メニュー

関連ページリンク

トップ > 天気 > 天気 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年11月23日 12時)

November 22 ロケッツのクリスマス The Rockettes in the Radio City Christmas Spectacular

November 22, 2008 (Saturday)

   10月の New York Times Magazine に紹介記事と広告が載っていたのだけれど、今年はラジオシティーのロケッツが誕生75年だそうです。家族みんなでいくことをお勧めみたいな記事が書かれていました。

Rockettes2008.jpg

 

    クリスマスショーは11月7日から12月30日までという2か月近い期間にわたるのですが、その後、11月に入ってからロケッツの公式ウェブサイトを見たら、 "Bring the Whole Family." がちゃっかり宣伝文句として引用されていました。(楽しいスライドショー付き)――

Radio City Christmas Spectacular in New York City - Official Web Site <http://www.radiocitychristmas.com/>

The Radio City Christmas Spectacular stars the world famous Radio City Rockettes in an unparalleled show featuring the Rockettes signature eye high kicks, precision choreography and exciting show stopping numbers that will delight the whole family.

This legendary Spectacular has dazzled and inspired over 65 million people for more than 75 years and continues to create memories that will last a lifetime. LEARN MORE Arrow

   やっぱりラインダンスのハイキック(日本の歌劇団の「ロケット(ダンス)」のもと――いちおう「August 28-29 ラインダンスとフォークダンス (1)  Line Dances and Folk (1) [スザンナ周辺]」参照)が1932年以来の伝統ですね。スライドに入っている兵隊さんのコスチュームのパフォーマンスは、このスライドでは真横からの、小さく前ならえ一列縦隊で、顔がよく見えないですけど、広告では顔が並んでこちらにむいていました。――

Rockettes2008advjp.jpg

 

  最初おぼっちゃまくんかと思いました(というか、生身のおねえさんたちとは思えなかった)。ぼくちんがあんぐり口を開けている理由は不明。

  いくつかの都市で地方公演もやるようです――Tour Schedule。アラバマからルイジアナへと、けっこう南部はまわるようですけれど、西海岸へはこないみたい。いっぽう既に11月4日にはDVDも発売されていたりして(Radio City Christmas Spectacular Feat Rockettes 日本のアマゾンだと現在1551円。でもリージョン1w)。一大プロジェクトイベントですね。

  ふと、The Catcher in the Rye (1951) のホールデンがクリスマスに見たときのはどんなんだったろう、と気になりました。今度書きます。
 
  それではさようなら、と今日はあっさり――
 
 

 sainarakkyo.jpg

 

にほんブログ村 英語ブログへ

----------------------------------

The Rockettes - AOL Video <http://video.aol.com/video-detail/the-rockettes/1948189387>

Radio City Music Hall - New York, NY Tickets, Seating Chart, Map event tickets Center <http://www.eventticketscenter.com/Event.aspx?EventID=103&gclid=CKDPu-yKiZcCFSJIagod51q79A>

The Rockettes - Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Rockettes>

Sandi Bloomberg, "Rockette 75th Anniversary"  <http://xrockettes0.tripod.com/happenings.html> 〔Radio City Rockette Alumni Picture Page 50周年記念のダンスディナーの記事の下に追加〕

-------------------------------------------------------------------------

カリフォルニア時間午後2時半追記

広告に "BRING THE WHOLE FAMILY!" --TIME MAGAZINE" と書かれていたので、掘り出して確認しました。見たのはThe New York Times Magazine という、新聞の日曜版のおまけでついてくる雑誌のひとつです。この広告のフレーズは雑誌 Time からのものでした。どうもどうも。The New York Times Magazine のほうの記事は、"A Special Advertising Supplement to the New York TImes Magazine October 26, 2008" と書かれたセクションで、"New York Family Fun" と題して、ひとつめが "Forever Young - and Specutacular" でロケッツの記事、ふたつめが "An Intrepid Return" と題する、第2次大戦時でカミカゼの特攻を生き延びてベトナム戦争で使われ、さらに宇宙飛行士の帰還回収船としても活躍した軍艦Intrepid の展示の話、みっつめが"Critique du Soleil's Wintuk Wonderland" という、マディソン・スクウェア・ガーデンの WaMu Theater で演じられる空中サーカスの話。で、ふたつめとみっつめの記事のあいだに広告が1ページまるごと入っていたのでした。記事の写真は出来過ぎていると思ったら、75年目が去年で、今年は75周年。去年の75th Year Celebrationで導入された、Gray Line のバスをステージにもちこんで、観客にニューヨーク観光を味わってもらうという趣向は今年も行なわれる、ということで、写真は去年のモノのようです。マンとカゾエ・・・・・・むかしから苦手なんです。

作者:morichan

更新日:2008年11月23日 1時15分

このブログのホーム

November 21 ブラジルの転調するおおスザンナ

November 21, 2008 (Friday)

  朝から音楽につかっています。なぜか大貫妙子からエポから上田知華とか。So-net の3択クイズさえ。

 voice.JPG

  ふたつめとみっつめの違いがわからないのでした(目医者かな)。

  さて、なぜかはわからないけれど、意外な展開を示す弦楽合奏の「おおスザンナ」 ――


" Oh, Susana " (1:55) posted by "alinepietri" on June 25, 2008: "Camerata da Fundação das Artes de São Caetano do Sul ~ 24/06/2008."


