,凄まじいほどのエンターテイナーぶりだ。楽しいったらありゃしない。
さて,ジェイのアルバムのお楽しみといえば,豪華な付録だ。幾つかのパターンがあり,好きなオマケを選べるようになっているのだけれど,僕がチョイスしたのは来年のカレンダーとトランプがついたもの。他にはジェイのルービックキューブがついたものや,スチールケースに入ったものなどがある。カレンダーもトランプも,どちらももったいなくてまだ開けていないのだけれど,マジシャンに扮したジェイの写真がふんだんに盛り込まれているようだ。どうせなら,一枚くらいサービスで裸写真も混ぜてあると嬉しいんだけどな(さすがにそりゃ無理か)。
作者:Jean
更新日:2008年11月1日 12時24分
◎愛しのtouch
ああ,どうしてこんなに愛しいのでありましょう。
先日購入したiPod touch(第2世代)。どこへ行くにも一緒,使えば使うほど好きになる。こんなにクールで機能的なアイテムを開発してくれた林檎社の方々に,心の底からお礼を言いたい。どうもありがとう!!
いつもこちらのブログをお読みいただいている方の中にはご記憶の方もいらっしゃるかも知れないが,実は昨年秋,僕はソニーのウォークマンを購入しているのだ。動画再生機能付きのモデルへと切り替わる前の旧タイプ。生産終了のために店頭から姿を消してしまう前に急いで買い求めたものである。その時に記した記事がこちら。この記事の中で,僕はこんなことを書いていた。
「なにも今さら生産終了モデルを買ったりせず,どうせなら最新モデルを買えばいいのに」という声もあろう。でも,自分くらいの年齢になると,敢えて「最新」という名の大波をやり過ごし,静けさと落ち着きを取り戻した遠浅の海でチャプチャプ遊んでいるくらいの方が楽でいいのよねん。最新の携帯音楽プレーヤーには,動画再生機能が当たり前のようについていたりする。しかし,とりあえず今現在の自分には不必要な機能だし,それよりも自分が本当に気に入ったデザインのものを持ち歩きたい。
【SONY WALKMAN―17 till I die 2007.10.2.】
キャッ! たった一年前のことでしかないというのに,よくもまあ,こんなジジくさいことを滔々と語っていたものである。我がことながら吃驚してしまうではないか。一年前といえば,年齢の上では現在よりも若かったにもかかわらず(←あたりまえだ),精神的にはこんなに落ち着いていたというか老成していたのね。なんつーか,必要以上に三十代後半という年齢を意識し,自発的に人生のメインストリートから一歩引き下がり,楚々とふるまうことに美徳でも見出していたのかしらん。
しかし,この時に購入したウォークマン,なんと一年も経たぬうちに壊れてしまったのだ。慌てて保証書を探してみるものの,今春の引越しの際にどこかへ紛れ込んでしまったらしく,探せども探せども見つからない。ったく,こちらは上掲記事の中にも書いているように,約20年ぶりに手にするソニーのウォークマン(勿論,カセットテープ時代から数えての話である)を使い込みながら「無理せず,豊かに年齢を重ねていきたいものである」などと涙が出るほどいじらしい抱負を述べていたというのに,ウォークマンの方がこんなにもあっさり昇天してしまっていいものだろうか。腹立たしいやら呆れるやら。勘弁してよぉ,ソニー。
そんなわけで,ウォークマンから再びiPodへ逆戻りを決意したワタクシ。ええ,今度は誰に憚ることなく思いっきり最新式ざます。
タッチパネル式インターフェイスの快適さに「おお!」と胸を熱くし,携帯電話よりもずっと大きなスクリーンで観る動画の美しさに「ひぃー」と声をあげる。お利口な機能満載で,思わず頭をなでなでしてやりたいくらい。個人的に嬉しいのが,アルバムジャケット画像を屏風のように表示し,それをパラパラと指先でめくりながらお目当てのものを探せる機能だ。iTunesにないジャケットは,自分の手持ちのジャケットをスキャンして取り込んだり,ネットで探してダウンロードしたものを取り込んだりして,どんどん自分だけのライブラリーを充実させていくこの楽しさときたらどうだ。こういう細々とした作業が嫌いじゃない自分にとって,時間を忘れて没頭できる楽しい作業である。勿論,可愛い子には可愛いおべべも必要。奮発して購入したレザー製の小粋なケースを着せてやり,どこに出しても恥ずかしくないオシャレさんにしてやった。これって,もしかしたら「親バカ」の変種かしらん。
秋晴れの清々しい日が続く東京。この連休は,愛しきtouchを胸ポケットに入れ,深まりゆく季節を満喫するために普段出かけないようなところへ足を延ばしてみようかな。
作者:Jean
更新日:2008年10月30日 20時42分
■伊坂幸太郎/『モダンタイムス』
