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トップ > ヒント > ヒント - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月5日 6時)

この駅ど~こだ? Vol.14

久しぶりの、どこの駅シリーズです。今回も難易度は高いのではないかと
思います。

まずは、駅の改札付近。大きな駅ではありません。
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次に駅の東口の様子。特に特徴はありません。
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では、西口に移動してみます。これも、平凡な風景ですね。
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その西口には、駅開設の記念碑や、何だかわからない銅像があります。
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最後に、再度東口に戻って、駅舎の写真。この写真を見せられても、私も
分からないかもしれません。
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どうですか?特徴的なものがないので、少なくとも、行った事もない方には
分かりようがないでしょうね。
では、答えは、と言うと。。。
答えは、JR京浜東北線の蕨駅でした。
毎度毎度の地元ネタですみません。
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蕨駅は、1893年7月1日の開業と、かなり古い駅の1つではあります。
かつては、駅の西北に日本車両製造の工場があり、また住友セメントの専用線も存在。
更に、昭和59年までは小口貨物・手荷物等の営業を行っていたことから、その当時は
現在の線路の西側に大きく貨物専用の線路が拡がっていたそうです。

蕨駅の話はこれくらいにしますが、先般、いつも訪問いただいているmorimoさんから、
カラーマンホールなんて有ったりします?」との質問がありましたので、
それがどういうものを言うのかもよく分からないまま、再度前回行った場所を
中心に足元のマンホールをチェックしてみました。

まずは、先般の記事(http://kyouichi.blog.so-net.ne.jp/2008-12-28)の中でも写真を
掲載したマンホールは、場所によってちゃんと色がありました。三度笠(?)の部分などが
黄色や白に塗ってありました。蕨宿付近のマンホールはすべてこのタイプでした。

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また、別の場所では、こんなマンホールもありました。
この手のマンホールをカラーマンホールって言うんですかね?
morimoさん、あるいは別のどなたか、教えて下さい。また、次なる指示があれば、
更に調査を続行します。
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ちなみに、上のマンホールを見かけたのは、このあたりです。

蕨市中央

作者:take

更新日:2009年1月4日 17時44分

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高幡不動で初詣

みなさま、改めまして、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願い致します。

さて、お正月と言えば初詣、ですが、我が家は例年、初詣に行く事はほとんどありません
でしたが、今年は長男が高校受験、ということで、何年かぶりに初詣に行ってまいりました。
都合の良い時だけの神頼み、で、突然お参りしてもご利益がないかもしれませんが、
ここはおすがりするしかない、という事で。
で、初詣の場所に選んだのが、生まれ育った実家の近く、高幡山明王院金剛寺、通称
高幡不動(尊)です。

この高幡不動は、今から1100年以上前の平安時代初期に不動堂が建てられたことに
始まる、というかなり由緒あるお寺です。
有名なのが、重要文化財でもある仁王門と不動堂。
不動堂は1342年に山中にあったものを移築したもので、都内最古の文化財建造物
だそうです。仁王門も続いて建てられたもので、これも重要文化財です。

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(仁王門です)

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(不動堂。初詣の人出で大賑わいでした)

不動堂の奥には、かつて薬師丸ひろ子がTV「ザ・ベストテン」で中継で、ここの
最上階にて歌ったことでも有名な五重塔があります。
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また、ここは新撰組の土方歳三の菩提寺ということで、土方歳三の立派な銅像も
あります。
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紅い弁天橋の架かる弁天池は、亀がたくさんいることで有名なんですが、
さすがに真冬のせいか、昨日は全く見かけませんでした。
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とまぁ、かつての地元のPRを兼ねて、高幡不動を簡単に紹介させて頂きました。
本来、交通安全祈願で有名で、学業の神様(仏様)、といった話はあまり聞きませんが、
実は、長男のお宮参りは高幡不動だったという深い縁(と勝手に結び付けてます)も
あり、どうか、長男の志望校合格を祈りたいものです。

作者:take

更新日:2009年1月3日 18時21分

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蕨② (古城跡と古寺)

いつも訪問いただいている皆様、今年一年ありがとうございました。

前回の地元ネタが、結構好評だった(と勝手に信じてる)ので、今年の最後に、再び
地元ネタを。
今回は、知名度は低いものの、蕨では数少ない「名所」を2箇所紹介させていただきます。

まず最初に蕨城跡。南北朝時代の1457年頃に築かれ、1567年まで存在したと言われて
います。今はその痕跡をほとんど残しておらず、わずかに、水堀を利用して作った「御殿濠」なる
小さな池があるのと、大きな碑が建てられているだけです。

城跡は、公園となっていて、市民会館が建ってます。
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これが御殿濠。う~ん、何ともコメントのしようがないですね。
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本丸跡地には石碑が立ってます。
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本丸跡。芝生の広場になってます。
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蕨って、実は、成年式(成人式)発祥の地なんだそうです。で、公園内には、それを示す
像が建てられてます。なぜ、裸婦像なのか知りませんが。
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蕨城跡



続いて紹介するのが、蕨城跡から北へ300mほどの場所にある、金亀山(こんきさん)極楽寺三学院、
という寺院。正確な創立年代は不明のようですが、平安~奈良の時代と考えられているそうです。
このお寺には、国宝や重文ほどの価値はないものの、古い地蔵や塔などが多く、案外見て回ると
楽しいです。

まず、惣門(総門)。ここをくぐると、参道が続きます。
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門のすぐ脇にある、梵字馬頭観音塔(ぼんじばとうかんのんとう)、という塔。これは、1800年に
蕨宿の安全を願って建てられたそうです。
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続いて、古い地蔵。正面が元禄7年(1694)に作られた子育地蔵。その手前に並ぶのが
寛文から元禄年間(1661~1704)頃の造立と言われる六地蔵石仏。一番手前が、
万治元年(1658)に作られた地蔵石仏。どれも、ご利益がありそうに見えます。
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次が、元禄14年(1701年)建立の常夜燈。
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建物もかなり多様です。本堂のほかに、いろいろ建てられてます。若干、趣味が悪い気も
しますけど。

これは長屋門。歴史があるのかどうかわかりません。
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そして三重塔。
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更には、弁天堂。
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こっちは六角の舎利殿。
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最後に、現在建築中の阿弥陀堂。
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とまあ、こんな感じです。どこにでもあるような平凡なお寺、ではないですね。
是非一度、寄ってみてください。

とにかくこの1年、本を見れば済むような話を延々と記事にしてきましたが、
粘り強くお付き合いいただいた皆様に感謝してます。来年もよろしくお願い致します。
では、皆様、良いお年を!