    投稿者はブラジルのSão Bernardo do Campo にお住まいの若いかたです。参加得たのどうする、じゃないや、サン・カエターノ・ド・スルというのもブラジルの都市のようで。カメラータというのはイタリア語の音楽用語ですかね。たぶんラテン語の「カメラ」が部屋という意味からきている。え、ウィキペディアだと「重奏」のなかに説明があるのね。「重奏の音楽、重奏のための楽曲を室内楽と呼ぶ。室内楽は英語でチェンバー・ミュージック(chamber music)といい、チェンバー(chamber)とは宮廷内の広間のこと。本来は宮廷楽と訳されるべきであるが、「室内楽」の訳が定着した。同様にチェ ンバー・オーケストラ(chamber orchestra)は室内オーケストラと訳された。」 えー、でもchamber はフランス語(のchambre シャンブル が英語になった)で、room がアングロサクソン語というだけで、1066年のNorman Conquest 以来数百年のフランス支配下でもともとの英語とフランス語のコトバの割り振りの結果、高級なのがフランス語、卑俗なのがアンゴロサクソン語になっただけで、chamber は部屋であり、cameraと同じだと思うのですが。イタリア語のcamera に宮廷という含みがあるのかどうか知らんが、・・・・・・うん、 "Sonata da camera is Italian for "chamber sonata." と英語のWikipedia の "Sonata da camera" には書いてある。ま、イタリア語もポルトガル語もほとんどわかりませんが。

  こう、歌がないぶん、情緒の変化ないしドラマをアレンジで表現しているのでしょうか。なお、ポルトガル語圏ではSusana の綴りが一般的かどうかは不明。

kircher-camera-obscura.gif

アタナシウス・キルヒャーの camera obscura (「暗い部屋」)――写真カメラの源流 via [자료펌]세계 최초의 사진과 흥미로운 이야기 ... <http://kr.blog.yahoo.com/shinanda/125488.html?p=1&t=3>

作者:morichan

更新日:2008年11月22日 2時51分

このブログのホーム

November 19-20 メリーマウントのメイポール(五月柱)――ルネサンス・フェアをめぐって (下のはじまり)  Renaissance Fair (6)

November 19-20, 2008 (Wednesday-Thursday)

    もう、分類もタイトルもワヤです。「メイポールを巡って (4)」のような気もします。

  ここまでの流れをくわしく書いてもわけがわからんでしょうし、自分でもわからんのですが、いくらかでも簡単に整理しようと重い頭をちゃかぽこ叩いてみると、カリフォルニアゴールドラッシュの愛唱歌ともなった「おおスザンナ」――この歌は白人が黒人に扮するミンストレルショーのためにつくられた、黒人が話者である歌――がカントリーミュージック&ラインダンスでジェンダー・フリーないしクロス・ジェンダー的なパフォーマンスをはらみつつ作者フォスターの北部どころか南部以上に西部的な装いをもったことの・・・・・・と書きながらズルして自分のタグクラウドを見たら、「おおスザンナまとめ1」というのがあったが、記事は「August 30 性と肉体的接触――ラインダンスとフォークダンス (4)  Gender and Physical Contact: Line Dances and Folk (4)」というのでした。そこでは「男性的なものであったウェスタンあるいはカウボーイを女がのっとること」とか書いてある。つながりが見えず・・・・・・どうやらその後「まとめ」がなかったようで(自傷的自笑)。ま、いきあたりばったりで書いていますんで。そのあと覚えているのはカエル・・・・・・ルネサンス・フェアがアメリカ的な事象であるとともに、とりわけカリフォルニアで、しかも五月祭を模したかたちで発生し、盛んなのはなぜか、というようなところから、話はヨーロッパ対アメリカというようなところに広がりつつ、American psyche というような・・・・・・、ひとつには性的なモノの抑圧と東西南北問題。ただ、そのときに性的というのが必ずしもフィジカルに性的なだけでなくて、女性原理と男性原理の対立というような意味での問題、とりわけ宗教における・・・・・・キリスト教とジェンダーの問題(アメリカに即していえばピューリタニズムと性の問題。歴史的には、17世紀に植民してきたピューリタンならびにその思想的影響を受けた「アメリカ人」の、ヨーロッパ的中世・ルネサンスに対するアンビヴァレントな姿勢、そして宗教的な抑圧が強いアメリカにおけるゴシック的・異教的・ルネサンス的なものの地下水脈的な力、みたいな。そして、えらくシンボリックにいえば、おおスザンナのダンスも含めて、性差の起源でもある聖なる場所たる中心、その象徴である世界軸、その典型であるメイポールに自分なりの話の基軸を置こうかなと(ぜんぜん置けてないっちゅうんや)。それにしても、なんにしても、そんなに簡単に答えが出せるような問題ではないということについては自信があります(半分開き直り)。

