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トップ > ビー・エヌ・エヌ新社 > ビー・エヌ・エヌ新社 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月4日 2時)

[日記] 経るべきものは経たのか

今日夕方から茨城のT大学に行ってきた。というのも、合格発表の結果が全然届かないから直接見に行ってほしいという弟からの連絡があったから。もう二日待ち続けている。


T大学まで二時間くらいかかる。長い行きの電車の中、いろんなことを考えた。弟も二日連絡がないとなると少し悲観的に覚悟を決めているようだったし、親は一層そうだった。そんな家族のそれぞれの面持ちを、遠く離れた場所で思い浮かべながら、じゃあ僕は…??と自分を省みる。


やはり合否のどちらも単純には願っていない。

結局自分が願っているのは、弟が「経るべきもの」を経て次のステージに向かってほしいということ。

人が苦しい思いをしているのを見るのは嫌だし、そんな期間はできるだけ短くあってほしい。それが肉親であれば尚のことそうだ。

だけど、そうやって彼のことを心に留めていればいるほど、単純に早く状況が変われとは思えなくなってくる。状況がすぐ楽になってしまえば、一生自分への戒めになるような学びの機会を失ってしまうかもしれない。だからといって、苦しい思いをただただ抱え続けていれば自然に人が磨かれていくというわけでもない。

乗り越え方次第だ。

そして「経るべきもの」を経たなら、必ず好転していくから、そこへの確信だけは失わずに「好い耐え方」をしてほしい。


そう思ってきたこの二三か月。

行く道で、自分が言伝る知らせは「喜ばしき知らせ」になるのか、「辛い試練の知らせ」になるのか、本当にやきもきした。


連休の最中ほとんど人のいないキャンパスで、暗闇の中で掲示板に目当ての番号を探す・・・・


あった。



…ふー。

すぐに電話すると、この二日間、誰よりもやきもきしていただろう弟の声には、安堵の色が満ちていった。

そこで「おめでとう」と言いかけて、やめた。

まだ一月にも一つあるから。

これで心に一本大きな支えができたのだから、次はもっとやれる。そう思っているはず。


お疲れ様、かな。

最後まで自分の野心を忘れるなよ〜

作者:topo-gigio

更新日:2008年11月2日 23時28分

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[日記] やっぱり一日も油断できない

今週火曜に区民大会(トーナメント)の準決勝があり、激戦の末何とか勝利。来週5日(水)に決勝。勝てば、天皇杯の都予選に参加することになる。楽しみでしょうがない。

この一ヶ月間くらいはかなり体調管理に気を使ってきた。特に準決勝は縁の深い相手で胸に期するものがあり、またこの一か月ほどのマネージメントの甲斐あったという感じで、今週はうれしい気持ちでいっぱい。


ただ、、火曜の激戦の末、水曜は午前休みをもらって午後から仕事に行ったものの、疲れは抜け切っておらず結局一日ふらふらで使い物にならない俺…。こらあかんと、心機一転、木曜日。ちょっと気を入れなおして集中、わりと良いパフォーマンスでできた。

が、しかし!

昨日の今日の金曜日。どこか集中力が欠けている自分に気づく。意識が仕事に集中しきらないで、サッカーのこと考えたり、3連休をどういう過ごし方しようかなとか意識が拡散気味。

案の定、今週の仕事の報告をすると、え?今日これだけしか進んでないの?という顔をされた…><。。ですよね…ほんますみません


省みると、試合翌日。もっとしっかり休んでおけばよかった。半日と言わず一日休んで、しっかり気持ちをリセットする。まだまだプライベートと仕事の手綱が操りきれてないなぁと痛感。

全力で休む。この意味が分かれば君も一人前。

これは高校の時に顧問のS先生が囁いてくれた言葉。

先生、俺まだまだっすわ。いや、「意味」はわかっとるんですけどね、結局はまた判断力というか見極める力というか、以前とは違う次元(リズム)の中でも同じ判断ができるかというとやっぱり難しい。