三学院


作者:take

更新日:2008年12月31日 22時4分

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蕨① (宿場町を散策)

いよいよネタが尽き、地元のネタに手を出さざるを得なくなりました。
そこで今回は、中仙道の日本橋から2つ目の宿場町だった蕨宿の様子をお伝えします。

まずは北の端から。ここには、「ふれあい広場」という小さな公園があり、そこには
からくり時計カが今も時を刻んでます。壁には大名行列の絵が描かれています。
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ここから南の端まで、旧道を歩いて行くと、両側に、今も当時の様子を伝える古い建物が
残ってます。

これは、慶応以前の木造建築だそうです。
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これもかなり古い建物です。昭和初期に建てられた薬局です。
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そして、これも趣きのある、うどん屋さんです。
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通りの半ばには、本陣跡があり、その隣には、休館無料の歴史民族資料館があります。
ここでは、蕨宿の模型や、旅籠、商家などの様子が展示されています。
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(本陣跡)

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(資料館)


更に、明治時代の織物の買継商の家をそのまま利用した、資料館の分館もあり、ここには
渋沢栄一の書や、当時の電話ボックスなども展示されてます。
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また、途中、コンビニの前には、道路元標も残ってます。
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そして、南の端。まあ、小さな街ですが、ちょっと面白そうではありませんか?
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ちなみに、このあたりには、道路の両端の歩道に、日本橋から京都までの宿場町が1つずつ
描かれています。
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そして、マンホールも、蕨宿をデザインしたものです。
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とは言っても、大した見所のない街ですが、徐々にその名が知れてくると
良いな、と思ってます。






作者:take

更新日:2008年12月28日 21時58分

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伊奈 (「ヒガハス」での鉄道と陣屋跡)

昨日(12/20)、子供が加入してるサッカー団の試合が上尾市であり、その送り迎えに
車で行ってきました。ならば、試合の合間の時間を無駄に過ごしてはいけない、との
思いから、まずは朝、東北本線の撮影スポットで有名な通称「ヒガハス」(東大宮~
蓮田間)へ。試合会場から3kimくらいだったので。

撮影スポットに着いた直後に、まず、上り「北斗星」。1日1本に減りましたが、いつまでも、
夢を運び続けて欲しいです。
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次にEF65牽引の貨物列車。この場所では、これを撮りに来てる方が多かったようです。
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続いて、185系特急「おはようとちぎ号」。
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これは、特急「スペーシアきぬがわ2号」。
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この間、233系の普通や快速は頻繁に通りましたが、211系はほとんど通りませんでした。
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そして最後に、183系(幕張車)。ここまで撮って、試合会場へと戻りました。
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ちなみにこのヒガハス。いつもブログを拝見させていただいている、schnitzer さんの記事にも登場してました。
私が撮った場所とは反対向きのようですが。
http://mc485.blog.so-net.ne.jp/2008-09-27


この後、子供達にとっての試合より大事なイベント、お弁当タイムには、来るときに地図
見かけた「伊奈氏屋敷跡」なる史跡に行ってみました。車で5分もかからない場所にあったので。

この屋敷跡は、関東郡代の伊奈氏が、1590年から1629年までの間、陣屋を構えて関東の
直轄地を支配する拠点としていた、というもので、いわば、お城のようなものです。
ただ残念ながら、跡地の大半は民家の敷地内にあり、素人には屋敷跡の痕跡を見つけるのは
難しい状況です。所々に案内板はある以外は。

まずは、表門跡付近です。
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雑草の茂る空き地の一角に、とても史跡とは思えないような、朽ちた木の案内がありました。
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この付近は、沼というか池というか、に囲まれていて、かつては堀があったのかもしれませんね。
何の説明もなかったので、分かりませんが。
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これが二の丸跡。土塁で囲まれた様子がよく分かりました。
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そして、裏門跡。この空き地のような場所には、発掘調査の結果、障子堀があったことが確認
されたそうです。今は埋められていますが。
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裏門跡のすぐ脇を新幹線が駆け抜けていきます。さびれた史跡と新幹線、このアンマッチな風景
逆に面白いかもしれません。
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歴史好きとしては、こんな史跡も、戦国~江戸の様子を伝える貴重な場所だし、是非、住民の方の
ご理解のもとで、公園化を進めてほしいものです。

この日、家を出たのが7時。帰って来たのが18時。私も子供も、すっかり疲れきってしまいました。
気温がいつもより高めだったのが救いでしたが。


作者:take

更新日:2008年12月21日 15時32分

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この駅ど~こだ? Vol.13

今回は、東京周辺の方にはいたって簡単です。
(今度こそ、ネタ切れになってきました。どこかに出掛けないと。)

まずは、駅前の写真。この駅に行き慣れた方なら、これで分かってしまいますね。
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駅を出て右手に進むとこんな感じの風景。駅の横は大きな川?池?それとも海?
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そして駅のホームの様子。奥に見える橋が特徴的かもしれませんね。
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最後は、大ヒントです。
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この、赤とオレンジと黄色のラインの電車が交差するところと言えば...

そうです。JR中央線の御茶ノ水駅です。
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これは簡単すぎて、面白くないですね。すみません。
それでも、4枚目の、中央線、総武線、そして丸の内線がちょうど一緒に写るタイミング
まで20分ほど待ちました。その努力に免じてお許し下さい。

この御茶ノ水駅、東京駅から来た中央線と千葉・秋葉原方面から来た総武線が合流する
駅で、乗換えに利用する乗客の多い駅ですね。
また、外堀を隔てた北側には、東京メトロ丸の内線の御茶ノ水駅があります。お堀の上を
通過する際に一時的に地下鉄が外に出る場所の一つとして有名ですね。

御茶ノ水駅の北側には、東京医科歯科大学、順天堂大学、南側には明治大学、日本大学
駿河台大学や予備校があり、昔から学生の街としても有名です。

この駅の開業は1904年とかなり古く、関東の駅100選にも選定されているとか。
歴史を感じますね。

さて、次はどこの駅にしようかな。。。

作者:take

更新日:2008年12月14日 18時27分

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この駅ど~こだ? Vol.12

久しぶりの、どこの駅シリーズです。約3週間ぶりくらいでしょうか。
同じセリフの繰り返しですが、出張がなくなり、カメラを持って出る機会が激減した
ため、このネタも小出しにせざるを得ないんです。