  で、思い出したようにアメリカのメイポールの歴史的なおはなし。テキストはナサニエル・ホーソーンの「メリーマウントのメイポール」("The Maypole of Merry Mount" (1836); 翌1837年の Twice-Told Tales 所収: E-text, University of Virginia Library)。

  知恵も付いたので、ヨーロッパとイギリスでの五月柱について書いておきます。ケルトとゲルマンの違いとか、ローマの男根崇拝に由来するかもしれない、という曖昧で意見の一致をみない事柄は捨象し、フレイザーの『金枝篇』のニュートラルな記述をかりれば、ヨーロッパの民衆の春または夏の祭(五月が多いけれど、スウェーデンなど北方では夏至の日)に広くあらわれる象徴として、五月木ないし五月柱があります。その祭は冬が去って夏のサイクルが訪れたことを祝うと同時に、樹木の精霊のもたらす豊穣の力に預かるための儀式であって、一種の樹木崇拝の様相を帯びることになります。古くから見られたふるまいとしては、森へ入って行き、切った木を村へ持ち帰り、皆で祝って立てて祭る、あるいは森の中で切った木の枝を各自の戸口や窓に結びとめる。さらに、そういう習慣から派生した習慣として(これは大陸のほうに見られるようですが)、恋人が森からとってきた若木の枝を意中のひとに贈るとか、若木(苗)をプレゼントするとかが、今日も行なわれています。

  けれどもこの「樹木崇拝」をキリスト教会は偶像崇拝と見ますから、中世に禁止が起こります。しかし、農民の大切な祝祭としてあったわけで、大陸の方ではおおざっぱにいうとキリスト教的ないろづけをされるかたちで容認され、季節はちがいますが、典型的にはクリスマスツリーのようなかたちでキリスト教会内に入るようになる(季節はちがいますけれども、もともとの新たな宇宙のサイクルを祝う意味は、サンタの赤い服――つまり太陽をあらわす――や、飾り付けを行なうツリーそのものに残されています。

  イギリスでは、五月柱はしだいに固定化され、常駐化して、16世紀にはコミュニティー(地域の縄張り)の象徴という意味をもったようです。村同士で五月柱を盗みあうとかもあったようです("Maypole dance" - Wikipedia: In the 16th century maypoles were communal symbols, being erected as group activities by a parish (or by several parishes in concert if they did not have the means to do so individually). They were often the focus of rivalries between villages, who would steal one another's poles. (In Hertfordshire in 1602 and in Warwickshire in 1639 such thefts led to violence.) Owners of woods and forests (such as the Earl of Huntingdon in 1603 who was furious to discover that his estates had been the source of the maypoles used in Leicester) were also the victims of theft, as it was often the case that they were not consulted about the use of their timber.[1]

  そしてプロテスタントは偶像崇拝を嫌悪しますから(だってローマン・カトリックの英国人がしばしば偶像崇拝の嫌疑で告発されたりしましたからね)、あらためてこの異教的な祝祭が問題視されることになります。WEBに落ちているバーバラ・ウォーカーの『神話・伝承事典』の幽霊〔反・ギリシア神話:男根崇拝(Phallus Worship)」〕によれば、「スタブズは1583年に、一般の人々が踊りながら、メイポールに花輪をかける様子を描写している。彼はメイポールを「卑しむべき偶像」と呼んだ[註10]。古代ローマの女性たちは、「蒔いた種を実らせるために」、神リーベルの勃起したペニスに花輪をかけるのを常とした、と聖アウグスティヌスは述べている[註11]。」ということです。このスタッブズの文章はフレイザーが『金枝篇』で引いた有名な文献です。このへん、アメリカの17世紀のメイポールを考える参考になるので、簡略版第1巻10章から引用しておきます。――