それにしても今日の上司の反応は恐かった、笑ってはいたけど確実にちょっとがっかりさせてしまった。一日くらいと思っても、一日が油断できんと感じた今日。

作者:topo-gigio

更新日:2008年10月31日 20時25分

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[コラム][サッカー] オシムの公案

いくつかの言葉にインスピレーションを受けたので、メモ程度に。

(選手の海外移籍促進とJリーグのレベル維持の両立は難しいのではないか、という問いに対して)

たしかに。リーグのレベルアップは選手と試合のレベル双方が向上しない限り実現しない。たとえば日本選手が1試合で走る量は、ヨーロッパに比べてずっと少ない。ヨーロッパでは約13kmだが、日本ではそこまでいかないだろう。しかもこちらは走りの大半がスプリントだ。

へー。日本て(多少非効率に)けっこー走ってるイメージあるけどな。少し意外。

ただ、そこを抜いてもここは僕により象徴的に響いてきた。最近「長くかつ持続的に“走る”ためには…」ということを、サッカー的にも、また生き方的にも考えていたから。

目の前のボールをキープするために駆けることは大事だが、一時間以上に及ぶ1ゲームの中でそのプレーはどんな意味があるかということが見失っていると、体力という有限の資源はあっという間に尽きる。その試合の意味づけや流れをよくわかっておく必要がある。

また、仕事や趣味の忙しさと僕の個人史は、決して弱くない関係にあるが、別々に考え、よく構想を練り、車の両輪を回すようによくリンクさせて行く必要がある。シュンポシオンのようなコミュニティの盛り上がりと僕個人のペースのそれとは確実に異なったものだ。それを何かの、小さくないきっかけにすることはできるが、それ自体が目的であるわけではない。


そして続く。

(その差を埋めていくにはどうしたらいいのでしょうか?という問いに対して)

もっともっと議論していく必要がある。サッカーはどこに行くのか。戦術的・身体的・技術的にプレーはどう変わっていくのか。すべてを考えて明日を予測する必要がある。明日の観客は、より複雑なもの、より変化したものを求めるだろう。そうなるとサッカーは、古代ローマのような見世物になるかもしれない。ローマ帝国の人々は血を求めていた。サッカーもそうならないと、どうして言い切れるのか?

(あなたにとって、明日のサッカーとは具体的にどういうものか?という問いに対して)

スペクタクルだ。明日のサッカーはスピーディでダイナミックな、演劇的な要素の強いものになっていくだろう。速い判断とボール処理。そして動き。生活のスピードアップに呼応して、サッカーもまたさらに速くなる。

「明日のサッカー」は「明日の生活」を見れば解る、というのであれば、「明日の生活」とは何によって見る(予測する)ことができるのだろう、少なくともオシムじいちゃんは何を見て予測するというのだろう…

残念ながら、そこの記述はなかった。

ったく、そこ突いといてくれよとか思いつつ読み進めていると、

私はここまで君たちが求めていたことについて話してきたつもりだ。私は、これまで議論したことをすべて覚えている。君たちがこれらの議論を踏まえて、さらに話を進められるようならとても満足だ。もう一度話すことがあれば、そのために準備もする。だから君たちも哲学者になってくれ。ときには人は、自分自身がどうであれ、哲学者であることが求められるのだから。

…くぎ刺された(笑


よし、3連休は久しぶりにのんびり「明日の生活」でも眺めてみるかな。哲学者として。

作者:topo-gigio

更新日:2008年10月30日 22時42分

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[日記] 観戦記がやたらにおもしろい

今日の昼休憩に、梅田さんの竜王戦中継観戦記を全部読んだ。

↓で全13回が読める。

http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/1/index.html

中でも特におもしろいと感じたのは、

第7回(「竜王戦中継plus: 【梅田望夫観戦記】 (7) 羽生世代の信頼関係」)

第8回(「竜王戦中継plus: 【梅田望夫観戦記】 (8) 繰り返す「青と壮」の戦い」)