さて、今回の駅は、出張などでよく利用する人なら、すぐ分かってしまうと思います。

まずは1枚目。駅のコンコースの様子です。これだけではさすがに、どこの駅も同じ
に見えますね。
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次は、駅前の様子。これで分かるかもしれません。
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続いて、その反対側の様子。う~ん、何となく見慣れた風景の感じがしませんか?
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そしてこれ。鉄道好き、というか駅が好きな人なら(そんな人がいるのか知りませんが)
見てすぐ分かるんでしょうね。
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もうお分かりでしょうか?
そうです、JR大阪駅です。

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大阪駅はいうまでもなく、関西随一のターミナル駅で、新幹線こそ通ってませんが、
東海道線(京都線、神戸線)、福知山線、環状線が走っていて、北陸方面や山陰方面
へ向かう特急・急行列車の発着駅となっています。
更に、岐阜・高山方面や、名古屋長野方面に向かう特急列車も発着していて、
3~4番線や9~10番線にはひっきりなしに特急列車が往来します。
このあたり、東京駅や上野駅と違って、非常に華やかで良いですね。
ただ、大規模な改修工事が続いているので、今はちょっと歩きにくかったりするよう
ですが。

何て書きながら、次をどこにするか悩んでます。新しいシリーズを考えないと
ダメかもしれませんね。

作者:take

更新日:2008年12月7日 18時35分

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さよなら“ムーミン” EF55

残念ながら、来年1月18日の運転をもっての現役引退が決った、ムーミンこと
EF55。
鉄道記念物にも指定されているという昭和11年製の大ベテラン。
いよいよあの流線型の、レトロなカラーの、愛らしい電気機関車がなくなって
しまうと思うと、非常に寂しいですね。
なので今日は前橋方面へ出かけて、残りわずかとなったEF55の走行シーンを
久しぶりに撮影しつつ、ついでに史蹟などを訪ねてみよう、などと考えていたのですが、
昨夜飲み過ぎたせいか、朝早く起きられず。仕方なく、近所の線路際で撮影して
きました。

場所は、川口~西川口間。かなり西川口寄りですが。
今日は朝から天気が良く、朝日を背に走ってくるため、写真を撮りやすい状況では
ありませんでしたが、その雄姿をしっかり目に焼き付けてきました。
それがこの写真。上野発水上行きの「EL奥利根号」です。
EF55 1.jpg

そして、横を通過した後、斜め後ろからも一応撮影。
EF55 1 ②.jpg

この後、土日では、今月は13~14日、27~28日、そして1月は10~12日、17~18日、
と、さよなら運転が予定されているようですし、まだまだ見に行く機会はありそうです。
楽しみですね。

作者:take

更新日:2008年12月6日 17時52分

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東京 (またまた江戸城跡 ②)

懲りずにしつこく、江戸城跡の外堀の記事パート2です。

小石川御門跡の次に向かったのが、牛込御門跡。JR飯田橋駅の西口を出て
右側にある、外堀に架かる橋が牛込橋。牛込御門は駅を出てすぐ左手に
ありました。今も、神楽坂通りの両側に、枡形の石垣の一部が、明らかに
それと分かる形で残ってます。
ここは、知ってる方も多いでしょうね。

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(駅を出てすぐ左側の石垣)
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(その向かい側の石垣)

牛込御門は1636年、阿波徳島藩主蜂須賀忠英によって造られたそうです。

牛込御門からは、市ヶ谷に向かって、外堀・中央線に沿って、塁壁の土塁が赤坂まで
続きます。この付近の堀は巨大で、とても人為的に造ったとは思えないですね。

飯田橋駅・牛込橋から新見附橋までを牛込濠、と言います。南側の一部が
埋め立てられてJRの線路となってますが、それでもかなりの幅があります。

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(牛込濠)

新見附橋から市ヶ谷橋までの堀が新見附濠です。南側のJRの線路沿いは今は
工事中でした。
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(新見附濠)

市ヶ谷橋の南側には、市ヶ谷御門がありました。現在その痕跡はほとんど残っていません
が、外濠公園の隅に、石垣の一部の石が数個残っています。寂しく。
この市ヶ谷門御門の建設は、美作津山藩森長継が担当したそうです。
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また、場所は変わりますが、市ヶ谷御門の石垣の一部が、日比谷公会堂の前の
保存されています。日比谷公園の、日比谷公会堂側の入口(幸門)にある交番の
すぐ裏に。烏帽子石、と言われる、ドデカイ石です。
ここで立ち止まって見ている人はほとんど見かけませんが。
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市ヶ谷橋から四ツ谷方面に続く堀が、市谷濠です。ここの堀は、途中までは水面が残っています
が、四ツ谷側は埋め立てられて、南側がJRの線路や駅、北側が外濠公園などどなっています。
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(新見附橋から見た市谷濠)

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(四ツ谷付近は埋め立てられ、四ッ谷駅になっています)

四ツ谷には、甲州街道からの入口となる、四谷御門がありました。
今もその石垣の一部が、JR四谷駅から少し飯田橋方面に出たところに
残ってます。
この四谷御門の工事は、長州藩主毛利秀就が担当したそうです。
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とまぁ、こんな感じで、この日は、浅草橋から四谷まで、門・見附跡や橋、堀、そして
それに関連する史蹟などを見て歩きました。時間にして約3時間、距離にして10kmくらい
でしょうか。
あとはいよいよ、赤坂御門と虎ノ御門を残すのみ、というところです。
中途半端ではありますが、その2箇所は、また別の機会に訪問してみたいと
思います。

作者:take

更新日:2008年12月3日 23時10分

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東京 (またまた江戸城跡 ①)

昨日(29日)、また、江戸城跡を散策してきました。今度は、外堀沿いに。

まずは11時過ぎに、総武線の浅草橋駅に到着。
駅の南側を流れる神田川がかつての江戸城の外堀で、浅草橋には、
浅草観音や奥州街道に向かう人を警護したという浅草橋門がありました。
今では、橋の脇に小さな案内板と、「浅草見附跡」の碑があるのみで、
枡形門があった痕跡は全く残っていませんでした。
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(当時の地図

