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YTNと東亜日報、残酷なデ・ジャ・ヴ
YTNと東亜日報、残酷なデ・ジャ・ヴ
[2008.11.07第734号〕
〔焦点〕『東亜日報』を弾圧した維新独裁政権の再臨なのか・・・
当時、拷問された『東亜日報』のチェ記者がチェ・シジュン委員長という‘アイロニー’
#1.2008年10月6日、YTNは人事委員会を開き、労組員6人を解雇、8人を減俸、13人を警告措置にするなど大規模な懲戒を断行した。これは李明博(イ・ミョンバク)大統領の特別補佐官出身である‘天下り社長’を拒否する運動を展開していた人々に対する報復だった。経営陣は社内掲示板に次のような文章を掲げた。「労働組合は株主総会以降80日余りの間、社長の出勤を阻止するなどの言論史上前例のない不法闘争を続けてきた」。しかし、懲戒されなかった組合員たちは、月給を得られなくなった同僚たちのために‘前例のない’数千万ウォン(=数百万円)の基金を準備した。
#2.1975年3月8日、『東亜日報』は審議室と編集局企画部、科学部、出版局出版部をなくし、所属記者18人を解雇した。政府による事前記事検閲など、言論の自由に対する弾圧に記者たちが集団で抗議し、これに対して中央政府が『東亜日報』に広告を載せないように広告主に圧力を加えたため、会社が屈服してとった措置だった。この事態をキム・サンマン『東亜日報』社長(当時)は「広告解約状態で経営が難しくなり、機構を縮小した」と釈明したが、「それよりも我々全員の給料を減らそう」という記者たちの要求は受け入れられなかった。
デジャブ(dejavu)。
何かを初めて見たのに、以前にも見たように感じる現象を示す。漢字では既視感。

「記者たちのせいで会社がダメに」と同じ脅迫
最近の言論界の動向を見るていると、デジャヴを感じることが多い。33年前の『東亜日報』と現在のYTNに関する話だ。1974~75年の維新独裁時代に起きた『東亜日報』白紙広告事件と1980年の言論統廃合事件以来、ほぼ30年ぶりに‘権力(と会社)による記者の解職’が再現されたからだ。デジャヴはこれだけではない。事件を眺める権力層の態度を見てみよう。
1975年2月3日、パク・ジュンギュ民主共和党政策委員長(当時)は、アメリカの『UPI通信』とのインタビューで企業広告が消えた『東亜日報』事件に関して次のように話した。
「『東亜日報』は今、記者たちの支配下に置かれています。我々は『東亜日報』が発行人や編集人たちの支配下に置かれることを望んでいます。もしそうなれば、事態の解決は簡単になるでしょう。『東亜日報』の主張が統一され、規律が確立されるまでは誰も(広告再開)のイニシアティブをとらないでしょう」。
ところがその1カ月ほど前の1月6日には、イ・ヒョサン国会議長(当時)などが記者会見で「(『東亜日報』)の広告問題は、広告を出すように依頼した人たちと新聞社の関係に関する問題」だと話した。口やかましい記者たちを整理しなければ白紙広告という事態は続くという警告と、広告は企業と言論社間の問題に過ぎないという主張が共存していた。
33年が過ぎた2008年10月1日。ハンナラ党のチョン・ビョングク(メディア産業発展特別委員会)委員長は『ハンギョレ』とのインタビューで、「今月中に放送通信委員会がYTN再許可の是非を審査することになるが、YTNにこの事態を解決する能力がないと判断されれば再許可を出さないこともありうる。もし再許可を受けられなければ、会社存続の問題まで考慮しなければならない」と話した。これに先立ち、イ・ドングァン青瓦台スポークスマンは9月18日に国会運営委員会に出席し、「(YTNが労組員を刑事告発したことは)正常な推薦によって選ばれた社長なのに、社長室に入れないようにして業務を妨害したことに対しては、法的駆除が可能なのではないか」と話した。33年前と同じく、会社がつぶれかねないという脅迫の論理と、一企業内部の問題であるために法に従ってすればいいという主張が共存している。
33年前の『東亜日報』と現在のYTNの間には、デジャヴだけでなく、アイロニーも存在している。ある劇的な状況で予想されることと、実際に起こることが一致せず、逆に起こる現象のことだ。
維新政権の序幕が準備されようとしていた1972年1月28日。この日付の『東亜日報』1面には屋外集会・示威措置に関する記事が載せられた。作成者は入社7年目の政治部のチェ記者だった。翌日、チェ記者はソウル南山にある中央情報部の地下室に連行され、無差別に棒で殴打された。政府機密を漏洩し、社会の混乱を招いたという理由だった。取材源を明らかにしろという要求とともに厳しい拷問が続いた。しかし、チェ記者は最後まで口を割らず、代わりに辞表を出すことで釈放された。当時、この事件は言論界に静かな波紋をもたらした。パク・グォンサン『東亜日報』編集局長(当時)は直接チェ記者の自宅を訪れ、誰だか見分けが付かないほど腫れ上がったチェ記者の顔を見て驚いたそうだ。酷い性的拷問を受けたという噂もあった。

退陣どころか、社員の月給を取り上げた‘天下り社長’
中央情報部の酷い拷問を受けたチェ記者とは、今では放送通信委員長となったチェ・シジュン氏のことだ。李明博大統領の最側近であるチェ委員長は、キム・フェソン国家情報院2次長、ナ・ギョンウォン議員(ハンナラ党)、イ・ドングァン青瓦台スポークスマンなどと秘密裏に会って韓国放送対策を話し合い、それに前後してク・ボンホンYTN社長とも会談した。政府の言論掌握を計画し、実践する総司令官として注目されている。言論の自由弾圧の被害者が加害者の首領として生まれ変わったのだ。
10月29日、真実・和解のための過去事整理委員会(真実和解委・委員長アン・ビョンウク)は、‘『東亜日報』広告弾圧および強制解職事件’を「中央情報部などの国家公権力による重大な人権侵害事件」として規定し、国家と会社に謝罪と適切な措置をとることを勧告した。権力と会社によって路頭に放り出された100人余りが、実に33年ぶりに公式復権したのだ。
しかしYTN事件では、ク・ボンホン社長出勤拒否闘争が100日以上続いているが、解決の気配すら見えていない。労組員はもちろん、他の言論社記者、言論学者、言論団体まで立ち上がってク社長の退陣を求めているが、ク社長は退陣どころか10月の月給を出さない方針で労組員たちの首を絞めつけている。また、10月24日にク社長により新たに任命されたカン・チョルウォン報道局長は、部・チーム長会議で「労組に同調する部・次長は自ら名乗り出ろ。このような人物とは一緒にやっていけない」と宣言した。しかし、労組員の態度もまた頑強だ。毎日、数十人の組合員たちがク社長の出勤阻止闘争を行っており、10月29日には故意的な賃金未払いの容疑でク・ボンホン社長をソウル地方労働庁に告訴までした。力と情の間でどちらが勝つかはまだ未知数だ。
YTN事件の結論は、33年前の『東亜日報』事件のデジャヴになるのか、それともそうはならないのだろうか。
イ・スンヒョク記者
作者:hamnidak
更新日:2008年11月29日 10時4分
Sisters Are Doin' It For Themselves
〔寄稿〕「光復会の反対、信じられない」/中原道子
筆者は早稲田大学の名誉教授として武力紛争中の女性に対する暴力、軍隊と性の問題、男性が書いた歴史叙述に対する批判的分析、歴史記述における記憶の意味と位置、植民地主義とジェンダーなど多様なテーマで日本人学生はもちろん、世界各国の留学生たちに講義してきた。加害国で生きていく一人の女性として日本軍性奴隷を調査し、日本軍‘慰安婦’問題解決運動に参加してきた。
ところが11月3日、光復会をはじめとする32の独立運動関連団体の‘戦争と女性の人権博物館建立許可撤回を求める記者会見’の知らせを聞き、困惑せざるを得なかった。36年に渡る日本の植民地支配下で命を捧げて戦ってきた方々、それほど立派な独立運動の偉業を果たしてきた方々が、日本軍‘慰安婦’被害者女性のための‘戦争と女性の人権博物館’を西大門独立公園内へ建設することには反対しているという事実が信じられなかったからだ。
光復会は声明文で「戦争と女性の人権博物館」建設の「積極支持」を表明しながら、同時に西大門独立公園内に建設することには「決死的阻止を宣言」している。西大門刑務所は「抗日の産屋であり、民族魂の聖地」というのがその理由だ。また、「我が民族が積極的な抗日闘争よりも、日帝による受難のみを被った民族」という「歪曲された歴史認識」を若い世代に注入してしまうと批判している。
現在の韓国で、日本による植民地支配や帝国主義支配に対して果敢に闘っている人は誰なのか?日本が過去の戦争犯罪に対して過ちを公式に認め、謝罪することで日本という国家の責任を果たすことを求めている人たち、その闘いを続けている人たちは誰なのか?
それは他でもない、日本軍‘慰安婦’として被害を受け、今では80歳を超えたおばあさんたちだ。そのおばあさんたちを支援し、一緒に闘ってきたのが韓国挺身隊問題対策協議会の女性たちであり、その闘いの正統性を共有して闘ってきたのが日本をはじめとした世界各国の女性たちだ。
絶え間ない被害者たちの証言や、女性たちの闘いは、国連などの国際社会で戦時性暴力犯罪者に対する不処罰の歴史、そのパラダイムを変えた。米下院で日本政府に‘慰安婦’に関する公式謝罪と国家賠償を求める勧告決議も生まれた。その後、カナダ、オランダ、ヨーロッパ議会、最近では韓国の国会でも同じ勧告決議が発表された。10月30日には国連自由権規約委員会が日本政府に対する審査報告書および勧告を発表し、「‘慰安婦’生存者に十分な賠償を行えるようにするための‘法的・行政的に迅速な措置’と法的責任を認め、被害者の大多数が受け入れられるかたちでの謝罪」を勧告していた。
韓国の歴史において命を捧げ、独立のために戦ってきた人たちの聖地にこのような世界的に重要な意味を持つ‘戦争と女性の人権博物館’が建てられるのは望ましいことだ。日本軍による性奴隷制の被害者である女性たちは、今まで植民地支配下で日帝が女性に行った人権蹂躙に対して人権と尊厳回復を希求し、果敢に闘争してきたからだ。この闘争を支援してきた挺身隊問題対策協議会の女性たち、この闘争に共感して支援している世界各国の女性たちの闘争を歴史に残し、未来の世代に明るい歴史の1項目として伝えるのにもっともふさわしい場所が西大門独立公園だと信じている。世界各国からこれを訪れる人々は、人権と平和に関する世界共通の願いを実現するために闘ってきた被害女性たちを尊敬し、共感するだろう。日本軍によるあらゆる性暴力被害者たちの痛みを分かち合い、世界中で起こっている武力紛争に伴う性暴力が絶えることと、再び戦争のない平和な世界が訪れることを願っている。
中原道子・早稲田大学名誉教授
(ハンギョレ 2008年11月04日)
作者:hamnidak
更新日:2008年11月10日 12時2分
復旧には程遠いナルギスの傷跡(2)
[アジアの今日を歩く]民主化は民衆の心から
[ハンギョレ21 2008.10.03第729号〕
ビルマの水害現場イラワディ・ルポ②-軍事政権を信じるのか、戦争も辞さない西側を信じるのか
ビルマのイラワディ・デルタ地域で起きたことは悲惨だった。サイクロン「ナルギス」は人間の力ではどうにもならない自然災害だったが、その後は人間の手によるものだった。イラワディの惨劇は、自然災害が人間の手に移行したときに光を放った。ビルマの軍事政権は、一瞬にして親兄弟、家はもちろん、あらゆるものを失って飢えに直面した罹災民を見捨てた。国際社会の援助を要請するどころか、拒絶して難しい条件をつけるという居丈高な態度をとった。