      The puritanical writer Phillip Stubbes in his Anatomie of Abuses, first published at London in 1583, has described with manifest disgust how they used to bring in the May-pole in the days of good Queen Bess.  His description affords us a vivid glimpse of merry England in the olden time.  Against May, Whitsonday, or other time, all the yung men and maides, olde men and wives, run gadding over night to the woods, groves, hils, and mountains, where they spend all the night in plesant pastimes; and in the morning they return, bringing with them birch and branches of trees, to deck their assemblies withall.  And no mervaile, for there is a great Lord present amongst them, as superintendent and Lord over their pastimes and sportes, namely, Sathan, prince of hel.  But the chiefest jewel they bring from thence is their May-pole, which they bring home with great veneration, as thus.  They have twentie or fortie yoke of oxen, every oxe having a sweet nose-gay of flouers placed on the tip of his hornes, and these oxen drawe home this May-pole (this stinkyng ydol, rather), which is covered all over with floures and hearbs, bound round about with strings, from the top to the bottome, and sometime painted with variable colours, with two or three hundred men, women and
children following it with great devotion.  And thus beeing reared up, with handkercheefs and flags hovering on the top, they straw the ground rounde about, binde green boughes about it, set up sommer haules, bowers, and arbors hard by it.  And then fall they to daunce about it, like as the heathen people did at the dedication of the Idols, whereof this is a perfect pattern, or rather the thing itself. I have heard it credibly reported (and that viva voce) by men of great gravitie and reputation, that of fortie, threescore, or a hundred maides going to the wood over night, there have scaresly the third part of them returned home againe undefiled.

   ピューリタンの著述家フィリップ・スタッブズは、1583年に最初刊行された『悪癖の解剖』のなかで、(エリザ)ベス女王の時代にメイポールが人々に運び込まれるさまを、あからさまな嫌悪をもって記述している。スタッブズの記述は、古の陽気なイングランドへの鮮明な一瞥を我々に与えてくれる。五月、ペンテコステ、その他の時期に、若い男、乙女、年取った男、人妻、すべての者たちが夜を徹して、森や林や丘や山を遊び歩き、そこで楽しく打ちそろって夜を明かす。そして朝になると、樺その他の樹の枝をたずさえて、集会の場を飾るために帰ってくる。ところで彼らの中には、その楽しみと遊びの支配者および王としての大神が、すなわち地獄の王たるサタンがいる。彼らが持ち帰る主な宝は『五月の棒』であって、非常な尊崇の心をもって遊ばれるのである。彼らは二十くびきまたは四十くびきの牡牛を伴い、その牡牛の角の先には芳香を放つ花束をつけ、これにかの『五月の棒』(というかこの鼻持ちならない偶像)を引かせるのである。ところでこの棒たるや、花と葉で覆いつくされ、てっぺんから根もとまで紐でぐるぐる巻かれ、時としては色とりどりに塗りたくってあって、それには二、三百人の老若男女がいとも敬虔そうにつき従うのである。それからハンカチとか旗などをそのてっぺんからひるがえし、棒を地面にたてて、周囲にわらを撤きちらし、縁の小枝を沢山結び付けて附近にあずまやや亭(ちん)などを建てる。こうして一同がそれを取り巻いて騒々しく踊るのであるが、このさまは偶像奉献の際の異教徒たちに似ており、全くその様式どおり、あるいはむしろそのままでと言った方がよい。きわめてまじめで信用できる人の確かな報告によれば(また直接聞いたところによれば)森林で夜明かしをする四十人、六十人、あるいは百人にものぼる乙女たちのうち、元のままの清い身体で戻って来るのは、せいぜい三分の一くらいなものだという。

  (訳は「祝祭とマスヒステリア」に引用されている岩波文庫訳を少し字句の変更と追加をして利用させていただきました)。バーバラ・ウォーカーはスタッブズが "stynking ydol" (古い英語なので綴りが現在とちがいますが、stinking idol 臭い偶像)と呼んだメイポールを男根崇拝ととらえ、ペニスに輪をかける古代の祭儀につながりを見ようとするわけですが、読んでいただけばわかるように、スタッブズは性的な放縦をメイデーの祭に見ているとはいえ、メイポール自体をペニスに見立てているようすはまったくありません(「亭(ちん)などを建てる」という翻訳はアヤシイですがw)。