ただ、この付近には、多くの屋形船が停泊していて、それはそれで、
江戸の雰囲気を伝える、情緒ある風景かもしれません。
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浅草橋の南西付近は、農民などの訴訟を取り扱ったという「御郡代屋敷」が
あったところで、今もそのことが記されています。
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次に秋葉原へ向かいます。
この辺りには、中山道からの入口にあたる、筋違門がありました。
今の昌平橋と万世橋の中間あたりです。筋違門は、1636年加賀金沢藩前田利常の
建造の枡形門でしたが、明治になって取り壊され、その石垣の石を利用して、万世橋
を造った、ということです。

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(万世橋から昌平橋を見る)
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(昌平橋から万世橋を見る)

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(当時の地図)

昌平橋を過ぎ、御茶ノ水方面へ外堀通りを進むと、右側に湯島聖堂が見えてきます。
この湯島聖堂は、5代将軍綱吉が漢学の学問所として建設させたもので、その後幕府の
正式な学校となってからは、直臣や大名の優秀な子弟が集まったそうです。
edo08.jpg edo07.jpg
(湯島聖堂の仰高門と孔子銅像)

この後、江戸城跡は全く関係がありませんが、御茶ノ水駅付近に着いたところで
ちょうど、中央線201系の上り電車が通りました。残り少なくなった201系。
いつまでも現役で走り続けてほしいですね。
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御茶ノ水から水道橋に向かって外堀通りを歩いて行くと、水道橋のちょっと手前のあたりに
「神田上水懸樋跡」の碑があります。ここは、神田上水の水を江戸城方面に供給するため
木製の樋を神田川に通していた、という場所で、江戸時代から明治34年まで利用されて
いたそうです。
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(光が入ってしまいました。その後ろには、今度は下りの201系が走ってます)

そして、水道橋駅から少し飯田橋駅寄りに行ったところが、小石川門跡。
今では、ここも、小さな案内板があるのみです。
小石川門は、1636年備前岡山藩主池田光政によって築かれたということで、
その後渡櫓は1792年に消失し、枡形の石垣も1873年に取り壊されたそうです。

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(現在の小石川橋)

この日の散策は更に続くのですが、長くなったので、また次回に続く、
ということにします。

作者:take

更新日:2008年11月30日 22時3分

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御代田~小諸 (リバイバル信州号と古城を訪ねて)

23日、碓氷峠を通った本当の目的は、かつての横軽の現況チェックではなく、
長野~軽井沢間を22~24日に走った、国鉄急行色の169系「リバイバル信州号」を
見に行く事でした。鉄道を見るために遠出するのはかなり久しぶりだったので、
ワクワクしながら目的地を目指しました。

まずは、鉄道の撮影の前に、いつもブログを拝見させて頂いている、hiro78さんに対抗して、
浅間山の写真を。この日は、どの場所からも、きれいに見えてましたね。
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そして、その付近で、御代田~平原間で、軽井沢行きリバイバル信州12号を撮影。
かつて、よく特急あさま号や白山号を撮影した場所に行ってきました。背景の色と
車体の色が調和した感じで、よくなじんでます(と、感じました)。
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ここで、前回の、過去の写真と対比した記事がすこぶる好評だった(と勝手に
思ってる)ので、今回も、同じ場所からの懐かしいシーンを。
96.11.3に撮影した、「SL浅間山号」(D51 598+12系客車6両)です。
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この後、長野行きリバイバル信州13号は、もう少し御代田駅に近い、浅間山のよく見える
場所からの撮影です。ここも、かつてよく通いました。今回は同じ場所に、20人ほどの
鉄ちゃん諸氏が集まってました。
後ろに写っている裾野が浅間山。もう少し列車を小さく撮るか、列車を真横から撮る
位置に行くと、浅間山と一緒に撮影できます。
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ここでも、かつての写真を紹介させてください。
まずは、94.10.23に撮影した、489系白山号です。懐かしいですね。
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そして、これも94.10.23撮影の、EF62+サロンエキスプレス東京、です。
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これは大体このあたりですね。

馬瀬口



この、上り列車と下り列車の間が3時間近くあったので、その間、
情緒ある城下町小諸に行ってきました。

まずは、小諸城(懐古園)の入口として有名な、三の門。
1756年頃に建てられた重要文化財です。誰もいないシーンを撮るのに
苦労しました。
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次が、南丸跡。わずかですが、紅葉が綺麗です。
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そして、本丸にある天守台の石垣。かつては3層の天守閣がそびえていたそうです。
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小諸城は、千曲川を見下ろす山の上にあり、城跡からは千曲川をはじめ周囲の景色が
よく見えます。日によっては、遠く富士山まで見えるそうです。
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これは二の丸付近。葉がいい色になってます。
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こっちは、本丸と南丸の間の空堀付近。紅葉がけっこう見ごろでしたね。
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懐古園を出て、駅の反対側に向かうと、1612年頃の建築という、これも重文の
大手門があります。かつて、私が見たときは、民家として使用されてましたが、
いつもまにか周囲は公園として整備され、大手門も見学できるようになってました。
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ここからちょっと足を伸ばすと、光岳寺というお寺に、小諸城の足柄門を移築したという
門があります。小さいながら立派な高麗門です。
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このほか、小諸城周辺には、本陣(下の写真)、脇本陣、本陣主家、など、北国街道の
宿場町だった時代の面影を強く残した建物が数多くあります。小諸に行った際には、
懐古園だけでなく、ゆっくり町の中を散策してみないともったいない、そういう街だという事を
初めて知りました。これまでにも小諸には何度か行ったことがあったのですが。
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さて、今回は久しぶりに、お土産を買ってきました。「小諸」の焼印のある、「くるみ菓抄」。
シンプルなお饅頭ですが、家族は非常に喜んでくれました。

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やっぱり、遠出は楽しいですね。出張がなくなった分、こうやって、カメラ片手に
休日を過ごすことにしよう!
(休日なのに、一人で出かけてる、のが若干寂しいのですが。。。)

作者:take

更新日:2008年11月27日 21時57分

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碓氷峠 (追憶の“横軽”)