緊急援助が必要な時期に軍事政権の非難ばかり
あれはどういう決意だったのか。腐敗したビルマの軍事政権が、流入してきた救援物資で自分たちの私腹を肥やすのに汲々としていたところを見ると、物資を嫌がるどころか、待ち望んでいたのは明らかだ。しかし、軍事政権は自分たちの身に危険が及ぶほどまでには貪欲ではなかった。彼らは一刻を争う罹災民救援に太平洋艦隊所属の軍艦4隻と22台のヘリ、上陸艦、水陸両用車、5000人の兵力などを送ってきたアメリカの感激的な‘慈悲深さ’や、やはり救援物資を載せた海軍上陸艦ミストラル号を送り込んだフランスの‘人道主義’には断固として拒絶した。
災難直後にタイや中国、インドネシアなどASEAN諸国からの救援物資支援がこれといった支障も来たさずに進められたことを考慮すると、ビルマの軍事政権が門を閉ざした対象は‘世界’ではなく、いわゆる‘西側’だったことがわかる。絶望的状況に陥ったイラワディの罹災民たちを人質に、ビルマ軍政と西側が繰り広げた救援ゲームの緊迫した裏事情は、めまいと共に物悲しさを引き起こした。
アメリカは真っ先に救援の手を差しのべ、アンダマン海に駆けつけた。コンドリーザ・ライス米国務長官は、ビルマ政府が国民のために即刻、国際社会からの援助に門を開かなければならず、「これは政治ではなく人道の問題」だと念を押した。もちろんこれはヨーロッパと北米に共通する立場であり、世界中のメディアもこれを先導した。しかしアメリカとフランスが軍艦を送ってきたため、ビルマ軍政にとっては人道ではなく政治と軍事の問題となった。アメリカとフランスは、軍艦を送らなければならない理由を援助の緊急必要性のためだと説明した。しかし、軍艦以外の輸送手段を利用するのと同じくらいの時間が経過し、依然として緊急援助が必要なのに、アメリカとフランスは援助ではなくビルマ軍政を非難することにエネルギーを消耗した。そして結局は背を向けた。国連や西側諸国は3ヶ月が過ぎる前にイラワディをきれいさっぱり忘れてしまった。ゲームが終わったのだ。
イラワディの惨劇は、アメリカやヨーロッパがビルマで渇望しているものが人権や救援ではなく、天然資源や市場をめぐる利益であることを再度証明した。1997年から始まったビルマに対するアメリカの経済封鎖は人権蹂躙を理由に行われたが、そのアメリカの企業であるユノカル(UNOCAL)がガスパイプラインの埋設をめぐってビルマ軍政と結託して行った強制労働のようなことは、醜悪な人権蹂躙の代表的な事例だ。1996年に人権蹂躙で法廷に立ったユノカルは、テロとの戦争を打ち立てた米国務部の積極的な弁護によって処罰を免れた。
アメリカが送り込んだ軍艦の意味
また、ビルマ軍政はアメリカの経済封鎖にまったく打撃を受けていない。ビルマが世界でもっとも孤立した国だというのは、観光客にとっては正しい評価かもしれない。しかし、ビルマはすでに世界資本主義体制に下位ではあるがしっかりと組み込まれた状態だ。中国、タイ、さらには韓国もビルマの油田や天然ガスの開発に関与していたり、関与を模索していることは周知の事実だ。これらはすべてユノカルと同じようにビルマ軍政の金づるの役割を果たしている。ユノカルを合併したシェブロンテキサコ(ChevronTexaco)は、依然として莫大な利益を上げており、ビルマ軍政も甘い汁で口を潤している。1989年以降、15億ドルの軍事物資をビルマ軍政に供給した中国は、ガス田、鉱物、木材事業などに触手を伸ばし、利益を上げると同時に軍政の最大スポンサーの役割も果たしている。言うなればビルマ軍政はアメリカや西欧が不在でもグローバル時代、世界資本主義体制の恩恵をそれなりに享受しているのだ。その渦中で経済封鎖やビルマ軍政指導部の自国内資産凍結などの強硬手段をとってきたアメリカや西欧諸国には、愉快なはずがない。

米軍艦の上陸の試み、また一方的な空中投下方式の救援など、アメリカ側からもたらされるビルマ罹災民の救援方式は、あえて国際法を持ち出さないにしても、戦争を辞さないという覚悟でなければ試みることができない方法だった。アメリカは人道を前面に出しての救援ではなく、恐喝をしていた。アフガニスタンとイラクの場合でもわかるが、条件さえ揃えばアメリカが軍事的侵攻を厭う理由はそれほどない。抜け目のないビルマ軍政は、アメリカの侵攻に備えて首都をラングーンから内陸深くに位置するネピドーに移転した。西側メディアはこれに対して、数字で運を計るのが好きなビルマ軍部のタン・シュエとその仲間たちが迷信を理由にしていることを皮肉った(タン・シュエは占星術を妄信していると言われている)が、ビルマ軍部が現在のビルマで最高のエリート・グループであることは自他が認めている。当然、‘軍人’であるからには軍事分野では専門家だ。こんな事情ならば、軍艦を押し込んできたときにはお互いにわかっていながら賭場だと言い張るしかなくなってしまう。どちらも人道主義や援助には関心がないことに違いはないのだ。
ならず者のビルマ軍政と、やはりならず者の西側帝国主義との間で血を流しているのはビルマの民衆だ。そしてその一方に、アウンサンスーチーに象徴される無気力な民主主義民族同盟(NLD)が存在する。アウンサンスーチーとNLDは、アメリカやヨーロッパが全幅の支援を惜しまないなか、この20年余りを耐えてきた。ビルマ軍政の野蛮な弾圧の下、それでもアウンサンスーチーがラングーンの自宅でどうにか生きながらえており、またNLDが組織を形だけでも維持しているのはそんな理由からだ。アウンサンスーチーはとにかく自分を支持するアメリカや西欧の利益を代弁してきた。ビルマに対する経済封鎖を根気強く主張してきたのが、アウンサンスーチーとNLDだということを思い出す必要がある。
真っ先に袖をまくりあげた者たち
アウンサンスーチーが自宅に軟禁されている間、事実上ビルマの民主化運動の大衆的根拠は荒廃し、絶滅に近い状態に陥った。2007年8月の民主化デモが僧侶たちによって触発、拡散した現実は、今のビルマには僧侶しかデモを主導する勢力がいないということを意味している。1990年代の民主化運動を主導した学生勢力は、今は抜け殻しか残っていない。
「ビルマの大学は、今では通信大学のようです。90年代の民主化運動以降、そのように変わりました。大学生になっても学校で授業を受けることがほとんどありません。家で勉強する時間の方が長いくらいです」
このように学生運動の拠点である大学を抜け殻にしてしまうほど、ビルマの軍事政権は野蛮だ。そのおかげで学生運動は消滅した。労働者、農民、貧民など基層民衆の運動は言うまでもない。今存在するのは、ビルマの光が統率する偉大な軍政による唯一の前進のみだ。その一方で外部勢力の支援を受けるアウンサンスーチーとNLDだけがどうにか存在するものとして数えられるのみだ。ラングーンで2人のNLD関係者に会うことができた。そのうちの1人は1997年の選挙で議員に選ばれたが、その後6年間は獄中で苦痛を味わい、もう1人も鉄窓の中で6年間過ごさなければならなかった。1人がこのように語った。
「このような状況でどうしろと言うんですか。何ができるのか教えてください」
彼は逆にこちらに畳み掛けてきた。ビルマは盗人が猛々しい国になってしまった。しかしまた別のNLDの構成員は、まったく違う言葉を漏らした。
「私はアウンサンスーチーとNLDに対する希望を捨てました。彼らは何もしていません。ただ待っていると言うだけです。もううんざりです。でも私には希望があります。我々が民衆に近づき、何事も彼らと共にすべきです」

彼が見つけた希望とは、ナルギスが残した残酷な傷跡に立ち向かう民衆の姿だった。
「誰も政府の助けを望んだり、待ってはいませんでした。誰もが翌日から腕まくりをして吹き飛ばされた屋根を葺き、倒れた壁を直して路地の電信柱を立てました。電信柱の電線はいつになるかわかりませんが、それでも人々は倒れた電信柱を立てたんです。何というか、それはまるで‘コミューン’を見ているようでした」
沈黙に閉ざされた民主化抗争1周年
彼は抗争で民衆の偉大さを感じたと言った。彼らのところに行って手をつなげば、何でもできそうな気がしたとも言った。彼が感じたという覚醒を、自発的な復旧事業が行われている現場で私もすぐに理解することができた。アウンサンスーチーをひたすら待ち続けるだけのNLDのようなラングーンの老衰した外圧依存のエリートたちは、軍政の圧倒的な弾圧を言い訳にしながらも、彼らの暴力的な愚民政治に同調しているのだ。彼らは西側の封鎖によって軍政が弱体化し、西側からの絶大な支援の下で権力が自分たちの手に入ってくる‘その日’を待っているだけだ。どうかすれば彼らが首を長くして待っている‘その日’がいつかは来るかもしれないが、‘その日’とはビルマ民衆の‘その日’ではなく、貪欲なアメリカや西欧資本の‘その日’になるだろう。
ビルマの極端な低開発状態と経済封鎖は、軍政に完全な軍部独裁統治をもたらしていた。西側の経済封鎖は、天然資源に依存する軍政には何の打撃も与えず、ただ民衆の苦痛のみが倍加している。さらに深刻なのは、経済封鎖により深化する軍事的弾圧や経済的貧困、情報の閉鎖が民衆の力による組織化と発展への障壁となっているという点だ。ビルマ軍政の終息は、ビルマ民衆が自らを組織できたときに到来するだろう。だが西側の経済封鎖に対するNLDの盲目的な支持は、その道を塞いでいる。
野蛮な軍部独裁統治の抑圧の下で僧侶たちが先頭に立ってビルマ民衆の自発的闘争意志を証明した2007年の民主化抗争が、9月29日で1周年を迎えた。その1年はまた前と同じ沈黙の1年だった。抗争が終わらないようにするには、ビルマ民衆自らの組織化された声がたとえ小さな声であっても水田やヤシの木々や密林から上がらなければならない。国際社会の良心は、ただその響きに歩みを合わせて鼓動しなければならないだろう。
ラングーン・イラワディ(ビルマ)=文章・写真/ユ・ジェヒョン(小説家)
作者:hamnidak
更新日:2008年11月3日 16時46分
復旧には程遠いナルギスの傷跡
[アジアの今日を歩く]
悪辣なハリケーン、さらに悪辣な政府
[ハンギョレ21 2008.09.26第728号〕
ビルマの水害現場イラワディ・ルポ①-住民たちが死に直面しつつあるなか、軍や警察はその手を阻んだ
ビルマ(現ミャンマー)への道のりは平坦ではなかった。バンコク発ラングーン(現ヤンゴン)行きの航空券4枚は紙くずとなり、ゴミ箱に押し込まなければならなかった。そのうちの2枚は予期しなかったサイクロン「ナルギス」のせいだった。しかし紆余曲折の末、カトマンズのミャンマー大使館でビザを取り、再びバンコクを経由して5月にサイクロン「ナルギス」により満身創痍となったラングーンに到着することができた。災害から20日余りが経っていた。空港から都心へ行く道には、兵士を満載した軍用トラックと完全武装した軍人たちがびっしりと並んでいた。