伊坂幸太郎の最新刊『モダンタイムス』を読んだ。
青年漫画誌『モーニング』にて連載されていた小説ということで,通常版の他に,連載時の挿画(花沢健吾)を完全収録した特別版が発売されている。どうせなら絵もあった方が楽しめるだろう,ということで,特別版を購入。しかし,挿画の分,ページ数が増えるだけでなく,通常版に比べて厚めの紙を使用しているために,やたらと分厚く,そしてずしりと重い本となった。これでは鞄に入れて持ち歩くというわけにはいかず,家で読むよりほかない。でも,仕事で疲れて帰宅した後では,なかなかまとまった時間が取れず,結果として,読み終えるまでに思っていた以上の日数を費やしてしまった。ふー。
システムエンジニアの渡辺拓海は,自宅マンションに帰宅した直後,何者かに殴られ,気を失ってしまう。意識を取り戻した彼は,自分が椅子に縛りつけられていることに気づくとともに,見知らぬ髭面の男が目の前にいることに気づく。この髭面の男・岡本猛は,渡辺が浮気をしていることを知った妻・佳代子の依頼を受け,渡辺を甚振りながら浮気相手の名を白状させようとするのであった。
どうにかこうにか危機を脱し,翌日はまたいつものように会社へと向かう渡辺。そこで彼は,新たなる取引先との仕事に出向くよう命じられる。それは出会い系サイトを開発するという仕事であったが,どうも様子がおかしい。先に出向いて仕事を始めていた先輩社員・五反田が謎の失踪を遂げ,連絡がつかなくなっていたのだ。また,発注元に連絡をとろうにも,こちらも全く埒が開かない。いぶかりながらも仕事を続けていた渡辺と後輩の大石倉之助らは,サイトのプログラムに暗号が仕掛けられていることを知る。それは非常に複雑で高度な検索語解析システムであり,ある特定の言葉でインターネットの検索をかけてきた人間の情報をキャッチできる仕組みになっているようであった。一体,どうしてこれほどまでに手の込んだことが行われているのか。キーワードとして浮かび上がってきたのは「播磨崎中学校」。数年前,この学校に武装した集団が侵入し,生徒らを大量に殺害するという忌まわしい事件のあった学校である。どうやらこの校名に加え,いくつかの人名や語を絡めて検索すると,その人間の身には,決まって何らかの危険が及ぶらしい。そんな時,後輩の大石が集団痴漢事件の首謀者として逮捕されたという知らせが入った。そう,彼もまた,例の語を入れて検索をしたのである――
ふー。さすがは伊坂作品最長の1200枚。「ちょっとあらすじを…」などと思って書き始めてはみたものの,とても短く簡単にまとめきれるものではない。上に記した内容など,ほんの幕開けの部分でしかなく,物語がぐいぐい加速していくのはこれからなのだ。伊坂作品ならではの,複雑で,しかし遊び心に満ちた,一級の娯楽作品。興味のある方には,ぜひともじかに手に取って読んでみることをおすすめしたい。
本作品は,彼が数年前に発表した小説『魔王』の続編として位置づけられている。『魔王』から50年後,徴兵制が敷かれている日本を舞台とし,『魔王』の登場人物であった安藤潤也,詩織,犬養らも出てくるとあって,伊坂ファンにはおいしさ倍増といったところである。
ただ,漫画雑誌での連載という実験的試みによるものだからであろうか,正直なところ,他の幸太郎作品につきものの爽快な疾走感というようなものがあまり感じられないような気がした。聞けば,この連載を抱えている時期に,並行して『ゴールデンスランバー』を書き下ろしていたのだという。そう言われてみれば,両者にはかなり共通する部分もあるように思えるけれど,あちらが伊坂幸太郎「らしさ」を存分に凝縮し,実に巧みにまとめあげられていたのと比べると,こちらは少々,冗長な印象を覚えてしまう。なんと言ってもこの長さである。この題材であれば,もう少しスリムに絞ってくれた方がずっと読みやすくなり,最後まで緊張感を保てると思うんだけどな。
ところで,これは個人の好みによるものなのだけれど,暴力描写があまり得意ではない自分にとって,爪を剥ぐだの指を切断するだの眼を潰すだの,そのテのシーンにはやはりどうしても不快感を抱いてしまう。しかも,今回は挿画つきだ。いわゆる漫画のタッチであったとしても,爪にペンチがあてられていたり,指にハサミがあてられているような絵は,出来ることならあまり見たくないものだし,文字の上でも読みたくはないものだ。そりゃ,物語を構成する上で,こうした暴力描写がどうしても必要ということもあるだろう。しかし,今回の『モダンタイムス』の場合,果たしてそこまでの必然性があったのだろうか。それらがなかったとしても,十分成り立つ内容だと思うのだけどな。もしかしたら,漫画雑誌での連載ということで,読者の好みやニーズに合わせて盛り込まれたものだったりする?