23日、碓氷峠の旧18号を車で通りながら、久しぶり、11年ぶりに、かつてEF63や
189系、489系が力走していた、あの、懐かしの「横軽」見てきましたので、
今の様子と、当時の様子を比較しながら、見ていただければと思います。

まずは、横川からスタートして丸山信号所の先、坂本陸橋付近。当時、最も
勾配のキツい場所で、EF63が「あさま」号を押し上げ、あるいは必死にブレーキ
をかけながら下ってくるシーンが印象的でした。

今はこんな感じで、雑草が生い茂り、当時の「華やかさ」は残ってませんでした。
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ちなみに、当時の様子です。~97.9.6撮影、EF63+「白山」号~
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次に、観光スポットとしても有名な、通称「めがね橋」。アプト式鉄道の時代の
遺構の奥を走行するEF63、当時も人気の写真スポットの1つでした。
ここは今も大勢の観光客が訪れていました。
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今では木が生い茂っていてよく見えませんが、当時はこのアーチの間から
列車がよく見えたんです。
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これがその当時の写真です。~97.9.6撮影、EF63+「マリンシティあさま」号~
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この後、車で移動しようとした瞬間、ビックリするものに遭遇。な、なんと、野生の
イノシシがすぐ近くにいるではありませんか。碓氷峠によく来ていた頃、野生の
ニホンザルはよく見たのですが、イノシシを見るのは生まれて初めて。
身体はけっこう大きいし、こっちに向かってきたらどうしよう、などと焦ってしまい
ました。焦りながら慌ててシャッターを押した写真が、これです。
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次に向かったのが、当時何度も通った、旧熊ノ平駅。
ここは今も人が歩けるようになっていて、多少雑草が増えてはいたものの、
ほとんど当時のまま。今にも、EF63の重連があさま号や白山号を牽引し、
あの唸るようなモーター音を鳴らしながらやってくるのでは、と思ってしまう
ほどです。
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あの当時、運転手さんからは、ファンの大勢がまつ熊ノ平がこんな風に見えて
いたんですよね、きっと。
usii6.jpg

下り列車が今にもやってきそうだと思いませんか。
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当時の写真を、3連発で。
まずは特急あさま。~97.9.21、 「あさま」2号~
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次がEF62牽引の「さようなら碓井峠号」 ~97.9.20~
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そして、これもEF62牽引の「さようなら碓井峠号」 ~97.9.20~
train7.jpg

上り線側のホームに立つと、こんな感じ。これも当時のまま。
usui9.jpg

当時は、山を降りてくるEF63を、真正面から狙えました。
~97.9.6~
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ついでにもう一枚。~97.9.20、上り始発列車~
yokokawa.jpg

旧アプト式鉄道時のものを含め3つのトンネルが並んでます。
usui10.jpg

ここは当時、EF63を先頭に走る列車を撮るのに最適でした。
EF63に牽引される189系「あさま」です。~97.7.20~
train12.jpg

今も線路脇には、こうした装置も残ってます。まるで博物館にでもいるみたい
ですね。
usui11.jpg

さてこの後は、軽井沢駅に向けて峠を下ります。
そして、最後に寄ったのが、矢ヶ崎付近。ご覧のとおり、草ボーボーで、
写真では、どこに線路があったのか、わからないかも。
usui12.jpg

これが当時の写真。霧の中を走るEF63+白山号です。~97.9.18~
train9.jpg

とまあ、こんな感じで、11年前ぶりの横軽を楽しんできました。
こんなにきれいに保存されているのであれば、いずれ、1日かけて、横川から
ゆっくり線路に沿って歩いてみたいですね。

なお、今回見た場所には、一部、本来立ち入ってはまずい場所もあったかも
知れませんが、この場を借りてお詫びします。他にも人はいましたけどね。

それと、当時の写真は、急ぎフィルムをスキャンしたのですが、あまり
鮮明ではないですね。今度、再度挑戦します。

作者:take

更新日:2008年11月24日 18時9分

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近所の公園にて

最近また、記事ネタが枯渇してるので、近所の公園の様子を。
紅葉はもう遅く、かなり葉が落ちてしまってましたけど、ところどころ、
鮮やかな赤や黄色の葉がありました。
もう、秋も終わり、冬になりつつありますね。ここ数日、すっかり冷え込んで
来ましたし。

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(かろうじて残ってた“真っ赤”な葉っぱ)

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(同じく)

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(保存SLには、枯葉がたくさん乗ってます)

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(黄色い葉の先には高崎線

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(同じく、高崎線)

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(天気は良かった。雲一つない快晴で)

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(茶色っぽいですね)

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(あと二週間くらい早く来ていれば、かなり良い色だったのかも。
今年は例年より色付くのが早かったんですかね)

退屈なネタで申し訳ないです。明日は、久しぶりに遠出しようと思ってます。
その話はまたの機会に。

作者:take

更新日:2008年11月22日 16時45分

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この駅ど~こだ? Vol.11

久しぶりの、この駅シリーズです。

まずは駅前の様子。きれいに整備され、ホテルが建ってます。
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次に、駅を出てすぐ左手に見えてくるのが、この建物。
この町のシンボルタワーです。
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駅の構内。すみません、かなりピンぼけの写真になってしまいました。
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これは、改札付近。列車案内表示でわかってしまいますかね?
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そして、駅のホーム。終着駅であることがわかります。
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簡単すぎましたか? その反対ですか?
行ったことがないと、全く見当がつきにくいかもしれませんね。

では、答えはと言うと...