  長~いエリザベス女王の御代(1553-1603) の前の短いエドワード6世の時代(1547-53) にいわゆるReformation が起こって、偶像崇拝への攻撃が教会側から起こるのです。ちょっと挿話的事実を引けば、ロンドンのシティーにあるSt Andrew Undershaft 教会の名は、毎年春に教会内で建てられたメイポールに由来するのだそうです。1517年に暴動が起こって行事は終わりますが、1547年までメイポールは残っていたそうです。それをピューリタンの一団が "pagan idol" として破壊したのだそうです(これは "Maypole dance" - Wikipediaによる―"The church of St Andrew Undershaft in the City of London is named after the maypole that was kept under its eaves and set up each spring until 1517 when student riots put an end to the custom. The maypole itself survived until 1547 when a Puritan mob seized and destroyed it as a "pagan idol.")。エリザベス女王自身はメイデーの祭を好んでいたとも言われ、とにかく国と教会が一緒になって問題視するということにはならなかったのですが、その後、世界史で習うように宗教と国と王権と政治とが複雑な関係を示して、その流れからピューリタンの過激派の分離派がイギリスを棄ててオランダ経由でアメリカに新しい宗教的な場を求めるという展開になるわけです。その流れのなかで、五月祭がおかみによって禁止されたり、そのことによってメイポールが民衆にとって反体制の象徴みたいなものになったりもしていく(というのは現代の学者の意見だが)。ともあれ、ピューリタンにとって偶像メイポールの生み出す空間というのは、遊びや飲酒にふけって安息日を守らないこととか、男女の風紀が乱れる(とりあえず男女が一緒の踊りというレヴェルでもそうなわけです)とか、批難されるべきものとしてありました。

WalterCrane1894theworkersmaypole.jpg

 (再掲) Walter Crane, The Workers' Maypole (1894)

  さて、少し先走って、その後のイギリスのメイポールについてメモっておくと、今日とくにイギリスの田舎で見られるような、少女たちが、あるいは少女と少年のグループが、色とりどりのリボンを踊りながら巻きつけていく、というタイプのメイポールは、19世紀になってあらわれたようです――ウィキペディアの"Maypole"の記述を引けば、"The addition of intertwining ribbons seems to have been influenced by a combination of 19th century theatrical fashion and visionary individuals such as John Ruskin in the 19th century."  まあ、推測として書かれておるのですが、リボンを巻き付けるのは19世紀の演劇的な流行とジョン・ラスキンみたいなひとたちの影響があったんじゃないかと。で、そういうタイプの新しいメイポールのダンスが、19世紀末のアメリカでとりいれられ、とくに学校で演じられる。が、それも第二次大戦後にやがて弱まる。がそれが、あるいはそういう関心がはらんでいる心情がもしかするとルネサンスフェアというような新しい装いであらわれたかもしれない〈最後はとくに個人的憶測です)。

  ウィキペディアの"Maypole dance" のほうの記事は、豊穣の祝祭のダンス(それがどんなものであったにせよ)ではなくて今日のようなダンスは、イタリアやフランスにあった「アート」ダンスの影響を受けて18世紀に起こったと言っています。それがロンドンの劇場の舞台にのぼり、それから一般化したと。つまり教師が学んで、それを学校で広めたのであって、「リボン・メイポール・ダンス」はイングランド中部と南部で普及してこんにち「伝統的」なメイデーの特色となっている。―― "The second kind of maypole dancing originates in the 18th century, derived from traditional and 'art' dance forms popular in Italy and France. These were exported to the London stage and reached a large audience, becoming part of the popular performance repertoire. Adopted at a large teacher training institution, the ribbon maypole dance then spread across most of central and southern England and is now regarded as the most 'traditional' of May Day's traditional characteristics." (このへん、「おおスザンナ」のフランス、スペインのダンスとメイデーのダンス(リボン系じゃないやつ)の類似が思い出されて興味深いのですが――「October 30 おおスザンナのお遊戯の中心にポールは立っているか Is There an Imaginary Axis at the Center of Oh! Susanna Child-Dances? 」参照)

  たぶん、両者にソゴはないのかもしれません。ちなみに、リボン・ダンスは大陸のほうでも見られます。

   ちょっと疲れてきたので、読みやすいひと(他人)の文章を参照しましょう。『スポーツ文化資料情報館』 <http://www.eonet.ne.jp/~otagiri/index.html> という、元奈良女子大の先生で現在新潟医療福祉大学におられる小田切毅一というひとが館主の館があります。「案内板」(クリック注意)によれば、「史料情報室」 は・・・・・・「主に身体や運動によって特徴づけられるスポーツ関連諸事象に触れ」るもので、「連載アメリカスポーツ歴史物語」は、「植民地時代から20世紀へと及ぶ、古き良き時代のアメリカのスポーツ発展を跡づける文化史」である、ということですが、そのたぶん後者にあた植民地社会の建設とスポーツ事情」の最初のあたりで、アメリカのスポーツ史の発端、植民地時代のスポーツ否定の問題が挿絵入りで書かれています。