寺院のみ復旧作業
「そうですか?妙ですね」
到着してすぐに会った民族民主同盟(NLD)関係者のAさんは、‘初耳’だという反応だった。昨年10月の僧侶たちによるデモも流血鎮圧後にうやむやとなり、悲しいことだがラングーンでは目を皿のように見開いても武装した軍人が出現する理由は見つからないと言った。‘妙’の正体はすぐに把握することができた。私が到着した日は、たまたま潘基文(パン・ギムン)国連事務総長がナルギス救護支援を協議するために、新首都のネピドーで国家平和開発評議会(SPDC)のタン・シュエ議長に会う日だった。空港路に並ぶ兵隊は、国連事務総長に対するビルマ軍政の偏屈な歓迎式だった。
それでなくても異常な国ビルマでは、実に異常なことが起こっていた。国連をはじめとするいわゆる西側は、ナルギスがもたらした悲惨な災害を救援するために脅迫と恐喝、そして査定を使い分ける一方、ビルマ軍政は後ろ手を組んだまま国連事務総長に武力示威を行っていた。
ビルマでもかつてない規模の大災害であるサイクロン「ナルギス」が残した傷跡は、20日余りが過ぎたラングーンにもありありと残っていた。市内の大通り沿いには一抱えの木が根をむき出しにして倒れている姿があちこちで見られ、電信柱は立っていても電線のないものが目についた。大通りの裏側は、事情がさらに悪かった。倒れた電信柱を立てているのは住民たちだった。ラングーンの象徴であるシュエダゴン・パゴダの向かい側にある住居地で電信柱を立てていた住民は、「政府が電線をつなげると言ったが、いつになるかわからない」と話した。ラングーン郊外に住むウタンソエ(31)さんは、まだ電気が通っていないのでロウソクとランプで過ごしていると話した。しかしシュエダゴン付近のある寺院では、境内の倒れた木々を取り除くために軍や警察、そして軍用トラックが動員されており、大通りの電信柱と電線復旧事業には、重装備や人材が導入されていた。ビルマ軍政は権力を維持するために国民ではなく仏心にすがっていると言われているが、その事実を証明しているようなものだ。
ビルマ軍政の広報紙である『ミャンマーの光』(TheLightOfMyanmar)は連日、国家平和開発評議会のタン・シュエ議長と軍政の将軍たちが災害地域を訪れたという記事と写真で埋め尽くされていたが、ラングーン市民は軍事政権が自分たちを助けてくれるだろうという期待をとうの昔に捨ててしまったかのように見えた。一般人を対象にした軍政による災害復旧事業は、誰もが口をそろえて‘無’に近いと言った。
ビルマ史上で最大級の災害に見舞われたイラワディ・デルタ地域に入るために、到着した初日から東奔西走した。サイクロンが通り過ぎてから3週間が経っていたが、ヤンゴン川を渡ることからして困難だった。ラングーンの民間無償医療機関が日曜日に診療をするため災害地域に行くという噂を聞き、同行させてもらえるように頼んだが、お互いに困惑することだらけだった。
「行くことはできるでしょうが、問題になれば残った私たちが・・・」
保安隊の世話になりかねないということなので、これ以上お願いすることができなかった。誰かの紹介を受ける方法を考えた。方法を変えてイラワディ・デルタの上に位置する西部のパテンに行った後、南進する計画を立てたが、それも望みはなかった。
「今は外国人にチケットを売っていません」
「私の外見はビルマ人のように見えるでしょう?」
「パテンに行くまでに検問所が何カ所もあるそうですが・・・」
彼は私が日焼けしているのを見て「ビルマ人のようにも見えますね」と言ったが、「あなたはそんなに運いいのですか?」という表情になった。考えて見ると、今回の旅行で私はそれほど運がいい方ではなかった。
そんななか、ビルマ軍政と対決する最高の方法は‘お金’だというアドバイスを聞いた。
「ワイロを使いますか?」
「あの人には有り余るだけのお金があるのに・・・。お金のためなら危険を顧みない貧しい人を見つけてください」
罹災民キャンプは戦時用
彼によると、どうせ外見はビルマ人で通しても問題はなさそうだから、しゃべらなければ大丈夫だということだった。その代わりに話してくれる人が必要だが、問題になればその人の身にも危険が及びかねないので、危険手当で解決しろということだった。
沈黙の誓約を胸に抱いて5月25日と26日の2日間、イラワディに潜入した。濁流がうねっているヤンゴン川を渡るフェリーに乗り、西岸のダラに到着した。罹災民を収容したというダラの仏教寺院は、ただただ物寂しかった。しばらくして現われた幼い僧侶が、罹災民たちは2週間前に近くのダラ高校へ移っていったと話した。しかし学校もガランとしているのは同じだった。一時は300人余りの罹災民がいたが、今は4世帯のみが教室の一つに集まっていた。しかしダラ周辺地域だけでも2000~3000人の罹災民が発生したと言われている。