将棋をまったく指さないドシロートの僕が読んでもこんなに「おもしろい」。

しかもただ「おもしろい」というだけではない。なんというか、少しドキドキワクワクする、そんなスリリングなおもしろさがある。

いったいなにがそう感じさせるのだろうか。

作者:topo-gigio

更新日:2008年10月23日 1時35分

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[日記] 小さなニューノーマルを創ってこ

どうも地に足がつかんな、という最近。確かに仕事の内容的にあたふたするのは致し方ないのだけれど。

毎日帰ってきてから何か勉強するという余力なし。RSSフィードの消化もはてぶの具合も少し前までのそれではない。そしてそれでも明日はすぐにやってくる。

あー岡田ジャパンが引き分け?!最近の日本代表はどうなんだろなぁ…とフットボールへのアンテナも鈍り気味だし、

id:keitabandoさんを中心にオープンアクセスがどーのこーのって騒いでるから、え?なになに?それおいしい?てそれもすげー気になるし、でもそれについて妄想する力残ってなくて、おいしいお店の前を匂いだけ嗅いで通り過ぎるみたいなことしないといけないし。

「シュンポシオン横浜」を開催します - 横浜逍遙亭とついに「シュンポシオン横浜」の公式声明が出されて、「あー何もお手伝いできてねー」「うほ、なんて楽しそうな中身!」「こ、これはちょっと何かそれなりに練っていかないと…」などなど、やりたいのにできていない!もしくは、できていたのにいまはできていない!みたいなことが増えて、ちょっと完全に僕の生活感はいまフワフワしている。


僕の心が何かに「急いでいる」。そういう感覚だけが続いているものの、いったいこの感覚はどこに向いたものなんだろうかわからない…。

そんな中で、竜王戦中継plus: 梅田望夫氏、竜王戦第1局を語るを読んだ。

ビジネス世界のグローバルな荒波の中を、またその荒波そのものに対しても、どういうメンタリティをもって向き合ってきたかという姿を見て、少し自分の足を地に近づけるヒントを得た。

テロが起きても、戦争が始まっても、世界経済が音を立てて崩れようとも、私たちは、毎日の生活の潤いや楽しみを求めて、音楽を聴いたり、小説を読んだり、野球を観たりしながら、精神のバランスをとって、したたかに生きていかなければならないのだ。文化は、その時代が厳しくなればなるほど、人々の日常に潤いをもたらす貴重な役割を果たすものなのである。

この世界金融危機のさなかに、将棋を観るために、パリに向かう。

 そんな不思議な旅の出発が近づくにつれて先週から、私の心の中では、なぜか日に日に緊張感が高まっていった。

 ふと思い出すのは、7年前の同時多発テロ直後のこと。まだ多くの日本企業が海外出張禁止令を出していた頃、アメリカでは「予定通りの日常を何の変わりもなく生きることこそが、個人のレベルにできるテロとの戦いなのだ」という気分が横溢していた。私もそれに共感し、予定していた日本出張をキャンセルしなかった。しかしさすがにその日ばかりは、飛行機がサンフランシスコ空港からふっと浮揚した瞬間、ああこれが最期かもしれないんだな、という思いが頭をよぎった。

 今回のパリへの旅には、むろんそういう物理的恐怖はなかった。でも「予定通りの日常を何の変わりもなく生きる」ことで、このたぴの経済危機と個人のレベルで折り合いをつけていこうという気持ちは、あのときと共通している。どうもそこからくる緊張感のようだった。

自分が自分以上の何かに向き合うことは、バックボーンである日常にしっかり筋が通っていて初めて可能なこと。そこが崩れていては、何にも向き合えないし、何に取り組んでもただ疲労感が残るだけ。まずは、自分の身の回りをしっかり固めて戦地に赴かないとね。


いま、少し前までとは「維持すべき日常」が変わっとるということに改めて認識して、また自分の新しい「維持すべき日常」を見つけ出さないといけない。僕の心が「急いでいる」のは、僕の小さなニューノーマルを確立することだった。