  よく言われるように、ピューリタンは娯楽を禁じました。「ところで北部植民地を中心に強調されるピューリタニズムによるスポーツや娯楽の否定の問題は,ある意味ではメイフラワー号の航海に象徴されるアメリカの出発,さらに自由な新天地としてのアメリカの歴史観とも同調するものであり,その後のアメリカ人のスポーツの受け止め方にも無視できない影響をおよぼした。こうした意味でスポーツの文化史の,まさに出発にかかわる問題として位置づけることができる。」というのが第3節の「ピューリタニズムによるスポーツ否定の問題」の書き出しです。近づいているサンクスギビングデーとも関係することですけれど、1607年にすでに南方ヴァージニア植民地はできていたのに、1620年のプリマス植民地のいわゆる「ピルグリム・ファーザーズ」、つまりより宗教的な一団(と位置づけられるひとびとを中心とすると想定される集団)を、その後のアメリカ合衆国という国は、歴史的に父祖の地位につけたわけです。で、この北部では、厳格なピューリタンの思想がながらく政教一致のTheocracy 神権政治というかたちでひとびとを律したわけでした。「禁欲的生活を旨とし,何よりも彼等の宗教的な自由を貫ぬこうとしたピューリタン(清教徒)にとっては,スポーツに興ずることは異教徒的行為であった。」として、館長は書きます。――

 「飲めよ,そして陽気に陽気に陽気に少年達よ。すべての君達の喜びは,ハイメンの女神(ギリシャ神話で,婚姻の女神)の喜びぞ。女神への歓喜の,今やその日が来た。メイポールのまわりに席をとれ8*。」8) F. R. Dulles; A History of Recreation. p.30.

  J.ウィンスロップをリーダーに,1630年にプリマスから分かれて創設されたマサチューセッツ湾植民地は,それ以後にニューイングランドの植民地の中心となった。こうした出来事が生じた3年前の1627年には,メリーマウントでメイポール建てて,その周囲で開放的な派手なドンチャン騒ぎを演じたT.モートンが,異教徒的な偶像崇拝をきらう近隣の清教徒の激怒に合い,投獄のうき目に合った。

  N.ホーソンは1837年に刊行の Twice-Told Tales の中で, この歴史上の出来事を「メリーマウントのメイポール」という短編の寓話に仕立てている。「メイポールがあの陽気な植民地の権標だった当時は、まさに光り輝くものだった。メイポールを建てる者は、旗を揚々と掲げるように気を配り,花の種を撒くことになっていた。浮かれ騒ぎと憂鬱とが、植民地の覇権を争っていたのである。」

  この寓話で、メイポールを崇拝する集団が行った浮かれ騒ぎ(仮面劇の儀式)は、むしろ史実に反してバッカス祭司による異教徒のそれとして描かれていたと指摘される。こうした仮面劇や, そこに登場する古い時代の情景については,ホーソン自身がその前書きで触れているように,「作品の舞台に豊かな奥行きをあたえるために」, ストラッツによる『イギリス国民のスポーツと娯楽』(1801年)が典拠とされていた。この寓話が史実と異なる最も重要な点は最終部分である。史実のよう な「投獄」ではなく、この寓話では,結婚しようとしていたメイポールの王と女王は、「苦難な道を天国へ向けて支えあう」ことで, 罪を許されていたことである。 

  ううむ。ひとのことは言えませんが、わかりづらいです(か)ね。最初の段落の、誰の言葉か明確にされていない引用は、つぎの段落で名前の出るThomas Morton (c1576-1647) の詩の孫引きだと思われます。モートンはイギリスのデヴォンシャーの生まれで、法律を学びにロンドンに出て劇作家のベン・ジョンソンの友人となった、ちょっと文人肌の人でした。デヴォンは田舎で、固陋な英国教会派で、プロテスタントたちからは辺鄙な土地とみられていたところ("Thomas Morton" - Wikipedia)。モートンは法律の仕事の関係で、新大陸の植民地にかかわることとなり、1622年についで1624年の航海のときにはCaptain Wollaston と組み、30人の丁稚を率いてアルゴンキン族インディアンの土地を借りて貿易をします。そのときに毛皮と引き換えにライフルや酒をインディアンに渡す。それをピューリタンたちから咎められる。モートン自身は、不寛容な白人に比べて、インディアンの博愛的な態度に感銘を受けた、ということです。やがて貿易業が拡大して、マウント・ウラストン Mount Wollaston と呼ばれる農業コロニーができます。

  ウラストンが丁稚さんたちをヴァージニアのタバコ農園へ「奴隷」として売っていたことを知り、 モートンは離反する。残っていた丁稚さんたちと一緒にウラストンに対して謀反を起こします。ウラストンはヴァージニアへ逃げてゆく。残ったモートンは、Mount Wollaston の名をMa-re Mount (海mare とmerryのかけ言葉だとされています) と変え、ユートピア的な、階級差別のない、コミュニティーをつくることを考えます。そしてアルゴンキン族とのある種の文化的融合も試みられる。モートンは、インディアンたちを定住させて、リベラルなかたちのキリスト教に改宗させようと考えていたようですが、ピューリタンたちは、モートンのふるまいを異教的なものと見て問題視します。とりわけメイポールをめぐるスキャンダラスな噂が流布される。バッカスとアフロディーテを崇める祭を行ない、酒を飲んでインディアンたちと性交に耽っているとか、なんたらかんたら。