そういえば,以前,こちらのブログにも取り上げた漫画版『魔王 JUVENILE REMIX』を読んだ時,「面白いことは面白いけど,なにもここまで派手であからさまな暴力描写を入れなくてもいいのではないだろうか」といった印象を持つとともに,「イマドキの漫画では,これくらいの暴力描写はあたりまえなのだろうか。あるいは,むしろ必須要素にでもなっているのだろうか」という疑問を覚えたものである。自分が普段,ほとんど漫画を読まないため,詳しいことはよくわからないのだけれども,日頃から漫画を読みまくっている層には,これくらいの暴力描写など,屁でもなかったりするのかしらん。
ま,世の中にはもっともっと残虐な描写を盛り込んだ漫画などいくらでもあるようだし,今や小中学生でも顔色ひとつ変えずに暴力的なテレビゲームに没頭している時代だもんね。『モダンタイムス』に描かれたような近未来の日本では,暴力的なものがさらに日常的なものとなり(物語の中では,徴兵制が敷かれているのだ),暴力に対するわれわれの感覚も今よりもっと鈍くなっていたり――するのかなあ。思わず,微かな恐怖を感じてしまう。
さてさて,『モダンタイムス』発売に先がけて発売された『IN POCKET』9月号は伊坂幸太郎特集。彼のロングインタビューが掲載されている。
ここでは,『魔王』と『モダンタイムス』の繋がりについても語られているため,ファンとしてはなかなか興味深い。『魔王』で登場した腹話術能力は,『モダンタイムス』の渡辺にも受け継がれているわけだけれど,ラストにほど近い55章のラストで,この能力が実に粋で洒落た使われ方をする。クサイ使われ方だと感じる人も少なくはないかも知れないけれども,僕は嫌いじゃないな,これ。この作品の中で最も好きな場面の一つだ。なんとなく好きになれずにいた佳代子のキャラも,ここに至り,一気に魅力的なものへと感じられるようになるのだ。幸太郎の伏線回収の巧さ,オチのつけ方の巧さがしっかりと発揮されている。
最後に。
特別版の第一刷をお持ちの方はチェックしていただきたいのだけれど,434ページ下段9行目,これは明らかに誤植ですよね? どうしてこんな風に印刷されてしまったのでしょう。
作者:Jean
更新日:2008年10月26日 15時16分
★「ヒーロー」としての英明
先日,某大手酒造メーカーより新発売された発泡酒『スト×ング・セ×ン』。この商品のCMキャラクターを務めているのが英明である。
実は,恥ずかしながら,彼がこの新製品のCMをしていることを昨日まで知らなかった。英明ウォッチャーとしては情けない限りである。たまたま電車の中吊広告を眺めていたら,「!!」と眼を奪われるいい男の写真に出くわし,近づいてよく見てみたらそれが英明だったというわけだ。
帰宅し,早速ネットで商品のページにアクセスしてみる。あったあった,15秒バージョンと30秒バージョン,2種類のCMがアップされている。
あらま,カッコイイ! うまい具合に年齢を重ねてくれているようで,ぐぐっと男らしさが増している。こりゃ電車のポスターにも眼を奪われるわけだ。
CMの中,英明は黒いロングコートの裾を風に靡かせながら登場する。メーカーのHPによれば,「今という時代を生き抜く大人たちにエールをおくるため,都会に降臨してきたヒーローのように,街を望み,力強い表情を見せる」英明,という設定らしい。なんだかよくわからんコンセプトだけど,まあいい。とりあえずコンセプトは「ヒーロー」なのね。ヒーローものといえば,これは『マトリックス』の影響であろうか,「ヒーロー=ロングコート」「ロングコート=ヒーロー」という図式がすっかりお約束と化しているようだ。でも,だからと言って,何もこんなに馬鹿正直にお約束を踏襲しなくてもいいのに。
そしてさらに。ロングコートだけではまだ足りないのか,CMのバックには中村あゆみのヒット曲『翼の折れたエンジェル』が流れている。あらま嬉しい,われらアラフォー世代にはまさにど真ん中,なつかしの青春ソングである。CMで使われているのは例のサビの部分だ。
♪もし俺がヒーローだったら 悲しみを近づけやしないのに
くーっ,畳み掛けるねえ。ロングコートの上にこの曲。「これでもか!」と言わんばかりの「ヒーロー」攻勢ではありませんか。
しかし,こうして外部からやや過剰気味に付与された「ヒーロー」というイメージに対し,英明が引けを取っていないところが素晴らしい。このCMの中での彼は,実に自然に「ヒーロー」っぽい空気を醸し出している。考えてみれば,彼も芸能界でのキャリアが既に10年を超えているのだ。その間,数々のCM,ドラマ,映画に出演し,今度はいよいよ正月映画の主演作が公開されようとしているのである。大作で主演を張ることにより,またひとつ大きな自信を得たのであろう。外側からゴテゴテと「ヒーロー」のイメージを着せられるだけではなく,今や自分自身の内側から「ヒーロー」的オーラを発することが出来る存在になってきたようだ。うーん,立派立派。ウォッチャーとしても嬉しい限り。
こちらのCM,近いうちに第二弾「強さをください」篇も公開されるようで。今度はどんな姿を見せてくれるのか,楽しみに待ちましょう。
*10月25日(土)の朝日新聞朝刊に,同商品の一面広告が掲載されている。なかなかのインパクトざます。
作者:Jean
更新日:2008年10月24日 23時58分