「6月に新学期が始まるので空けてくれと言われ、みんな故郷に帰りました」
ウ・フラ・アウン(59)さんはこの3週間、政府から4回米と豆を1握りずつ配給されたのがすべてだったと話した。彼の家族は月末までに学校を出なければならないが、帰ってから家をまた建てようとは思えず、そのまま留まっていた。首都であるラングーンから程近いダラの罹災民収容所はこんな事情だった。
検問所を通過するのに絶対に有利だという理由で、オートバイの後部座席に乗ってラングーン地域から南部のクンヤンゴンへ向かった。クンヤンゴンは5000人余りの死亡者を出したサイクロン被害のもっともひどかった場所の一つだが、そこへの道中では風にしなるヤシの木以外は無傷の木がまったく見つからないほど被害は深刻だった。コンクリートの電信柱は一様に真ん中が折れていたり、倒れて太い高圧電線が路上に危なっかしく伸びていた。子供たちは倒れた電信柱にかかっている1.5cmの太さの送電線で作ったブランコに乗っていた。寺院の仏塔は、ダラ付近では尖塔の装飾が折れているだけだったが、それ以降は尖塔が根元から折れている様子が見られた。道路周辺の家々はどうにかまともに見えたが、それは竹で骨組みを立ててヤシの葉で壁と屋根を葺いた家だったので、すぐに復旧できたということだった。住民たちがみんな路上に出て通り過ぎる車に顔を向けている理由は、たまに現われる救援車両が投げてくる衣類や食品のためだった。
「ラングーンから個人的に救援物資を渡すために車に乗って来る人々もいるし、企業から来る場合もありますよ」
言うなれば非政府救援だった。道路の周辺で子供を抱いて立っていたある女性は、住民たちが列を作るかのように路上に立っている理由をそのように説明しながら、政府の救援物資や外国から来た救援物資はまだ見たこともないと話した。
路上ではよく軍人や警察官が陣取っていたが、彼らの任務は出入りを統制し、いわゆる秩序を維持することであり、救援とは何の関係もなかった。ラングーンからクンヤンゴン間に唯一あった政府による罹災民キャンプに行ってみた。15のテントが建てられているキャンプには、1つのテントに1世帯ずつ計15世帯が収容されていたが、そのテントは戦時用のものばかりだった。政府の罹災民キャンプは軍人が警備に当たっていたが、救援物資を渡すという理由でキャンプに足を踏み入れることができた。私の貧しいガイドは、それさえも将校がいないから可能なことなのだと耳打ちした。道路の内側にある村の寺院にもやはり罹災民は収容されていたが、ダラの寺院と同じようにガランとしていた。しかしそこには200人余りの罹災民が寄り添っていた。
「人々は朝になると出て行き、日が沈むまで戻ってきません」
寺院には居場所を提供する以上の余裕はないので、人々は日が昇ると各々が出かけて食糧を手に入れたり、路上で救援物資を待ち、日が沈むと寺院に戻るというのが若い僧侶の返事だった。まだ若いのに生気がないように見えるその僧侶もまた、この3週間は政府や外国からの救援物資を一度も見ていないと話した。
「軍人や警察が時には救援物資を押収」
ラングーンにもどる道すがら、これまで3回にわたってイラワディの災害地域へ個人的に救援物資を届けたという中年のビルマ人事業家に会った。
「検問所の警察や軍人たちは自分たちが分配するから救援物資をよこせと言うんです。でもあの人たちに渡してしまえば、実際に罹災民に行き渡る分はなくなるというのが公然の秘密になっています。私は今まで一度も彼らに物資を渡したことがありません。直接入って物資や食料を渡します」
「個人的な救援物資の搬入を邪魔されたりはしませんか?」
「最近は邪魔されたりはしません。でも時々物資を押収するという話を聞きました。数日前、1トントラックに救援物資を載せてイラワディに入ったある会社の物資を、軍人たちが押収したそうです」
イラワディ・デルタ地域の下流にあるビアポガン付近の事情は見るに忍びないものだった。道路ではさらに多くの人々が陣取っており、川辺では漁船がひっくり返ったり、陸に上げられていた。支流のノッシヤントの川辺にある村の寺院で出会った罹災民は、3200人の地域住民のうちの191人が亡くなり、100人余りが行方不明になったと語った。彼はあのような強風は生まれて初めてだったと頭をしきりに振った。亡くなった人々は津波のように押し寄せた川の水で溺死したり、山に避難したところで毒蛇に噛まれて死んだそうだ。
ラングーン・イラワディ=文章・写真/ユ・ジェヒョン(小説家)
作者:hamnidak
更新日:2008年11月3日 16時28分
北朝鮮の3代継承はない
〔特別寄稿〕3代継承はない/和田春樹
9月9日、ピョンヤンでの建国60年の祝典に金正日国防委員長が参加せず、衝撃をもたらしてから10日以上が経った。 金正日委員長が病臥中であるという点は、すでに疑いの余地がなくなった。
重病説を主張する人もおり、後継者問題を云々する意見もある。 致命的な病ではないとしても、完全に治るまで時間がかかる場合は金正日委員長の職務を代行する人物が必要になる。 再起不能状態ならば、後継者を立てなければならない。 このような意味で、後継者問題はすでに発生したと見なければならないだろう。
金日成主席が死亡した時点で労働党政治局常務委員だった金正日委員長は、人民軍最高司令官と国防委員会委員長のポストを受け継いだ。 後継者として広く知られており、資格は十分だった。 その資格は親子だからではなく、20年以上もの長期間にわたって金日成体制、‘遊撃隊国家’の演出家として活発に活動していたことに基づいていた。
そして継承にあたって金正日委員長は新たに朝鮮人民軍を国家社会の核心とする体制、つまり先軍体制(私見では‘正規軍国家’)への転換を実現した。 経済危機の真っ只中、難しい継承作業をやり遂げた力量も大したものだった。 父子継承としては、台湾の蒋介石の跡を息子の蒋経国が継いだことも有名だが、その場合も単純に親子だということではなく、蒋経国という人物の相当な経験と力量に基づくものだった。
金正日委員長の子供のうち、誰が後継者候補になるのかという意味の主張をする人たちもいるが、端から3代継承はありえない。 3代目の王子ということは、緊張感のない生活を送り、また放縦ななかで成長したがために継承作業のための経験を積むことができないのが普通だ。 実際、彼の子供のうち、要職に就いて誰もが認める業績を誰一人あげることができないでいる。 このような意味で父親の地位を継承する資格がない。
金正日委員長が一時的とは言え、指導者としての務めができないとすれば、憲法上国家統治の最高機関である国防委員会委員長兼人民軍最高司令官のポストに代行者がいないということになる。 国防委員会の第1副委員長は人民軍総政治局長の趙明録(チョ・ミョンロク)次帥で、副委員長は前参謀総長の金永春(キム・ヨンチュン)次帥と李用茂(イ・ヨンム)次帥だ。 委員の中には人民武力部長の金鎰喆(キム・イルチョル)次帥がいる。 昨年登場した現役参謀総長の金格植(キム・ギョクシク)大将、総政治局第1部局長の金正覚(キム・ジョンガク)大将はまだ国防委員会の委員ではない。 その他に文民としては軍需産業担当である党書記の全秉浩(チョン・ビョンホ)、人民保安省のチェ・ヨンスなどがいる。 規定上、金正日委員長の代行は第1副委員長の趙明録が予定されているはずだ。 彼は文字通りのナンバー2だ。 しかし、病気のために手術を何度もしたという報道がある。 その点で、建国60周年の閲兵式で「金正日委任による」と式辞を読んだ副委員長の金永春(キム・ヨンチュン)が注目される。
彼は昨年7月、総参謀長として国防委員会副委員長に昇格したが、次帥になったのは趙明録と同じ時期だ。 彼と共に先軍体制確立を裏付けてきた。 1997年4月9日、金正日の軍重視思想に対して演説を行い、「軍隊はすなわち人民であり、国家であり、党」だというイデオロギーを最初に鮮明に説明した人物だ。 金正日不在の閲兵式の演説では、趙明録と金鎰喆が軍服姿だった。 金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員会委員長と金英逸(キム・ヨンイル)総理が背広姿だったのに比べ、彼だけは金正日風の人民服だった。 そのため、金正日委員長のポストを代行するのは金永春ではないかと考えることもできる。
ただし、この代行者は金正日と同じような独裁者にはなれない。 国防委員会が党書記局の協力を得て統治する場合、合意の形式が重要だ。 代行の路線としては当分の間、金正日路線の継承が原則だろう。
和田春樹/東京大学名誉教授
(ハンギョレ新聞 2008年09月22日)
作者:hamnidak
更新日:2008年10月23日 17時31分
自己肯定感の欠如
自己肯定感の欠如/高橋哲哉
前回から私は秋葉原の通り魔殺人事件の考察を続けている。前回は日本の若い世代が置かれているワーキングプア(どんなに一生懸命働いても貧困状態から脱することができない階層)の問題、未来に希望を持てない過酷な労働環境の問題があるという点を指摘した。しかし、私はこの問題の背景にもう一つ、日本の若い人に自己肯定感の欠如というさらに深刻な問題があると考える。容疑者である加藤智大の場合、それは学校や家庭を含む教育の問題として明白に表れている。
加藤は中学校までは成績が良く、青森県のエリート高校に入学した。この段階まで、彼はいわゆる‘勝ち組’にいた。この‘成功’は、厳格で教育熱の高い両親の下で必死に‘いい子’であることを演じた結果だった。
弟の証言によると、特に母親は学校の成績に敏感で、子供に完璧を求めていたそうだ。テストで成績が良くなければ、加藤を神経質に非難し、また‘男女交際は一切認めない’と言うなど抑圧的な存在だった。そして高校進学後、加藤の成績が学年で300番台をさまようようになると母親の関心は加藤の弟側に移った。加藤は携帯メールにこのように書いた。「県内トップの高校でビリだった俺。もう意欲もない。親の期待と金はみんな弟に」
成績が落ちると「親の期待と金はみんな弟に」向かったという部分に、親子関係のあらゆることが表れているように見える。加藤に対する親の‘愛’は、成績優秀という条件付だった。成績が優秀な間、親は加藤を‘愛’したように見えるが、それは加藤の‘成績’に対する‘愛’に過ぎず、加藤という人間に対する、子供の存在それ自体に対する無条件の‘愛’ではなかった。
親が考える基準に合う子供だけを肯定し、適合しなくなると否定する。おそらく加藤はこの世に生まれた瞬間から、将来優等生になるだろうという親の期待を受け、その限度内でのみ愛されていたのではないだろうか。ここには生まれた子供に対する、命に対する、無条件の肯定がない。
加藤はこれに素早く気づいた。彼は「親のエゴが子供の夢を搾り取っている」という書き込みを残した。高校を卒業して親の下を離れてからは「心の底から親を恨んでいたようだ」という同僚の証言もある。
この問題が加藤智大の家庭だけの問題ではないということは言うまでもないだろう。学校の成績によって子供を絶えず評価し、より高いレベルの学校に進学することを至上価値として、それによってのみ子供の将来と‘より良い’生活が保障されるという価値観は、戦後日本の教育を一貫して支配し続けてきた。現在もますます強まるばかりで、弱まる気配はない。
加藤智大の両親の子供に対する態度は、このような社会の価値観により醸成されたものだ。日本の学校システム全体がこのような教育観により動いている。私自身、その頂点に位置する東京大学の教員として、このシステムに関与している。このような教育観に徹底して支配された結果、日本の教育から教育のあらゆる根源的前提が失われているのではないかと思わざるを得ない。その前提というのはすなわち、子供一人一人がその存在を他人から無条件で肯定的に認められ、それによって自分という存在を肯定できるようになることだ。
高橋哲哉/東京大学教授・哲学
(ハンギョレ新聞 2008年10月03日)
作者:hamnidak
更新日:2008年10月17日 15時55分
歴史教科書にイチャモンつけたのは国防部だけじゃなかった
先日、韓国の国防部(日本で言う防衛省みたいなの)が高校の歴史教科書にイチャモンつけたという記事をあげましたが、実は歴史教科書にイチャモンつけたのは国防部だけではなかったようです。しかも、教育科学技術部(日本で言う文部科学省みたいなの)の方から‘ご意見伺い’までしていた模様です。まあ、ビックリ。
なんか、保守陣営から‘失われた10年’と言われている左派政権(?)時代に鬱積していたものが多いみたいです。でも金大中政権にしろ、盧武鉉政権にしろ、立派に親米だったし、新自由主義的経済政策をとっていたし、独裁型大統領だったと思いますけどねぃ。ま、今の政権に比べると‘ヒダリ’になっちゃうんですかねぃ。ま、過去のレッテルってのもありますしね。
それにしても、最近の日本の右派といい、韓国のニューライトといい、自国を差し置いて「アメリカ様万歳」(←韓国の場合+日本マンセー)なのはなぜなんだろう?
ハンナラ党ナ・ギョンウォン議員、‘ニューライト’に会い教科書論議
「‘教科書フォーラム’理念的偏向指摘、政府へ伝達」
教科部、11月末終了-民主、「組分け中断すべし」
政府・与党が特定理念に偏向した方向へ高校教科書改編を進めているのではないかという憂慮が出ている。
ハンナラ党のナ・ギョンウォン第6政策調整委員長は21日、「ニューライト運動団体の‘教科書フォーラム’と18日に会い、懇談会を開いた」、「この席で教科書フォーラムの関係者が一部の教科書の理念偏向を指摘した。この旨を今週の党政会議を通じて政府に伝達する計画」であることを明らかにした。
国防部はこれに先立つ今年の6月、教育科学技術部(以下、教科部)の要請を受けて全斗煥独裁などを美化する内容を含んだ25項目の改正違意見を提出した事実が最近明らかになった。統一部も‘太陽政策’という用語を‘和解協力政策’に変えることなどを教科部に要請した。大韓商工会議所と教科書フォーラムなども最近、似たような理念的内容を載せた意見書を出していたことが伝えられた。ハンナラ党では元老を中心に、仮称‘教科書委員会’を構成し、教科書の内容を検討すべきという意見が出ていると伝えられている。
このような動きは、これまで一部の教科書の内容を左偏向だと攻撃してきた政府・与党が本格的に教科書を自分たちの好みに作り直すということではないのかという観測を呼んでいる。
これに対してナ・ギョンウォン委員長は、「理念的に偏向した部分や、経済成長などが過剰に貶められていることを正す必要はあると思う」としながらも、「教科書の全面改編などを検討したことはない」と否認した。教科部関係者も「各部署が自発的に修正する部分があれば、慣例的に意見を出しているだけ」だと釈明した。
しかし、国防部関係者は「今年の3月、教科部が『修正意見を出してくれ』と公文書を送ってきた」とし、「過去にこのような公文書が教科部から来たことはないため、その公文書を特別な要請として受け取った」と話した。教科部が主導的に近・現代史に関連する修正意見を集めたという傍証だ。
これと共に韓昇洙(ハン・スンス)国務総理は7月1日、国務会議で「特定許可書の内容が理念的に偏向している」というキム・ドヨン教科部長官(当時)の報告を受け、「学者たちにのみ任せるのではなく、各部署が教科書の誤った部分を集め、教科部を通じて反映させることができるようする」ことを指示したこともある。最近の政府・与党の動きがこのような指示の延長線上にあることが推し量られる。
教科部は11月末までに教科書の修正作業を終える予定だ。しかし、その修正幅や内容が例年の一般的な訂正にとどまるのか、大々的で理念的な改編になるのかについては口を閉ざしている。教科部関係者は、「かつては単純な事実関係に関する修正要求だったが、今年は理念をめぐる修正要求が多く、はるかに複雑だ」、「まず国史編纂委員会で修正要求案を検討した後、これを土台に教科部の立場を決めることになるだろう」と話した。
これに対して民主党のスポークスマン、チェ・ジェソン氏は、「親日本、親財閥、親独裁権力という無能で危険な政権の視点に子供たちを閉じ込めようとしているのではないか」、「政府・与党による国民の組分けとなる、無謀で不必要な行為を中断すべきだ」と批判した。
【ハンギョレ】パク・ビョンス/ソン・ヨンチョル/キム・ソヨン記者
作者:hamnidak
更新日:2008年9月23日 11時31分
どこまでいく?李明博政権による言論掌握
ツッコミどころ満載過ぎて、記事をおっかけるだけでもたいへんな李明博政権。(最初は米国産牛肉輸入問題がメインだったんだけど、それだけじゃ収まりきらない。タグじゃなくて、カテゴリで「李明博」ってのを作った方がいいかな。)マスコミ掌握も着々と進めております。
下の記事は、これまで李明博政権の息がかかったKBS(韓国放送)の天下り社長に反対してきた‘公営放送死守のためのKBS社員行動’に所属している社員が、一斉に左遷などの報復人事に遭っているというニュース。李明博政権のやり方、あまりにも露骨すぎない?
KBS、‘天下り反対’社員行動に大量‘報復’人事
「希望願・循環補職の慣例を無視、夜中に電撃発令」
代表など47人を審議室、研修チーム、地方などに転任
メディアフォーカス、サムなどの時事番組も‘仕分け’

韓国放送がイ・ビョンスン社長に反対してきた‘公営放送死守のためのKBS社員行動’(以下、社員行動)所属社員と、社会に批判的なニュースや番組を制作してきた探査報道および時事報道チームに対し、おびただしい報復性標的人事を断行した。韓国放送内からは、今回の人事に関して‘真夜中の大虐殺’、‘30年ぶりの最悪人事’という批判が出ている。