このとおり、四国は香川県の、JR高松駅でした。
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JR高松駅は、予讃線及び高徳線の駅で、両線の列車のほか、予讃線経由で、
土讃線や瀬戸大橋線の列車も乗り入れます。
高松駅は、高松港に隣接していて、このあたり一帯が、「サンポート高松」として開発、
整備されています。
ちなみに、シンボルタワーは、高さ151mということです。





作者:take

更新日:2008年11月16日 18時20分

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東京 (再び江戸城跡巡り ③)

(この話題ばかりでしつこいようですが)2日に行った江戸城跡について書く、第3回です。
今日でこの話は終わります。

今回は、東御苑の様子をお伝えしたいと思います。

まずは、大手門から入場。入場用の札を受け取るだけで、何かを見せる必要も
なく、料金も無料です。
ちなみに、大手門、平川門、北桔橋門のどこからでも入苑できますし、どこからでも
退苑できます。
なお、苑内は広大ですし、いろいろなルートがありますが、この日は、大手門から
時計回りのように進み、退苑した平川門へと向かいました。
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(大手門の高麗門と、高麗門をくぐってすぐにある、旧大手門渡櫓の鯱)
edo000-1.jpg edo000-2.jpg

大手門を過ぎ、更に右手に三の丸尚蔵館、休憩所を見ながら進むと、やがて、
与力、同心が警護に詰めていた、「同心番所」の前に出ます。
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その先、三の門跡を通った左手には、二の丸・本丸への最大の検問所
として、与力20人、同心100人が配属されたとという、「百人番所」があります。
長さ50mに及ぶこの番所は、最大級の詰所です。
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次に、中の門跡を通ると、右側に、本丸へと向かう最後の検問所である
「大番所」があります。大名といえども、この先は乗り物を降りて歩く必要
があったそうで、他の番所より位の高い与力・同心が詰めていたと
言います。
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ここを過ぎると、いよいよ本丸の入口にあたる、中雀門跡。今は石垣が残るのみ。
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本丸に入り、左手の林の中を進んだ一番奥にあるのが、富士見櫓。3重櫓で、天守の代用を
果たしたそうです。
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ここから、蓮池濠(見えませんが)に沿って、北へ進みます。そうすると、
次々と、「見どころ」に遭遇します。
まずは、松の大廊下跡。もうすぐ忠臣蔵の季節ですね。
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続いて、富士見多聞。石垣上に建てられた武器庫です。
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次に、石室。非常時に備えて調度品を収めていたと言われてます。
秘密の抜け穴だった、という説もあるとか。なんだか興味ありますね。
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そしていよいよ天守台。江戸城の天守閣は、1657年の明暦の大火
で消失して以降、再建されることはなく明治を迎えるのですが、
8代将軍吉宗によって再建されたという大規模な天守台は、今も「健在」
です。
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この天守台のすぐ北側にあるのが、北桔橋門です。
内側から見た様子はこんな感じです。
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話がまた長くなるので、ここからは一気に写真だけを。
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(大奥跡)

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(汐見坂)

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(白鳥濠)

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(徳川家光が造園させたという二の丸庭園)

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(諏訪の茶屋)

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(梅林坂)



最後に平川門。ここから退園して、この日の東御苑は終了しました。
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(平川門の高麗門と渡櫓門)
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(平川門の脇にある、死体や犯罪者を搬出するための不浄門)

珍しくもない話に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

作者:take

更新日:2008年11月14日 22時29分

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東京 (再び江戸城跡巡り ②)

前回の続きです。

数寄屋橋門跡を確認した後は、晴海通りを西にそのまま行ったところに
ある日比谷公園へ。この日比谷公園の有楽門を入ってすぐ左手に見える
石垣が、かつての日比谷門(日比谷見附)の遺構なんです。
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そして、その先に広がる心字池、これはなんと、かつての外堀の一部をその
まま池として整備したものなんです。前回と同様に、この付近の古地図を見ると
位置関係がわかると思います。地図上「日比谷御門」と書いてあるあたりの堀が
池になったんです。
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これがその堀を活かして作ったという心字池です。池の脇に石垣が続きます。
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天気のいい日、この日比谷公園に平日の昼頃に行くと、お弁当を食べる、あるいは
食後の休憩中のサラリーマンやOLで賑わってます。緑が溢れ、池や噴水があり、
まさに都会のオアシスだな、なんて思いますね。
この日は日曜だったので、いつもとか違う光景でしたが、池ではこんな鳥が休息して
ました。なんていう鳥なのか分かりませんが。
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日比谷公園を出た後に向かったのが、馬場先門跡。ここも石垣が残るのみですが、
東京駅から二重橋に向かう途中にあたるせいか、観光客が大勢いました。
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(馬場先門付近の石垣)
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(馬場先門後を示す表示)

ここから大手門に周り、今回は皇居東御苑を見学させていただいたのですが、
そこで見たものは次回に触れることにして、東御苑を出た後の行程を続けます。

東御苑をグルリと一周し、最後は平川門から外に出ました。
平川門からちょっと北に行くと、かつての外堀、現在の日本橋川が首都高速の下を
ひっそりと流れています。このあたりには、上流から順に、雉子橋門、一橋門、神田橋門、
そして常盤橋門、呉服橋門、鍛冶橋門、数寄屋橋門と、門があり外堀が流れていた
んです。
下の古地図で、雉子橋~神田橋と、平川門などの位置関係がわかります。

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そこで、その雉子橋門のあたりに行ってみました。
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(雉子橋門の北側の袂に立つ、案内板)

雉子橋の南側、住友商事の旧本社の敷地の脇には、雉子橋門の遺構と思われる石垣
の一部が、なぜか残されています。
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このあたり、日本橋川の南側には、石垣がそのまま残ってます。
雉子橋から一ツ橋にかけてのあたりに。
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次に、一橋門。
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ここも、橋の南側の脇に、堀と、枡形門の一部と思われる石垣が残ってます。
但し、道路に面する側は、崩れかかってますが。是非、修復・保存をしてほしい
ものです。
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この一橋門から神田橋門にかけての外堀の内側、現在の丸紅本社、気象庁、
大手町合同庁舎3号館のあたりは、一橋徳川家の屋敷のあったところです。
今も、丸紅本社前には、それを示す碑が立っています。
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この日の最後に向かったのが神田橋です。
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橋の北側には、かろうじて、案内板がありますが、残念ながら、ここでは何の遺構も
ないようでした。
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と諦めかけたその時、見付けました、石垣の残骸を。それも首都高速神田橋入口から
本線に向かう途中、料金所の下あたり、対岸からも、屈みこんで見ないと気が付かない
ような場所に。
う~ん、これも何とか、江戸時代の遺構として、日の目を浴びせてほしいものです。

(わかりますか?)
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(更にもう一枚)
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また、橋の北西側には、かつてここに、物揚げ場があったという記念碑も。
神田橋は何の遺構もないと聞いていたので期待はしていなかった分、逆に
ちょっとした発見があり、得した気分になれました。
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そしてこの日は、JR神田駅まで歩いて、そして電車で帰ったのですが、
新橋駅前に降り立ったのが10時前。神田駅に着いたのが13時半。ということは
3時間半、ほぼ歩きっぱなし。う~ん、これはメタボ対策にはかなり効き目が
あったかもしれません。
ただ、さすがに、足が棒のようでしたけどね...