  ピューリタンの植民地総督William Bradford は有名な『プリマス植民地』で、スタッブズとちょっと似たトーンで批難しています。――

They [. . .] set up a May-pole, drinking and dancing about it many days together, inviting the Indian women, for their consorts, dancing and frisking together (like so many fairies, or furies rather) and worse practices.  As if they had anew revived & celebrated the feasts of ye Roman Goddess Flora, or ye beastly practices of ye mad Bacchanalians."
彼らは五月柱を立てて、一緒に何日にもわたってそのまわりで飲んだり踊ったりするのだが、インディアンの女たちを相手として招いて、一緒に踊り、跳ねまわり(たくさんの妖精fairiesのように、というか怨霊 furiesのように)、そしてさらに邪悪なふるまいをする。あたかもローマの女神フローラの祭を、あるいは狂ったバッカスの従者たちの獣のようなふるまいを、復活させて祝っているかのようだ。

  館長は史実と違うと言っているけれど、ピューリタンたちの風説では、(そしてすぐ下に引くようにモートン自身の記述でも実は、)古代のバッカスやヴィーナスやらをほうふつとさせる異教的な装いがあったようです。それは、しかし、イングランドのメイデーの祝祭を新大陸に移し、モートンの自由思想によって味付けされたものでした。

  1628年の2度目のメイデーの祭では80フィートのメイポールが立てられます。そしてモートン自身が、館長の引くフレーズに始まる詩を捧げて、皆で歌い踊ったらしい。モートン自身による記述 A New English Canaan (Amsterdam, 1637)に引かれている詩 ――

The Songe

Drinke and be merry, merry, merry boyes,
Let all your delight be in Hymens joyes,
Iô to Hymen now the day is
come,
About the merry Maypole take a Roome.

Make greene garlands, bring bottles out;
And fill
sweet Nectar, freely about,
Uncover thy head, and feare no
harm,
For hers good liquor to keepe it warme.

Then drinke and be merry, &c.
Iô to Hymen, &c.

Nectar is a thing assign'd,
By the Deities owne minde,
To cure the hart opprest with grief,
And of good liquors is
the chief,

Then drinke, &c.
Iô to Hymen, &c
.

Give to the Mellancolly man,
A cup or two of't now and than;
This physick' will soone revive his bloud,
And make him be of a merrier mood.

Then drinke, &c.
Iô to Hymen, &c
.

Give to the Nymphe thats free from scorne,
No Irish; stuff nor Scotch over worn,
Lasses in beaver coats come away,
Ye shall be welcome to us night and day.

Then drinke, &c.
Iô to Hymen, &c
. 〔<http://www.swarthmore.edu/SocSci/bdorsey1/41docs/19-mor.html> 一部英語を現代化しているもの。ひまができたら訳します。今日のところは原文だけでかんべんしてください〕

   そして、ピューリタンたちがメイポールを切り倒して、モートンを逮捕・投獄するという事件が、翌6月に起こります(このへんはホーソーンは時期をずらしているというかあわせているのですが、興味深いのは、"midsummer eve" つまり夏至の日の夕方に時を設定し、メイポールの祭の日にジョン・エンディコット―ジョン・ウィンスロップの前の総督―率いるピューリタンたちがやってくるようにしたことです)。館長は、史実のように投獄ではなく、と書いていますが、もともとモートンはホーソーンの小説の主人公にはなっていません。他の参加者はムチ打たれるのですが、新婚ということでエンディコットから鞭打ちを免除され、しかし男のほうは"pumpkin shell" 型に頭髪を切ることを命じられる(どういう髪型でしょ)。そして、五月の王と王妃たる若い男女は、ふたり手をたずさえて、このメリーマウントから去ってゆく、という結末の一文 ("They went heavenward, supporting each other along the difficult path which it was their lot to tread, and never wasted one regretful thought on the vanities of Merry Mount.")は、誰が最初に指摘したのか知りませんが、ミルトンの『失楽園』の最後のBook X の最後で、アダムとイヴが楽園を追われていくときの文章のエコーがあるんだそうです。

  そうすると、文化人類学的にはけっこう普遍的にみられる、パラダイスの中心に立っている宇宙木、世界樹が断ち切られて、「人間の条件」へ失墜する、という神話(と言うのが罰あたりなら、キリスト教の失楽園の物語)をパロディーであれ、なぞっている部分があるということになるわけです。