韓国放送は17日夜10時ごろ、社内掲示板を通じてチーム員の人事異動を断行し、全社員95人のうち社員行動所属の47人を閑職または地方への転任措置をとった。このうち、ヤン・スンドン社員行動共同代表は、スペシャルチームから審議室に転任させられ、社員行動活動に積極的に参加したイ某PDとヒョン某PDは、非制作部署である研修チーム(水原センター)と視聴者センターへの異動がそれぞれ発令された。また、韓国放送前で行われたロウソク集会の司会を務めたチェ某PDは、釜山放送総局への異動となり、社員行動に参加した技術本部所属の社員6人は全員、全羅北道の金堤市や京畿道の驪州郡などにある地方送信所や中継所へ転任となった。放送技術研究所に特別採用で入社し、社員行動の活動に参加していたある研究員には、固有業務とはまったく関係のない地方中継所への異動発令が出された。
探査報道チームはキム某元チーム長が釜山放送総局に派遣されるなど、13人のうちの半数近い6人が、‘メディアフォーカス’、‘時事企画サム’、‘日曜診断’などを制作している時事報道チームはヨン某メディアフォーカスデスクなどが異動となった。これらのほとんどが編成チーム、ニュース制作チーム、スポーツ中継制作チームなどの内勤職や既存の業務とはまったく関連のないポストへの異動となった。
韓国放送は今回の断行にあたって、これまで慣例的に受け入れてきた‘希望願’も受け付けないまま、夜中にまるで奇襲するかのように人事異動を発令したため、社員の反発を買っている。社員行動は18日、記者会見を開いて「卑劣で稚拙で恥知らずな標的・報復人事」だと批判した。社員行動は声明で「これまで慣行的に守られてきた循環勤務を無視したまま、事実上ブラックリストを作り、標的射殺した」、「なんらの原則も根拠もなく行われた今回の人事異動こそ、人事権乱用と業務上背任にほかならない」と明らかにした。

今回の人事措置で‘時事企画サム’、‘メディアフォーカス’などの時事報道番組の存廃是非も関心事として浮上した。社員行動側の関係者は、「このような番組は韓国放送の信頼度や影響力が1位という結果に寄与した」とし、「しかし政治権力と資本権力に対する監視と批判が鈍くなるなど、番組の性格に変化が見られる」と憂慮した。
キム・ヒョンソク社員行動スポークスマンは、「団体協約に従って人事不当性を提起する苦衷処理手続きを踏み、地方労働委員会に不当労働行為で提訴する予定」だと明らかにした。
【ハンギョレ】キム・ドンフン/イ・ムニョン記者
作者:hamnidak
更新日:2008年9月22日 11時16分
韓国の国防部は歴史教科書にまで口出しするらしい
昨日、ポータルサイトのニューストピックで「国防部、‘教科書改正’要求」というのを見たのですが、即座には理解できませんでした。いや、字ズラは理解できたのですが、その内容が、です。
国防部といえば、日本の防衛省のようなもの。それがなんで教科書の改正要求?どんな権限で??教科書にイチャモンとなると、やっぱり歴史教科書???
そして、記事の中身を見てさらに頭を抱えてしまいました。国防部が、まるでニューライトのような歴史観を押し付けようとしている模様です。そりゃ、全斗煥なんて、軍のトップからクーデターで大統領に成り上がり、軍を利用して市民を弾圧しまくった人ですから、国防部としてはヨイショするのも「さもありなん」って感じですが・・・。ついでにアメリカもヨイショ~って・・・。
まじでヤヴァいよ、この国。
国防部、‘教科書改正’要求
全斗煥政権美化、北への肯定認識遮断
【ソウル=連合ニュース】キム・ボムヒョン記者=国防部が北朝鮮に対する肯定的な認識を払拭させ、全斗煥政権を美化した高校用の韓国近・現代史教科書改正案を教育科学技術部に伝達したことが確認された。
国防部が18日、国会国防委所属の民主党アン・ギュベク議員に提出した「高校教科書韓国近・現代史改善要求」資料によると、国防部は高校教科書の内容のうち、25項目に対する削除または改善意見を提示した。
国防部は、▲全斗煥政権をはじめとする歴代政権を美化し、▲北朝鮮および共産主義体制に対する肯定的認識を遮断し、▲アメリカに対する否定的認識を払拭させるなど、いわゆる‘左偏向’修正に焦点を合わせた。
国防部は金星出版社の教科書に記述された歴代政府に関する各単元の項目を‘李承晩政権の独裁化’から‘自由民主主義体制を確立した李承晩大統領’に、‘憲法の上に存在する大統領’を‘民族の近代化に寄与した朴正煕大統領’に、‘全斗煥政府の強圧政治と抵抗’を‘全斗煥政府の功罪と民主化勢力の成長’にそれぞれ変えることを要求した。
特にこの教科書の「全斗煥政府は・・・権力を動員した強圧政治を行った」という部分に対しては、「全斗煥政府は・・・民主と民族を掲げた一部の親北的左派の活動を遮断するさまざまな措置をとらざるをえなかった」に修正しなければならないという意見を出した。
また、国防部は済州4・3事件について「南労党(南朝鮮労働党)は全国的なストと暴動を指示したが、その中でも全国阻止行為がもっとも激しかったのが済州島で、4月3日には大規模な左翼勢力の反乱が起こった」とし、「鎮圧過程で主導勢力の扇動にだまされた良民たちも多くが犠牲になった事件」だと主張した。
現行の大韓教科書の「1947年に済州島で3・1節記念式を終えて市街行進をしていた群集に、警察が発砲した・・・軍政当局は武力で弾圧し、これが4・3事件の発生に多大な影響を与えた」という記述とは大きな違いがある*。
これと共に国防部は、李氏朝鮮末期から大韓帝国までの時期の外国との通商条約に関して、「米朝通商条約は不平等条約だった」という題目などから‘米国’を削除するように要求した。アメリカに関する否定的認識を持たせてしまうというのが、国防部の主張だ。
国防部は解放以降の米軍政についても「アメリカの経済的援助による飢餓解消など肯定的側面は過小評価し、否定的側面ばかり強調している」と評価し、これに対する改善を要求した。
* 1999年に韓国の国会で審議され、2000年に制定された『済州4・3事件真相究明および犠牲者名誉回復に関する特別法』によると、「済州4・3事件は1947年3月1日の警察の発砲事件を起点とし、警察と西北青年団の弾圧に対する抵抗と、単独選挙・単独政府反対を掲げて南労党済州島党武装隊が1948年4月3日に武装蜂起を起こして始まった」と概説されています。どう読んでも、現行教科書の記述の方がこの法律に沿った表現をしていますよね。う~ん、国防部って、国会よりもエラかったんですねっ。
済州4・3事件に関しては、拙ブログの翻訳記事もご参照ください。
大阪の証言「虐殺の島で生き残った」
作者:hamnidak
更新日:2008年9月19日 14時35分
保守派の復讐により‘政治の日本化’が進む韓国
保守派の復讐
(『ハンギョレ21』 2008年08月25日 第725号)
政権-審査機関-保守言論が肩を組んで公安ドライブ-民主主義は破壊され、分裂は高まる
▣ イ・スンヒョク記者
▣シン・ユンドンウク記者
▣ イ・テヒ記者
すべての国民が北京から聞こえてくる金メダルの知らせに歓喜しているとき、国内ではこれからの政局の流れを予告するいくつかの事件が‘処理’された。 李明博大統領が8月11日、チョン・ヨンジュ前韓国放送社長を解任したことに続き、警察が8月15日に開かれた100回目のロウソク集会を前例のないほど強硬な鎮圧を行った。 検察はチョン前社長を強制拘引し、調査して不拘束起訴としたうえ、朝・中・東(朝鮮日報・中央日報・東亜日報)への広告拒否運動を主導したネチズン2人を拘束した。 検察は裁判所から令状を受け取り、参与政府(盧武鉉政府)時代に作成された青瓦台の記録物閲覧にも着手した。 今、‘失われた10年’を取り戻そうとしている‘保守の復讐’が、本格的に始まったのだろうか?

青い染料がついていれば手当たり次第に連行
8月15日夜、100回目のロウソク集会の現場。 ソウル大学路にあるマロニエ公園でロウソク集会を終えてソウル市庁の方に移動していた市民たちは、進路が封鎖されたしまったために会峴洞にある国民銀行前の交差点に集まった。 警察は市民たちが集まりはじめるとすぐに解散警告放送を始めた。 「染料が付着した人は必ず検挙します」
夜7時47分に始まった解散放送は、検挙作戦の信号灯だった。 ソウル市庁と崇禮門(南大門)方面から3回にわたって警告が放送されたが、放送が終わるやいなや8時10分頃に崇禮門方面を皮切りに西側から青い染料が詰められた水が放たれはじめた。 7月に創設された警察官機動隊が、私服逮捕組として現場に投入された。 当時の状況を録画したある使用者制作コンテンツ(UCC)には、「みんな捕まえろ!」という叫び声と共に「あ~!」 という悲鳴が入り混じった現場記録がそっくりそのまま入っていた。 やがて警察官に首をつかまれ、手足を持ち上げられた市民が一人、二人と連行された。 女性中心の8・15平和行動団は路上で連座していたが、警察はこの団体に向かって水大砲を撃ち、泣きながら愛国歌を歌っている女性を連行した。 一瞬にして阿鼻叫喚の現場となった路上に、青色の染料が一面に広がった。
これと同じような状況が、鍾路のタプコル公園や明洞聖堂前などソウル市内のあちこちで起こった。 ロウソク集会と無関係な市民も被害を受けた。 この日の夜9時頃、明洞聖堂入り口付近のコンビニで休んでいたイム某(31)さんは、30~40m離れた場所で戦闘警察たちが誰かを連行する声を聞いたが、ただなんとなく座っていたところを連行されたケースだ。 イムさんは「戦闘警察の指揮官らしい人がこちら側に来ましたが、気にもとめませんでした。でも突然、戦闘警察たちが群がってきて取り囲まれました」と話した。 手も足も出ない状態で連行された彼は「一体どういうことなんですか」と抗議したが、無駄だった。 服に何滴か青い染料がついていたからだった。 彼はソウル松坡警察署で丸々30時間を過ごした後にようやく解放された。
高校1年生のチョン某(18)君は、連行された後で警察に染料入りの携帯用散水銃で撃たれたと主張した。 8月16日午前1時20分頃、鍾路2街で道路の向かい側のファーストフード店にいた友人に会いにいく途中だったチョン君は、突然戦闘警察数十人が押し寄せて来たので自分でもわからないうちに走っていたところを私服逮捕組に捕まり、首を完全に押さえつけられたそうだ。 彼は「戦闘警察たちが外から僕が見えないように取り囲み、携帯用水大砲を体に向けて撃ってきました」と話した。 彼もまた、警察署で2日過ごさなければならなかった。 高校生だと訴えても釈放されなかった。 われに返ってみると、服は破れ、首には傷があり、足にはあざができていた。 人権団体連席会の活動家、ミリュ氏は「明白な証拠操作であり、不法逮捕」だと指摘した。
人権侵害監視団や医療奉仕団も連行の対象となった。 フリーランスのジャーナリスト、チェ・ジョンミン氏はこの日連行されたときに全治2週間の負傷をした。 彼は「戦闘警察に盾で取り囲まれ、強制連行される過程で負傷した」と証言した。 民主労働党のカン・ギカプ議員も水大砲で撃たれ、連行される危機に直面したが、かろうじて免れた。 ロウソク集会現場でのせめてもの慰めは、法の前で平等が達成されたという点ぐらいだ。 国会議員、弁護士、医師なども例外なく警察の色素入り水大砲に撃たれ、平等に連行されたからだ。
この日、こうして警察に連行されたのは全部で156人。 これでロウソク集会に参加して連行された人は1458人に達した。 大検察庁の『犯罪白書』に出てくる集示法(集会および示威に関する法律)違反容疑の検挙者が△2007年1316人、△2006年1497人、△2005年1354人、△2004年1100人だった点を勘案すれば、どれだけ‘すばらしい’成果だったのか明確になる。 さらに連行者がロウソク集会の中盤を越えてから集中した点を勘案すれば、7~8月は‘連行の季節’と呼ばれるに値する。 その中でも青い染料が初めて使われた8月15日は‘血の光復節’、いや‘青い光復節’として記憶される日だった。 警察が連行された女性たちを収監し、下着を強制的に脱がせたことは、見方によればこの日起こった人権侵害の些細な一部分に過ぎなかった。
このように警察がロウソク集会に対する強硬鎮圧の度合いを高めている間、検察は反対側に立った人々を圧迫する捜査を着々と進めていた。 △チョン・ヨンジュ前韓国放送社長の背任容疑捜査、△『PD手帳』誤報騒動事件捜査、△朝・中・東(朝鮮・中央・東亜日報)広告拒否運動に関連したネチズン捜査△盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領記録物流出事件捜査などが代表的だ。