作者:take

更新日:2008年11月9日 16時1分

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東京 (再び江戸城跡巡り ①)

11月2日の日中(夜、東京ドームに行った日)、また、江戸城跡を訪ねて、
東京の都心を散策してきました。

朝の10時前、新橋駅からスタート。
まずはその手始めに、江戸城跡とは関係ありませんが、新橋駅からすぐ近く、汐留
シティセンター前に、2003年に開業した旧新橋停車場に寄ってみました。
ここには、鉄道開業時の駅舎やプラットホームが再現され、見る者を懐かしい気分に
させてくれます。もちろん、当時を知ってるわけではありませんが。

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(駅舎)

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(25mだけ再建されたプラットホーム)

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(線路の起点も復元されてます)

ここで新橋駅方向に戻り、外堀に沿って、城門(見附)跡を探して歩いて
みました。
新橋、有楽町、日比谷あたりは、かつて江戸城の外堀が流れ、随所に橋や
門があったのですが、この近辺は今はほとんどその遺構を見ることができません。
それなので、堀と門のあった場所をわかりやすくするため、勝手ながら、
いつも参考にしている本から、新橋~有楽町付近の江戸絵図を抜粋させて
いただきました。ちなみに、参考にしたのは、成美堂出版さんの「江戸散歩・
東京散歩」という本。これには、江戸絵図に現在の鉄道路線や有名スポットを
重ねたものと、現代の地図に江戸時代の史蹟等を表示したものが、
地区ごとに載っていて、かつ、見所について詳しく解説してあって、非常に
楽しく、興味のわく本です。みなさまも是非一度、ご覧下さい。

Img00003~2.jpg

まず向かったのが、幸橋門跡。新橋駅からちょっと有楽町付近に歩いた
あたり。今の第一ホテルの敷地は、かつて、虎ノ門方面に続く外堀を埋め
立てた土地で、橋は、第一ホテルの前の道路あたりに、城門はその北側
にあったようです。今は、すぐ横を走るJRの架橋にその名前が残る程度
しか、当時の名残はありません。

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(新橋第一ホテル。ここが堀でした。上の地図の「幸橋御門」と書いたあたりです)
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(すぐ脇のJRの高架橋の名前)

このちょっと有楽町寄り、現在の東京電力本社の前のとおりを銀座8丁目
方面に向かう道路の、東京高速の下には、明治になって架けられた
「新幸橋」があったそうです。これも、その後堀を埋め立てた際になくなって
しまいました。今は、それを偲ぶ碑があるのみです。
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上の地図で、JRに沿って、土橋から山下橋御門、そして、数寄屋橋御門へと
続く堀は、埋め立てられて、現在は、東京高速道路、という、首都高速に
連絡する無料の高架道路になってます。

当時の堀は、山下橋のところで、数寄屋橋門方面と日比谷門方面に
分かれています。このうち、日比谷に向かう堀が流れていたのが、現在
帝国ホテルのある場所の横の道路付近です。
山下橋御門は、その帝国ホテル敷地のJR寄り付近にあったようで、
幸橋と同様に、この場所に架けられたJRの高架橋に、かろうじて、
「山下橋」の名前が残っています。
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(山下橋のあったところ)

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(帝国ホテル。この手前の道路が堀でした)

この後に向かったのが、数寄屋橋門跡。
東京高速に沿って北へ進み、晴海通とクロスするあたりが、数寄屋橋のあったとこ
ろです。今の数寄屋橋交差点の若干西側あたりかと思います。
ここも今では、全く当時を偲ぶものは残っていません。

edo19.jpg
(数奇屋橋跡付近)

ちなみに下の写真は昭和28年の数寄屋橋です。左が国鉄の線路。中央右の堀が
今は東京高速の走る場所。中央やや右下の橋が数寄屋橋、その上にある建物が、
今の有楽町マリオンのある場所です。
この写真、ちょうど数寄屋橋門があったあたりから日比谷通りまでの地下道入口
の脇に、江戸後期や東京高速完成後などの写真とともに、「掲出」されてます。
edo20.jpg

ここ数寄屋橋付近、東京高速の脇には、明治大学発祥の地なる碑が
寂しく、誰にも降り返ってもらえない状態で、建ってました。
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ここから、晴海通を西に歩いて、日比谷門跡を目指します。
ちょっと長くなったので、続きはまた、明日以降、ということで。


作者:take

更新日:2008年11月7日 23時4分

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東京ドーム  (ライオンズに勝った~!)

今日、11月2日。何とか日本シリーズ第2戦、巨人対西武のS席を2枚ゲット
して、再び次男とともに東京ドームに行ってきました。
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席はやや3塁側でしたが、球場全体が見渡せ、特にライト方向へ飛んだ打球が
見やすい位置でした。
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ということで、18時15分プレーボール。試合開始を17時から待ちました。
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試合開始前、メンバー表を提出した直後の原監督。日本一目指して頑張れ~!
ついでに、WBCも優勝してきて~!
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さて、試合の方は、第1戦と同じく1点を争う好ゲーム。鶴岡の犠牲フライで
1点を先制した巨人ですが、4回に中島の2試合連続本塁打で逆転され、
6回には亀井の適時打で追いつきました。その次の7回、なんと3番小笠原が
死球を受け、一度はグランドに立ちましたが、結局交代。う~ん、心配です。
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そしてそのまま試合は進み、9回表を終わって、2対2の同点。打順は3番に
途中で入った寺内から。
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寺内は三振でしたが、次は主砲ラミレス。かっとばせ~、の声援の中、やって
くれました!サヨナラホームラン。たまたま、この打席から、サヨナラを期待して、
1球ごとにシャッターを押そう、と思った矢先でした。
そう、ピンボケながら、その瞬間を写真に撮ることもできました。
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そのラミレス選手、3塁を周ったところでガッツポーズ。
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ホームではチームメートが「歓喜の渦」を作って待ってます。
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そこへラミレス選手がホームイン。当然のことながら、モミクチャになって
ました。
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いやぁ、子供とともに、興奮させていただきました。子供の頃から、野球
試合は何度となく見に行ってますが、サヨナラ勝ちを球場で見たのは私も
初めて。ラミレス選手、ありがとうございました。ちなみに、うちの次男は、
ジャイアンツの中でもラミレス選手が一番好きで、この日も、背番号5の
Tシャツ姿です。だから次男も家に着くまで興奮冷めやらぬ、という状態
でした。是非、このまま、日本一を勝ち取ってください!