そのためにも、とりあえず忙しさにまみれて平日できていない洗濯とか掃除とかね、そもそもそーゆートコから取り戻そうと感じたこの夜中。

作者:topo-gigio

更新日:2008年10月19日 3時27分

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[日記] 経るべきものは経たのか

今日夕方から茨城のT大学に行ってきた。というのも、合格発表の結果が全然届かないから直接見に行ってほしいという弟からの連絡があったから。もう二日待ち続けている。


T大学まで二時間くらいかかる。長い行きの電車の中、いろんなことを考えた。弟も二日連絡がないとなると少し悲観的に覚悟を決めているようだったし、親は一層そうだった。そんな家族のそれぞれの面持ちを、遠く離れた場所で思い浮かべながら、じゃあ僕は…??と自分を省みる。


やはり合否のどちらも単純には願っていない。

結局自分が願っているのは、弟が「経るべきもの」を経て次のステージに向かってほしいということ。

人が苦しい思いをしているのを見るのは嫌だし、そんな期間はできるだけ短くあってほしい。それが肉親であれば尚のことそうだ。

だけど、そうやって彼のことを心に留めていればいるほど、単純に早く状況が変われとは思えなくなってくる。状況がすぐ楽になってしまえば、一生自分への戒めになるような学びの機会を失ってしまうかもしれない。だからといって、苦しい思いをただただ抱え続けていれば自然に人が磨かれていくというわけでもない。

乗り越え方次第だ。

そして「経るべきもの」を経たなら、必ず好転していくから、そこへの確信だけは失わずに「好い耐え方」をしてほしい。


そう思ってきたこの二三か月。

行く道で、自分が言伝る知らせは「喜ばしき知らせ」になるのか、「辛い試練の知らせ」になるのか、本当にやきもきした。


連休の最中ほとんど人のいないキャンパスで、暗闇の中で掲示板に目当ての番号を探す・・・・


あった。



…ふー。

すぐに電話すると、この二日間、誰よりもやきもきしていただろう弟の声には、安堵の色が満ちていった。

そこで「おめでとう」と言いかけて、やめた。

まだ一月にも一つあるから。

これで心に一本大きな支えができたのだから、次はもっとやれる。そう思っているはず。


お疲れ様、かな。

最後まで自分の野心を忘れるなよ〜

作者:topo-gigio

更新日:2008年11月2日 14時28分

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[日記] やっぱり一日も油断できない

今週火曜に区民大会(トーナメント)の準決勝があり、激戦の末何とか勝利。来週5日(水)に決勝。勝てば、天皇杯の都予選に参加することになる。楽しみでしょうがない。

この一ヶ月間くらいはかなり体調管理に気を使ってきた。特に準決勝は縁の深い相手で胸に期するものがあり、またこの一か月ほどのマネージメントの甲斐あったという感じで、今週はうれしい気持ちでいっぱい。


ただ、、火曜の激戦の末、水曜は午前休みをもらって午後から仕事に行ったものの、疲れは抜け切っておらず結局一日ふらふらで使い物にならない俺…。こらあかんと、心機一転、木曜日。ちょっと気を入れなおして集中、わりと良いパフォーマンスでできた。

が、しかし!

昨日の今日の金曜日。どこか集中力が欠けている自分に気づく。意識が仕事に集中しきらないで、サッカーのこと考えたり、3連休をどういう過ごし方しようかなとか意識が拡散気味。

案の定、今週の仕事の報告をすると、え?今日これだけしか進んでないの?という顔をされた…><。。ですよね…ほんますみません


省みると、試合翌日。もっとしっかり休んでおけばよかった。半日と言わず一日休んで、しっかり気持ちをリセットする。まだまだプライベートと仕事の手綱が操りきれてないなぁと痛感。

全力で休む。この意味が分かれば君も一人前。

これは高校の時に顧問のS先生が囁いてくれた言葉。

先生、俺まだまだっすわ。いや、「意味」はわかっとるんですけどね、結局はまた判断力というか見極める力というか、以前とは違う次元(リズム)の中でも同じ判断ができるかというとやっぱり難しい。