このように政権にとって目の上のこぶだったロウソクやネチズン、放送局などを手なずけるために査定機関が総動員されたが、この過程で注目を集めたのは、朝・中・東(朝鮮・中央・東亜日報)などの保守言論が大きな役割を果たしたという点だ。 ロウソクデモに参加した市民たちが朝・中・東に広告を載せた企業に対する不買運動を起こすと、『朝鮮日報』などは「ネチズンたちが、正当な経済活動を行っている新聞社と広告主の権利を踏みにじる明白な暴力行為によって業務を妨害している」として、広告主圧迫行為が中断されなければ民事・刑事責任を追及すると警告した。 その数日後には李明博大統領が「インターネットが毒になりかねない」(6月17日)と発言し、6月20日には検察が突然キム・ギョンハン法務長官の特別指示だとして電撃的に捜査に着手した。
このような流れを総合してみると、青瓦台と検察・警察に代表される査定機関、朝・中・東が三位一体になってお互いやり取りしながら雰囲気を醸成し、‘行動’に出た模様だ。
30%の進歩改革を切り捨てる
政権と査定機関、保守言論の共助を土台に強硬な公安ドライブが強化されたことに対して、ニューライトなどの保守層は歓呼している。 これらの相当数は、‘強硬ドライブ’という表現にも同意しない。 政府がもっと早くとるべきだった‘原則的な態度’を、遅ればせに着手しただけだと考えているからだ。 国民行動本部のソ・ジョンガプ本部長は、「ロウソク集会は金正日に追従する勢力が右派の李明博大統領を揺るがし、5年後に再び左派が政権を奪うための陰謀」だとし、「今は(李大統領が)厳正に法執行をすると言ったので、我々としてもかなり鼓舞している」と話した。 ニューライト建国連合のスポークスマン、ビョン・チョルファン氏も「元々しなければならなかったことを、ようやく今になってやっているだけではないか。 政府は発足初期に(ロウソク集会に対して)柔軟性を見せていたが、柔軟な対処が事態をより悪化させ、結局、原則通りにすることになった」と話した。
実際、李明博政府の強硬ドライブに同調するのは、有名な保守右翼ばかりではない。 平凡な国民の中にも、李大統領の強硬ドライブに対する支持を明らかにする人々が増えてきている。 世論調査機関であるリアルメーターの8月14日付の調査結果を見ると、李明博大統領の支持率は先週に比べて6.9%上昇し、30%を超えた。 設問に答えた人の支持政党によって、李大統領に対する支持にも大きな違いが見られる。 (進歩系の)民主労働党支持層と創造韓国党支持層の李大統領に対する支持率は、それぞれ8.0%pと14.9%p下落したが、(保守系の)親朴連帯支持層と自由先進党支持層の李大統領に対する支持率は30%pと16.4%p急騰した。 進歩・中道側の離脱はさらに深化する一方、保守層の結集効果により、李大統領の支持率が4ヶ月ぶりに30%台に上がった。 これは地域的には嶺南、政治的には汎与党支持層、宗教的には保守系キリスト教の色彩が強い人々が結集していることを間接的に示している。
8月15~17日の連休の際、慶尚北道浦項市の故郷に戻ったイ某(32)さんは、「‘大統領は仕事をしなければならないのに、市民が毎日ロウソクを灯してばかりで邪魔をしている。 大統領が間違っているわけではないのに、あんなになるなんて’と李大統領を気の毒に思うのが一般的な雰囲気だった」と語った。 彼はまた「8月15日に家族と一緒にテレビの前に座っていると、ロウソク集会の参加者100人余りが警察に連行されたというニュースが流れた。父が突然、‘国がこのありさまなのに、いつまでロウソクを手にしているのか’と、しきりに腹を立てた」と言い、「(父は)あの地域のお年寄りがほとんどそうであるように、日ごろからあのような(保守的な)考えをもって生きてきたのだから仕方がない」と付け加えた。
強硬ドライブを掲げている青瓦台や検察は、公式的に「厳正な法執行」を言明している。 これを支持する保守層も、‘法秩序の確立’を根拠にロウソクを非難し、政府の強硬対応を求めている。 しかし、保守層はこの過程で政権側が行っている不法あるいは偏法に関する論争に対しては努めて沈黙している。 チョン・ヨンジュ前韓国放送社長を強制的に退陣させた過程で、△監視院が無理やり監査結果を打ち出し、△18年ぶりに韓国放送に警察力が投入され、社員数百人が反対するなかで開かれた取締役会でチョン前社長の解任要求が議決され、△大統領に韓国放送社長解任権があるのかに関する論争が起きるなど、多くの手続き上の問題があるが、保守側はこのような問題に堅く口を閉じている。
一貫しない保守層のこのような態度は、進歩・改革陣営が保守層を信頼せず、対話が断絶している核心的理由だ。 映画会社‘ボム’のチョ・グァンヒ(弁護士)代表は、最近『チャンビ週刊論評』で「民主主義と法治主義という‘ゲームの規則’さえ遵守しているのならば、どんなに保守的な見解に対しても一緒に討論し、善意の競争ができなければならない。 しかし、自分たちが弱者で不利そうなときだけ民主主義の話をし、権力を手にしてからはそれを私有化する者たち、国民にだけ法の支配を受けろと言っておきながら、実際には力の支配が社会の冷酷な規則だと信じて実践する者たちとは同じ世界で生きていけない」と語った。 チョ代表は「彼らは国民のためという名目で自分の腹を満たし、公共の利益を語るふりをしながら自分たちの利益を追求する公共の敵であり、民主主義の破壊者だ」と指摘した。
自暴自棄か、政権反対闘争か
このような執権勢力の態度に対してイ・テクグァン慶煕大教授(英米文化)は、「福音主義新生活主義者、19世紀のアメリカのやりかた」だと評価した。 イ教授は「彼らは自分たちは質素に暮らしているので、他人の快楽は決して容認できない」、「李明博政府も不穏勢力は暴き出せばいいという衛生学的マインド」だと語った。 国防部の不穏書籍選定が極端な例だということだ

保守であれ、進歩であれ、両側の是々非々を明確に分けてその問題点を鋭く指摘し、‘ルール’を破れないようにする‘健全な中間層’が少ないということにより大きな問題意識を感じる人々もいる。 カン・ヒョンチョル淑明女子大教授(言論情報学部)は、「国家の一般的な属性を考えると、与党寄りの韓国放送取締役たちがチョン・ヨンジュ前社長を解任要請し、大統領が解任する一方で、検察がチョン前社長を拘束・取調べをすることはまったくありえないことではない」としながらも「ところが国家の明白な侵奪に少なくない公営放送関係者が沈黙したり、傍観・幇助している状況には、狼狽もするし、失望を超えて絶望を感じもする」と語った。
今や執権勢力は、30%の進歩・改革市民を‘非国民’とみなしているように見える。 ノ・ミョンウ亜洲大教授(社会学)は、「政権に反対する30%の進歩・改革勢力を切り捨て、保守派30%にプラスαを加えればいいという判断が確実に見える」、「ロウソク集会を放置していたら、30%の敵がプラスαであるはずの中道派国民の支持を得たために強硬ドライブを進んでいる」と分析した。 キム・ホギ延世大教授(社会学)は、「国民を分断する‘2つの国民戦略’」であり、「西欧ではそれでも5対5に分ける戦略だったが、韓国では1対9に分けて小数を優遇する戦略」だと指摘した。 また、「経済的両極化に加え、社会文化的統合支援さえも枯渇させる戦略」だと付け加えた。
こうして国民を政治的見解によって分断し、青い色素が付いた国民を‘不可触賎民’のように扱う韓国版カースト制度が登場した。 抵抗する30%には、独裁が抽象的なイデオロギーではないという現実を押し付けた。 そうすればするほど、市民社会団体や民主化運動陣営が、民主主義の後退を阻止するための運動に立ち上がることが明らかに見えてくる。 文民政府(金泳三政権)、国民の政府(金大中政権)、参与政府(盧武鉉政権)を経て発展してきた手続き的民主主義が明白に後退していると実感するからだ。 韓国放送の事態や『PD手帳』の捜査、TYN社長選任など、李明博政府の放送関連政策に対してパク・ミョンリム延世大教授(国際学大学院)は、「経済、言論、教育などの市民社会の領域が徐々に中央政府の影響力から脱して自律化していくのが大枠の趨勢だったが、現政府が昔の権威主義政権時代のように放送を一律的に編成しようとしていることが問題の本質」だと語った。
結局、李明博政府のこのような形態が強化されれば、相当数の国民は自暴自棄、または政権反対闘争という選択肢に追いやられ、この中で後者を選んだ者たちに対する弾圧と反発はより激しくなって社会的葛藤の拡大につながっていくしなかい状況だ。
李明博政府の一方主義に対する反発は、宗教界でも起こっている。 宗教差別に対する怒りが極に達した仏教界は8月27日、大規模な‘憲法破壊・宗教差別の李明博政府糾弾汎仏教徒大会’を開催する。 華渓寺の住職であるスギョン僧とムン・ギュヒョン神父は、李明博政府の形態を「国家的危機状況」と規定し、来月に五体投地(ごたいとうち)、三歩一拝(さんぽいっぱい)して国土を縦断する方案を計画中であることを明らかにした。
‘政治の日本化’が憂慮される
残念な点は政府の強硬ドライブと、それによる反発の中で葛藤と分裂がひどくなるほど、韓国社会全体の損害となってくるという点だ。 ノ・ミョンウ教授は「現在の悪循環が続けば、政権を掌握した保守と、それに反対する旗しか残らない。 そのような中で多数の人々は政治に疲れてしまうだろう。 その疲労感が構造化すると、国民の多数が公共のイシューに無関心な日本式社会になる。 その結果、投票に民心が反映されないシステムが定着する」と憂慮した。
そうして歴史の時計の針は逆に回り、過去が現在を意味することになる。
ナチスはまず共産党を粛清した
私は共産党ではなかったので沈黙した
その次はユダヤ人を粛清した
私はユダヤ人でなかったので沈黙した
その次は労働組合員を粛清した
私は組合員ではなかったので沈黙した
その次はカトリック教徒を粛清した
私はプロテスタントだったので沈黙した
その次は私のところに来た
そのときになると
私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった20世紀中盤のドイツの神学者、マルチン・ニーメラーのこのような告白が、21世紀の韓国には切実に聞こえる。
作者:hamnidak
更新日:2008年9月13日 13時41分
李明博政権による言論掌握・その後
政権のMBC狩りが始まった
韓国放送のチョン社長を狙ったように、緩んだ箍(たが)の『PD手帳』を口実に-放送法改正によって巨大放送局を無力化するPP出現の可能性
▣チョン・ジョンフィ記者