作者:take

更新日:2008年11月2日 23時58分

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この駅ど~こだ? vol.10

久しぶりに、どこの駅シリーズです。今回は、首都圏の駅ではありません。

まずは、駅の南側の様子。それほど特徴ないですね。
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ここには、こんな形の「オブジェ」があります。何を意味するものか
知りませんが。
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そして、改札口。これは平凡なので、全くヒントになりませんね。
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では続いて、駅の反対側(北側)の景色です。
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こっちには、平和を願っての、こんな像があります。これがヒントになるかな。
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もう一度、駅の南側に戻って、駅前の様子。これは大ヒントですよね。
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どうですか?もうおわかりでしょうか。
そうです、JR西日本の広島駅です。

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広島駅では、山陽新幹線の全列車が停車するほか、山陽本線
呉線、芸備線可部線といった在来線に乗ることができます。
また、昭和47年までは宇品線、という路線もありました。
ここからは、広島電鉄に乗り換えて、原爆ドームや宮島、宇品港
などに行く事が出来ます。

ちなみに、昭和20年8月6日の原爆投下によって、駅舎は大破しました
が、その時の様子が、駅前ロータリーには記されています。
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作者:take

更新日:2008年10月26日 17時29分

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東京 (江戸城跡巡り ③)

江戸城跡巡りの第3弾、今回はこれが最終回です。

桜田門を出た後、内堀通り(国道20号線)沿いに、お堀の脇の登り坂を
登って、半蔵門を目指します。
このあたりの堀は、桜田濠と言って、幅、高さとも最大級です。
緑豊かで景色も良いし、先日、日比谷濠を全裸で泳いで逮捕された
外国人がいましたが、どうせ泳ぐなら、桜田濠の方が気持ちよく泳げ
そうな気がします。もちろん、私にはそんな気持ちは毛頭ありませんが。
桜田濠.jpgその桜田濠の最後に見えてくるのが半蔵門。その半蔵門からは濠へと向かう
「通路」があります。これって、どういう時に使うのかなぁ。まさか、濠で泳ぐ
時? (またこのネタか...、と言われそう)
桜田濠2.jpg

この半蔵門、国道20号線が西に向かって内堀通りから分離するところ、
地下には首都高速の三宅坂JCTがあります。また、地下鉄の路線名、駅名
でも知られてますが、案外、その実物を見た方は少ないのでは。

半蔵門



その半蔵門、こんな感じの小さな門です。この時、ちょっと写真を撮っただけなのに
警備の警官から、「車両が通るから、もっとあっちで」と言われ、えらく気分が悪かった
ですね。車両が来てる訳でもないし、滅多に通らないだろうし、しかも来れば、
言われなくてもよけるのに。観光客にこの態度じゃね。
ちなみに、この門、和田倉門から移築したものだそうです。
半蔵門.jpg
(正面からの写真)

半蔵門2.jpg
(左側からの写真)

半蔵門から半増濠に沿って千鳥が淵公園を北進し、千鳥が淵の交差点を竹橋
方面に右折したあたりが、吹上曲輪の北門跡。石垣が残っているだけですが、
門があったことはすぐわかります。
北門.jpg

次に右手に見えてくるのが、乾門。皇居への出入りのために明治時代
になって作られた門で、元は西の丸裏門だったものを移築したそうです。
乾門.jpg

ここからは、首都高速代官町ランプの前を横切って、北の丸公園へ。その公園の
一番北側にあるのが、日本武道館への「入口」として知られる田安門。
1636年に建てられたもので、江戸城の遺構の中では最古の建築物です。
田安門.jpg
田安門2.jpg

この田安門から牛ヶ淵に沿って竹橋方向に歩くか、あるいは北の丸公園内を
歩き、科学技術館の手前を左に下りたところが清水門。こちらも古く、1658年
に建てられたものです。こちらは、門に隣接する石段も残っていて、数ある門の
中でも最も当時の様子の残る、歴史を感る門だと思います。
清水門.jpg
清水門2.jpg

清水門から再び北の丸公園内を横切り、首都高速の北の丸出口の正面あたりに
あるのが、北桔橋門。この門は、天守に最寄の門で、高い石垣の上にあり、最も
警備の厳しいところだったようです。かつてはここも枡形門だったそうですが、現在
は高麗門のみ残ってます。
北桔橋門.jpg

北桔橋門から平川濠に沿ったあたりでは、江戸城でも一番高い石垣が続きます。
城下町に面する、軍事上最も警戒すべきエリアのようで、壮大な石垣を見ることが
できます。
清水濠.jpg

この石垣を右手に見ながら紀伊国坂を清水濠方面に下っていったところが、竹橋
門跡。今は石垣がわずかにその面影を残すのみです。
竹橋門.jpg


竹橋門跡



竹橋を渡り、今度は内堀通りを大手門方面へ進むと、その途中にあるのが平川門。
この日は休園日だったので、中には入れませんでしたが、外からでも、枡形の門の
様子は分かります。ここはかつて、大奥に通じる門だったそうです。
平川門.jpg

ちなみに、平川門前の歩道には、太田道灌没後450年を記念して造られたという、
「太田道灌公追慕の碑」があります。

この平川門までで、大手門から始まって、江戸城の内堀沿いを一周したことになり
ます。東御苑には入っていないにもかかわらず、一周するだけで3時間半ほどかかって
しまいました。ということは、運動不足の私にとって、かなりの運動になった、とも言え
ますが。

次の機会には、東御苑の中を歩いてみようと思ってますし、また、外堀沿いにあった
門の跡なども見てみよういと思います。

作者:take

更新日:2008年10月25日 15時58分

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この駅ど~こだ? Vol.14

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高幡不動で初詣

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蕨② (古城跡と古寺)

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蕨① (宿場町を散策)

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伊奈 (「ヒガハス」での鉄道と陣屋跡)

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この駅ど~こだ? Vol.13

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この駅ど~こだ? Vol.12

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さよなら“ムーミン” EF55

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東京 (またまた江戸城跡 ②)