それにしても今日の上司の反応は恐かった、笑ってはいたけど確実にちょっとがっかりさせてしまった。一日くらいと思っても、一日が油断できんと感じた今日。

作者:topo-gigio

更新日:2008年10月31日 11時25分

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[コラム][サッカー] オシムの公案

いくつかの言葉にインスピレーションを受けたので、メモ程度に。

(選手の海外移籍促進とJリーグのレベル維持の両立は難しいのではないか、という問いに対して)

たしかに。リーグのレベルアップは選手と試合のレベル双方が向上しない限り実現しない。たとえば日本選手が1試合で走る量は、ヨーロッパに比べてずっと少ない。ヨーロッパでは約13kmだが、日本ではそこまでいかないだろう。しかもこちらは走りの大半がスプリントだ。

へー。日本て(多少非効率に)けっこー走ってるイメージあるけどな。少し意外。

ただ、そこを抜いてもここは僕により象徴的に響いてきた。最近「長くかつ持続的に“走る”ためには…」ということを、サッカー的にも、また生き方的にも考えていたから。

目の前のボールをキープするために駆けることは大事だが、一時間以上に及ぶ1ゲームの中でそのプレーはどんな意味があるかということが見失っていると、体力という有限の資源はあっという間に尽きる。その試合の意味づけや流れをよくわかっておく必要がある。

また、仕事や趣味の忙しさと僕の個人史は、決して弱くない関係にあるが、別々に考え、よく構想を練り、車の両輪を回すようによくリンクさせて行く必要がある。シュンポシオンのようなコミュニティの盛り上がりと僕個人のペースのそれとは確実に異なったものだ。それを何かの、小さくないきっかけにすることはできるが、それ自体が目的であるわけではない。


そして続く。

(その差を埋めていくにはどうしたらいいのでしょうか?という問いに対して)

もっともっと議論していく必要がある。サッカーはどこに行くのか。戦術的・身体的・技術的にプレーはどう変わっていくのか。すべてを考えて明日を予測する必要がある。明日の観客は、より複雑なもの、より変化したものを求めるだろう。そうなるとサッカーは、古代ローマのような見世物になるかもしれない。ローマ帝国の人々は血を求めていた。サッカーもそうならないと、どうして言い切れるのか?

(あなたにとって、明日のサッカーとは具体的にどういうものか?という問いに対して)

スペクタクルだ。明日のサッカーはスピーディでダイナミックな、演劇的な要素の強いものになっていくだろう。速い判断とボール処理。そして動き。生活のスピードアップに呼応して、サッカーもまたさらに速くなる。

「明日のサッカー」は「明日の生活」を見れば解る、というのであれば、「明日の生活」とは何によって見る(予測する)ことができるのだろう、少なくともオシムじいちゃんは何を見て予測するというのだろう…

残念ながら、そこの記述はなかった。

ったく、そこ突いといてくれよとか思いつつ読み進めていると、

私はここまで君たちが求めていたことについて話してきたつもりだ。私は、これまで議論したことをすべて覚えている。君たちがこれらの議論を踏まえて、さらに話を進められるようならとても満足だ。もう一度話すことがあれば、そのために準備もする。だから君たちも哲学者になってくれ。ときには人は、自分自身がどうであれ、哲学者であることが求められるのだから。

…くぎ刺された(笑


よし、3連休は久しぶりにのんびり「明日の生活」でも眺めてみるかな。哲学者として。

作者:topo-gigio

更新日:2008年10月30日 13時42分

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[日記] 観戦記がやたらにおもしろい

今日の昼休憩に、梅田さんの竜王戦中継観戦記を全部読んだ。

↓で全13回が読める。

http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/1/index.html

中でも特におもしろいと感じたのは、

第7回(「竜王戦中継plus: 【梅田望夫観戦記】 (7) 羽生世代の信頼関係」)

第8回(「竜王戦中継plus: 【梅田望夫観戦記】 (8) 繰り返す「青と壮」の戦い」)