「これは政権に対する経営陣の屈服だ。それ以上でも以下でもない」(ある文化放送の記者)
8月12日夜、文化放送が『PD手帳』の米国産牛肉報道に関連し、放送通信審議委員会(以下、放通審委)が命令した1分30秒の謝罪放送を奇襲的に出して以降、文化放送内部で危機意識が高まっている。この日の夜に開かれた緊急組合員総会に集まった文化放送の労組員200人余りのうち、60人余りが記者だったが、休暇中だったり、外回り中の者がいたことを考えると非常に多い数だというのが内外の評価だ。キム・ジェヨン文化放送労組民主放送実践委員会幹事は、「特に若い記者たちの怒りの声が大きかった」と伝えた。
卑怯な投降、あっさりした屈服
当時、文化放送の経営陣は、謝罪放送を阻止しようとする社員たちによって主調整室と放送準備室が閉鎖されると、子会社のMBCプラスの主調整室から本社主調整室に放送内容を送信する方法を使うほどの無理を押し通した。文化放送技術人協会は、翌日出した糾弾声明で「‘ハッキング放送’が経営陣により勝手に行われた」と非難した。労組は特報で謝罪放送を「卑怯な投降」と規定し、「卑怯なオム・ギヨン社長は公営放送の長としての資格がない」と批判した。
今回の経営陣の行為を政権に対する屈服として受け取る理由は、転送方式だけではない。放通審委に再審を求めもせず、再審要求について議論する余裕期間が20日以上残っている状況で謝罪放送を出し、謝罪放送の翌日に『PD手帳』のチョ・ノンヒ責任PDを補職解任、司会者のソン・イルジュン副局長がマイクを置かせる人事措置までとったからだ。あっさりとした屈服だ。
こうしてチョン・ヨンジュ社長の解任などをめぐって主に韓国放送で行われていた公営放送の独立性を守る闘いは、文化放送にまで戦線を拡大した。同時に文化放送の労使間でも新しい戦線が形成された。
これはすでに予告されたことだ。文化放送労組は、韓国放送取締役会が親与党的な性向を持つ取締役6人のみが出席した状態でチョン・ヨンジュ社長の解任要求案を可決した8月8日、韓国放送取締役会と共にチョン社長の解任を傍観した韓国放送労組を非難した後、「次の刃は間違いなくMBCに向かって振り下ろされる」と予想する声明を出した。
もちろん、その刃が狙っている1次的な対象は『PD手帳』だ。検察が今回人事措置されたチョ責任PDとソン副局長、米国産牛肉報道の初編を作ったキム・ボスル、イ・チュングンPDなどを強制拘引する一方、取材の原本テープなどを持ち出すために押収捜査をすると見られている。このため、文化放送労組は8月12日、即刻非常対策委員会体制に転換し、検察の行動開始に備えて‘公営放送死守隊’を結成することを決定した。

新しい政府が韓国放送チョン・ヨンジュ社長の解任と、文化放送『PD手帳』弾圧に方向を定めた理由を‘緩んだ箍論’で説明する者もいる。文化放送社長出身のチェ・ムンスン民主党議員は、「チョン前社長と『PD手帳』は、2つの放送局の緩んだ箍」だと語った。何よりチョン社長と『PD手帳』が政権にとって目の上のこぶのような存在でもあるが、各放送局内で支持よりも多くの批判を受けている緩んだ箍が、集中的に揺さぶられているということだ。内部世論の分裂を適切に活用すれば、より絶大な効果を発揮できるという計算もうかがえる。チョン社長の場合、専任労組から始まり、現在労組にいたるまで絶え間なく辞退圧力にさらされている。そして彼が試行したチーム制改編などで不利益を受けたと考える幹部社員などにとっても不満の対象だった。『PD手帳』も政治的是非に巻き込まれる度に、ドラマや芸能PDたちから内部批判を受けてきた。最近の事態に関しても同じだ。
「どこの誰が怖れないというんだ」
文化放送芸能局のあるPDの話だ。「最近、文化放送の視聴率がよくない。これに関して経営陣と一部のPDは、『PD手帳』が影響していると見る傾向もある。「どうか止めてくれ」ということだ。PDたちには基本的にセンセーショナリズムがあり、今回のこともそのような過程でミスをしたのだが、芸能やドラマPDたちは心情的に『PD手帳』がやりすぎなのではないかという考えを持っている。経営陣こそ『PD手帳』問題を早く処理し、視聴率に気を使いたいということなのだろう」。
一部では、文化放送が8月15日の夜、政府が主催した‘大韓民国建国60年大音響漢江祭り’を録画放送したことをあげて、文化放送がすでに政権に求愛の手を差し出しはじめたのではないかと疑う向きもある。芸能局のあるPDは8月14日に「先週、突然編成されたが、国務総理室を通じて話がまとまったそうだ」、「文化放送が政権のラッパ手になろうとしているのではないか」と話した。これについてペク・ジョンムンTV編成部長は、「1カ月前から総理室から何度も要請が来ていたが、オリンピック放送のために(建国関連の番組は)制作しようとは思わなかった。しかし、韓国放送やSBSも関連番組を放送しているのに、公営放送として光復節関連番組をしなければならないのではという意見があり、急いで決定した」とし、「それ以外に政治的考慮などはまったくない」と話した。最近、社会的に‘建国60年’の主張をめぐって論争が起きていることに関しては、「私たちも内部での論争の末、画面上のセットタイトルは仕方なくそのまま出すが、私たちがつけたタイトルは‘大韓民国60年…’と、違うものが出るようにした」と説明した。
まだ韓国放送や文化放送に現れているような、報道や時事番組の声が萎縮する様子は見えないというのが内部の評価だ。しかし、オム・ギヨン社長が時事番組のガイドラインを強化し、デスク機能を導入するなど、放送の全内部統制を強化する方針を打ち出した部分は注目される。『PD手帳』のオ・ドンウンPDは、「(そのような措置が)事前検閲や制作の萎縮として現れてはならない」と語った。
しかし、新政府が公営放送を掌握するために行っている一連の作業が、放送局の構成員たちに心理的恐怖をもたらし、自己検閲強化によって批判精神を後退させるのではという憂慮が広がっている。キム・チャンリョン仁済大教授(言論政治学部)は、「文化放送の謝罪放送は、経営陣が政界の圧力に屈服した結果だ。これからは文化放送で誰も(政治的に)敏感な報道をしようとはしないだろう。今、放送界では言葉で言いにくいことが起きており、憂慮を禁じえない」と語った。チェ・ムンスン議員は「李政権は言論を脅かし、恐怖の雰囲気を醸成することで屈服させようとしている。(チョン社長が解任されたことに関して)どの放送局の社長が、恐れずにいられるのか」と聞いてきた。

民営化圧迫と正修奨学会
しかし、政府の強攻ドライブは放送局内部を団結させる‘効果’もあった。文化放送内部には職種間の多様な異見が存在するが、それが表面化する可能性はほとんどないと思われる。『PD手帳』への押収捜査の噂が流れるなど、捜査機関による政権の公営放送掌握圧力が露骨になりながらも、むしろ団結の声がかなり大きくなっているためだ。
文化放送より内部の考え方の違いがはるかに大きかった韓国放送も、この叫びをきっかけに内部統合の雰囲気が強まった。これまで労組はチョン・ヨンジュ社長解任に賛成する一方、PD連合会や記者協会などの職能団体はこのような労組に対して批判をしていたが、8月8日のユ・ジェチョン取締役の要請で本社ビルに私服警官が投入されてからは雰囲気がかなり変わった。韓国放送の職員たちは1990年4月の放送民主化闘争以来、警察力が会社内部に入るのは初めてだったため、自尊心に深い傷を負った状態だ。労組と‘公営放送捜査のためのKBS社員行動(以下、社員行動)’は8月13日、本館3階の会議室で開かれる予定だった取締役会を共に阻止した。彼らは現在の取締役会を認めない一方、取締役会がこれから進める社長公募手続きも阻止することに決定した。
『PD手帳』をめぐる政権と文化放送構成員との闘いがこれからどのように展開されるのかはわからないが、今後政権が文化放送を締め付けるために動員できる手段は他にもある。まず、民営化という脅迫だ。民営化されれば、文化放送は大々的な組織改編が不可避となるうえ、商業放送の性格上、今よりもかなり強烈な視聴率の圧迫を受けざるをえなくなる。しかし、文化放送民営化を無理やり推進することは簡単ではない。資産20兆ウォン(約2兆円)台の巨大企業民営化には、少なくとも5年前後の長い期間が必要であり、30%の株を所有している正修奨学会は事実上、朴槿恵(パク・クネ)元ハンナラ党代表のものだと言えることから、ややもすればパク元代表を民営化された文化放送の大株主にする枠組みになりかねないからだ。ニューライト全国聯合が7月29日に開いた‘MBC位相鼎立方案討論会’のコメンテーターを務めたキム・ウリョン韓国外大教授は、3段階民営化方案を提示した。文化放送の地方系列社を売却した後、正修奨学会の持株をすべて放送文化振興会が引き受け、このうち60%を一般国民に、10%を社員に売却する方案だ。結局は、放送文化振興会が30%の持株を所有した大株主として残ろうというものだが、パク元代表側の反発という現実的な制約要因は依然として残っている。