将棋をまったく指さないドシロートの僕が読んでもこんなに「おもしろい」。

しかもただ「おもしろい」というだけではない。なんというか、少しドキドキワクワクする、そんなスリリングなおもしろさがある。

いったいなにがそう感じさせるのだろうか。

作者:topo-gigio

更新日:2008年10月22日 16時35分

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[日記] 小さなニューノーマルを創ってこ

どうも地に足がつかんな、という最近。確かに仕事の内容的にあたふたするのは致し方ないのだけれど。

毎日帰ってきてから何か勉強するという余力なし。RSSフィードの消化もはてぶの具合も少し前までのそれではない。そしてそれでも明日はすぐにやってくる。

あー岡田ジャパンが引き分け?!最近の日本代表はどうなんだろなぁ…とフットボールへのアンテナも鈍り気味だし、

id:keitabandoさんを中心にオープンアクセスがどーのこーのって騒いでるから、え?なになに?それおいしい?てそれもすげー気になるし、でもそれについて妄想する力残ってなくて、おいしいお店の前を匂いだけ嗅いで通り過ぎるみたいなことしないといけないし。

「シュンポシオン横浜」を開催します - 横浜逍遙亭とついに「シュンポシオン横浜」の公式声明が出されて、「あー何もお手伝いできてねー」「うほ、なんて楽しそうな中身!」「こ、これはちょっと何かそれなりに練っていかないと…」などなど、やりたいのにできていない!もしくは、できていたのにいまはできていない!みたいなことが増えて、ちょっと完全に僕の生活感はいまフワフワしている。


僕の心が何かに「急いでいる」。そういう感覚だけが続いているものの、いったいこの感覚はどこに向いたものなんだろうかわからない…。

そんな中で、竜王戦中継plus: 梅田望夫氏、竜王戦第1局を語るを読んだ。

ビジネス世界のグローバルな荒波の中を、またその荒波そのものに対しても、どういうメンタリティをもって向き合ってきたかという姿を見て、少し自分の足を地に近づけるヒントを得た。

テロが起きても、戦争が始まっても、世界経済が音を立てて崩れようとも、私たちは、毎日の生活の潤いや楽しみを求めて、音楽を聴いたり、小説を読んだり、野球を観たりしながら、精神のバランスをとって、したたかに生きていかなければならないのだ。文化は、その時代が厳しくなればなるほど、人々の日常に潤いをもたらす貴重な役割を果たすものなのである。

この世界金融危機のさなかに、将棋を観るために、パリに向かう。

 そんな不思議な旅の出発が近づくにつれて先週から、私の心の中では、なぜか日に日に緊張感が高まっていった。

 ふと思い出すのは、7年前の同時多発テロ直後のこと。まだ多くの日本企業が海外出張禁止令を出していた頃、アメリカでは「予定通りの日常を何の変わりもなく生きることこそが、個人のレベルにできるテロとの戦いなのだ」という気分が横溢していた。私もそれに共感し、予定していた日本出張をキャンセルしなかった。しかしさすがにその日ばかりは、飛行機がサンフランシスコ空港からふっと浮揚した瞬間、ああこれが最期かもしれないんだな、という思いが頭をよぎった。

 今回のパリへの旅には、むろんそういう物理的恐怖はなかった。でも「予定通りの日常を何の変わりもなく生きる」ことで、このたぴの経済危機と個人のレベルで折り合いをつけていこうという気持ちは、あのときと共通している。どうもそこからくる緊張感のようだった。

自分が自分以上の何かに向き合うことは、バックボーンである日常にしっかり筋が通っていて初めて可能なこと。そこが崩れていては、何にも向き合えないし、何に取り組んでもただ疲労感が残るだけ。まずは、自分の身の回りをしっかり固めて戦地に赴かないとね。


いま、少し前までとは「維持すべき日常」が変わっとるということに改めて認識して、また自分の新しい「維持すべき日常」を見つけ出さないといけない。僕の心が「急いでいる」のは、僕の小さなニューノーマルを確立することだった。


そのためにも、とりあえず忙しさにまみれて平日できていない洗濯とか掃除とかね、そもそもそーゆートコから取り戻そうと感じたこの夜中。

作者:topo-gigio

更新日:2008年10月18日 18時27分

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