これよりは放送法施行令改正によって巨大総合編成チャンネル事業者(PP)を出現させ、公営放送局に打撃を与えようという動きがより直接的に押し寄せている。総合編成チャンネル事業者は報道、娯楽、教養などあらゆる部門の放送コンテンツを作り、ケーブルTVや衛星放送に供給する業者であるため、地上波放送事業者のように別途の送信施設を備える必要もなく、既存の放送局と同じような役割を果たすことができる。すでに80%近い世帯が地上波ではなくケーブルや衛星放送を通じてテレビを視聴しているうえ、‘インターネットマルチメディア放送’(IPTV)サービスも目前に迫っている状況だからだ。したがって番組の質さえ確保されれば、ケーブルや衛星放送などを通じて韓国放送や文化放送程度の影響力を確保できる。CMの時間もこれらの公営放送に比べてより長く中間CMを流すこともできる。CMの営業も地上波放送局とは違い、韓国放送広告公社を経る必要はない。それでなくても毎年1000億ウォン(約100億円)近く放送CM市場が減っており、頭を痛めている公営放送やSBSにとって巨大総合編成チャンネル事業者の誕生は、とてつもない広告売り上げの減少ということも意味している。既存の韓国放送、文化放送、SBSの3社体制を揺るがす破壊力を持っているのだ。放送通信委員会は8月14日、放送法施行令の改正のための公聴会を開こうとしたが、関連団体の反発で不発に終わった。政府がこれを強行した場合、公営放送局2社とSBSが同時に同伴ストを行うことも可能だというのが放送界の意見だ。
文化放送労組が8月18日午後に開くことにしている組合員総会で、どのような声が表出するかが今の関心事になっている。この総会では謝罪放送に対する対処方案が集中論議されると見られている。また、8月21日が締め切りとなっている南部地裁の訂正報道判決に対する会社側の控訴是非も現在の局面に与える影響が大きい。控訴をするのであれば一旦、公営放送を守る闘争が政権 対 放送局という構図に流れるが、控訴をしないことになれば、文化放送労組としてはオム・ギヨン社長退陣をはじめとした会社を相手にした全面的な闘争宣言が不可避となる。こうなると構図が複雑になる。韓国放送の場合も、取締役会が社員行動や労組の反対にもかかわらず8月25日に新しい社長を李大統領に任命要請することになり、衝突は不可避だ。オリンピックや夏期休暇シーズンが終わる8月末には公営放送を守る闘争が本格化するしかない構図だ。
両放送局、「闘争が不可避だ」
新言論フォーラム会長を務めているチェ・ヨンイク文化放送論説委員は「闘いはまだ序の口だ。社員たちや労組が立ち上がった状態で政権がこれにどうやって対応するのかが、放送掌握企図がどれほどのものかを推し量るバロメーターになるだろう」と語った。パク・ソンジェ文化放送労組委員長は「私が捕まっても第二、第三のパク・ソンジェが出てくるだろう」と話し、韓国放送社員行動内部でも「玉砕を覚悟した闘争が不可避だ」という話が出てきた。公営放送を手中に入れようとしている新政府のはばかりのない進軍の中、これを守ろうとする放送局内部にいる構成員たちの力の集結は、ますます加速度を増している。
( 『ハンギョレ21』 2008年08月18日 第724号)
作者:hamnidak
更新日:2008年9月1日 0時45分
これは・・・仏教徒じゃなくても怒るわ。
前のエントリーで「信仰心が足りないから社会福祉政策が失敗した」という妄言を吐いた閣僚が現政権にいるということを書きましたが、どの閣僚がどのような状況でした発言なのかわからず書いてしまいました。
そこでネットで検索してみたのですが、実は発言したのではなく、新聞へ寄稿した文章の中に書かれていたことでした。しかも保健福祉家族部長官が、長官として就任する以前に。そして当時の肩書きを見てさらにビックラしました。“梨花女子大 社会福祉学教授”だそうです。梨花女子大と言えば、韓国でも名門の女子大です。しかも社会福祉学の教授って・・・。梨花女子大の学生さんたちカワイソ。
ちょうどその寄稿文に関する記事と、元の寄稿文がハンギョレに載っていたので読んでみたのですが・・・。なんですか、これは?どこのカルトが書いたのかと思いました。こんなのがキリスト教(プロテスタント)信者を名乗るのは、ちゃんとしたプロテスタント信者にとってもいい迷惑なのでは?
なんでも出生率が低いのも、高齢化が進むのも、みんな家庭の問題なんだそうです。家庭がうまくいっていれば、すべてが解決するんだとか。お前は韓国版“山谷えり子”かよ。
格差問題も信仰心が足りないからだと。さすが社会の頂点付近にいらっさる方は、シモジモの者とは視点が違いますわいなぁ。秋葉原でひき殺されてしまえ。
おまけに社会のセーフティネットが貧弱な韓国が「福祉病」なんだとか。それは福祉を充実させてから言え。飢餓状態の人々に肥満予防指導をしてどうする。
もう韓国に住んで7年半になりましたが、所詮ヨソの国だとどこかで思っているので、あまり韓国の政局に注目していませんでした・・・・・。こんなトンデモな人物が入閣していたとは・・・・・。この国ヒデえ。
「信仰心が足りないから福祉政策が失敗」
「福祉病問題」
キム・ソンイ福祉長官候補、道徳性に続き資質論争拡散
日刊紙への寄稿で‘荒唐診断’-‘格差は理念攻勢’という主張も

キム・ソンイ保険福祉家族部長官候補者が、‘格差’を取り上げることは社会的葛藤を助長する‘組み分け’だと診断し、‘信仰心’を格差克服の方案として提示した事実が明らかになった。このため、長官としての道徳性問題に加え、資質論争をも巻き起こしている。
キム候補は2007年5月31日付『国民日報』の‘論壇’に寄稿した『社会福祉政策と信仰』という文の中で「アメリカのレーガン政府は勤労参与と自活を前提にした勤労福祉で大きな成果を上げたが、金大中政府の生産的福祉は同じ内容でも成功した政策として評価されなかった」という要旨の主張をし、その失敗の原因として「信仰心が足りなかった」からだと診断した。彼はまた、社会格差対策について「格差を理念水準として見ているだけで、神が我々を助けてくれるという確固とした信仰心が足りないため、積極的実践力を見出すことができない」とし、「愛国歌の歌詞には‘神がお守りになられている我が国万歳’という文句がある。…神様が守ってくれているという気持ちをどれだけ持っているか考えてみること」だと話した。積極的な政策介入によって格差と脆弱な社会保障問題を解決しなければならない福祉部長官としての資質を疑わざるを得ない問題意識だ。
こうして見ると社会連帯、社会のセーフティネットなどによって解決すべき福祉問題の責任を‘家族’に転換する安易な姿もうかがえた。キム候補は2006年1月、同じ新聞の‘専門家の視点’に寄稿した『福祉部長官がこうだったら』という文章では、「低出生率や高齢化問題もすべて家族の問題だ。家族がうまくいけば低出生率や高齢化の心配をしなくてもいい」とし、長官の資質としてボランティアと円満な家庭の2つを挙げた。キム候補はまた、貧富格差など社会の両極化を取り上げることを理念攻勢だと受け取る姿勢も垣間見える。やはり‘専門家の視点’に寄稿した2006年2月の『福祉副総理制を新設しよう』という文章で、彼は「貧富の葛藤、地域の葛藤、世代の葛藤、男女の葛藤などの用語が頻繁に使われ、ついには過去のイデオロギー時代に使われていた‘両極化’という用語が再び蘇って使われている」とし、「左右イデオロギーの両極化論争が社会階層間の乖離現象を表す両極化問題に発展した」と診断した。
彼は最近、李明博大統領就任前に長官候補者たちが一同に会して行われたワークショップで、福祉予算が脆弱な韓国の現状を無視して「福祉病の症状」を挙げ、批判されもした。彼はこの席で「(福祉)予算が2倍にも増えたのに、体感度は低いので‘福祉病の症状’が現れている」と話した。続いて国会人事聴聞会でこれに対する質問を受けると、「我が国も福祉病の症状が表われはじめているということ」だと答えた。
‘福祉病’という言葉は1960年代に西ドイツのメディアが、英国人の行き過ぎた平等主義と福祉受益による緩慢な動作、無責任な態度など、無気力な症状を見てこう指摘し、使われはじめ言葉た。これに対してチャン・ギョンス議員(統合民主党)は聴聞会で「社会福祉支出の比重が経済協力開発機構(OECD)国家平均の3分の1しかないのに、主務長官になろうかという人が『我が国は福祉病の症状が表れている』と言えるのか」と詰問調で言った。チョン・セラ記者
(ハンギョレ 2008年3月4日)
作者:hamnidak
更新日:2008年8月28日 17時13分
仏教界の怒り、ソウルに集結す
昨日(8/27)はソウル市庁前一帯に韓国中のお坊さんや尼さんたちが集まり、李明博政権を批判するデモ行進が行われました。警察の推定では6万人だそうですが、写真を見る限り・・・・・やっぱり警察発表はあてにならんな。(もちろん写真からはみ出た部分にも人はたくさんいるわけで)
これだけ多くの僧侶・尼僧が集まっている光景というのは壮観です。このお坊さんたちは一体、何に対して怒っているのでしょう。ソウル市長時代に「ソウルを神に捧げる」と発言して他宗教から強い批判を受けたほど熱心なプロテスタント信者の李明博大統領は、政権に就いた後も、というか、今まで以上に偏向的な信心深さを発揮しています。
たとえば人事権。プロテスタント信者ばかりが優遇されていると言われています。実際、李明博政権の主要閣僚は‘高・所・嶺(高麗大学卒・所望(ソマン)教会信者・嶺南地方出身)’が大多数を占めているという批判がありますし。
そう言えば、そんな宗教的背景によって優遇された閣僚が、「信仰心が足りないから社会福祉政策が失敗した」という妄言を吐いたこともありました。
そして米国産牛肉輸入反対デモ主催団体の幹部らが、デモが行われていた光化門から程近い場所にある曹渓寺(チョゲサ)という寺に駆け込み、寺はこの幹部たちを匿うという事態も発生しました。この寺の周囲を数多くの警察官が常に包囲しているという映像は、異様としか思えませんでした。(デモの主催団体っつーでも、実際にその団体が統括しているわけでもなかったしね)
韓国:寺に駆け込み逃亡生活をおくる市民、寺を包囲する警察の攻防
(JanJan 角南圭祐 2008/08/03)
こんなんですから、仏教界は現政権に対して批判的になっているわけです。
さすがに警察もお坊さんたちに対しては色素入りの水大砲をぶっぱなしたり、警棒や盾でボコったり、「自殺防止だ」として留置場でパンツを脱がしたり(←違)とかはできなかったようで、昨日は流血の事態とかはなかった模様です。
でもだからといって、現政権が事態を改善する兆しもまったく見えず、溝は深まるばかりのようです。
警察推定6万、主催者側推定20万-午後の都心で交通‘麻痺’
ロウソク集会関連の参加者も一部垣間見え
【ソウル=聯合ニュース】イ・ジュンサム/パク・イニョン記者=27日午後、ソウル市庁前のソウル広場で開かれた汎仏教徒大会に全国各地から上京した僧侶や仏教信者など、最少でも数万人が終結し、都心の真ん中を埋め尽くした。
警察推定で6万人余り、主催者側推定で20万人余りの参加者たちは、ソウル広場やプラザホテル前はもちろん、徳寿宮前の太平路の全車線を埋めて李明博政府の宗教偏向問題を指摘した。

仏教会代表の僧侶や僧伽大学の学生、信者たちの行列は、「憲法破壊・宗教差別の李明博は謝罪せよ」、「李明博政府は宗教差別根絶の立法措置を即刻整備せよ」、「大韓民国政府は宣教の道具ではない」などの文字が書かれた横断幕を掲げて車道や歩道を行進した。
曹渓寺-ソウル広場の街頭行進が始まり、地方から来たバスが押し寄せたため、午後1時以降からはソウル都心で大規模な交通渋滞が起こった。
ソウル市庁周辺を中心に太平路、世宗路、鍾路、乙支路、南大門路一帯は、行事が終わるまでの午後の間は交通が事実上、麻痺状態に陥った。
警察は太平路から光化門方面の道路のみ遮断し、南大門方面の道路では通常通りに車両を通そうとしたが、午後1時50分ごろ都心に集まった仏教信者たちが大幅に増えたため、全車線で交通統制に入った。
この過程で太平路に入った空港リムジンバスと市内バスなどの車両数十台が人波の中に閉じ込められたため、乗客が車から降りて歩くなどの事態も起こった。
大会の開始前に主催者側は「(警察が)良才(ヤンジェ/地名。ソウル市の南側の地区)ツールゲートを遮断し、封鎖作戦を行っている」と主張したが、警察では「地方から来たバスをエスコートし、市内に準備した駐車場まで案内する過程で一部誤解があった」のだと説明した。
参加者たちは午後4時20分ごろこの行事を終え、再び曹渓寺に向かって約1.4㎞区間を行進した。
この日の汎仏教徒大会では、仏教関係者だけでなく、ロウソク集会を準備する参加者たちも一部目に付いた。
‘アンチMB’インターネットサークルの会員たちがサークルの旗を手に参加していた。一方、子供と一緒に参加した主婦たちの別名‘ベビーカー部隊’の会員たちは、ハスの花の形をしたロウソクを作った。
また、‘英語没入教育反対’、‘国際中学反対’、‘歴史歪曲ニューライト反対’、‘李明博OUT’、‘朝中東反対’など様々なイシューについて書かれたプラカードがあちこちから登場し、注目を集めた。

作者:hamnidak
更新日:2008年8月28日 10時27分
政権によって解釈が変わり、歴史が作られる
以前、歴史教科書問題の記事で触れられていた韓