  とりあえずのばしのばしにしていた「メリーマウントのメイポール」のおはなしに一段落つけておきます。結果的にわかりにくい文章になっているかもしれませんが、だいぶ神経と脳味噌を費やして疲れました。

  では今日はこのへんで。あとでか、次回にか、参考文献とか追加します。

merrymountlovers-illustr-MerryMountMaypole.jpg

ホーソーンの物語の古い挿絵

 

ブログ村 洋書・洋楽・映画の英語

作者:morichan

更新日:2008年11月21日 13時54分

このブログのホーム

November 19 〔私的メモ〕 好きな荒井由実の歌のただのリスト

November 19, 2008 (Wednesday)

   荒井由実(のちの松任谷由実)は1954年1月19日の生まれ。1月19日というのはエドガー・ポーの誕生日と一緒です(1809年生まれ)。参考―「松任谷由実 -Wikipedia」。帰国後のカラオケ参加のための練習用に作成した個人的メモ(爆)。好きな順に並べようと思っていたけれど挫折。それにしても初期のアルバムが好きだったということがいまさらながらわかった。投稿者のかたがたへの感謝とともに。

やさしさに包まれたなら」 (『ミスリム』1974.10.5: A3)

海を見ていた午後」 (『ミスリム』1974: A4)

雨のステイション」 (『COBALT HOUR』1975.6.20: B4)

翳りゆく部屋」 (1976.3.5; 『YUMING BRAND』1976.6.20: B5)

朝陽の中で微笑んで」 (『14番目の月』1976.11.20: A4)

瞳を閉じて」  (『ミスリム』1974: A2)

空と海の輝きに向けて」 (『ひこうき雲』1973.11.20: A4)

あの日に帰りたい」 (1975.10.5; 『YUMING BRAND』1976: A1)

ベルベットイースター」 (『ひこうき雲』1973: B1)

生まれた街で」 (『ミスリム』1974: A1)

紙ヒコーキ」(『ひこうき雲』1973: B2)

ひこうき雲」(『ひこうき雲』1973: A1)

晩夏―ひとりの季節」(『14番目の月』1976: B5)

14番目の月」 (『14番目の月』1976: A2)

旅立つ秋」(『ミスリム』1974: B5)

12月の雨」 (『ミスリム』1974: A5)

雨の街を」 (『ひこうき雲』1973: B3)

私のフランソワーズ」 (『ミスリム』1974: B4)

航海日誌」 (『COBALT HOUR』1974: B1)

中央フリーウェイ」 (『14番目の月』1976: A5)

魔法の鏡」 (『ミスリム』1974: B2; 『YUMING BRAND』1976: A4)

まちぶせ」(1996)

ほっぺたにプレゼント」(1978)

好きなカバーor もともとオリジナル

山本潤子 「海を見ていた午後

エレファント・カシマシ 「翳りゆく部屋」(2008.1.30)

奥村愛子 「14番目の月」(2005.9.7)

ハイ・ファイ・セット 「雨のステイション

早乙女愛 「魔法の鏡」(1976.3.21)

ハイ・ファイ・セット 「冷たい雨

三木聖子 「まちぶせ」(1976.6.25)

ハイ・ファイ・セット 「スカイレストラン」 (1975)

アグネス・チャン 「白いくつ下は似合わない」(1975.8.25)

荒井由実+ハイ・ファイ・セット「卒業写真

柴田淳 「ひこうき雲」(2003)

小野リサ 「あの日にかえりたい」(2002.12.12)

 -----------------------------------------------------------------

Yahoo!ミュージック - 歌詞検索 荒井由実 <http://m.search.music.yahoo.co.jp/bin/lyricssearch?cc=fs&cp=%B9%D3%B0%E6%CD%B3%BC%C2&stab=5&so=1&sf=2>

BEST20 INDEX 1975 <http://homepage1.nifty.com/shislabo/best20_new/1975.htm>

 

「中島みゆき&ユーミン、歌詞に「日本語回帰」現象のワケ」 <http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_08/g2007082716.html> 〔2007.8.27 この国立国語研究所文献情報グループの(伊藤雅光グループ長の)分析がアホくさいのは、読めば誰でもわかる〕 Cf. 「最近の歌詞は「日本語回帰」? 松任谷由実と中島みゆきで調査。」(『コトダマケイ ニュースサイト! ナリナリ ドット コム』 2007.8.27), 「ユーミン、中島みゆきが「日本語回帰」」(『芸能ニュース: nikkansports.com』 2007.8.27),「ユーミン、中島みゆきの曲調べました! 歌詞「日本語回帰」か」 (『ハカセのHEARTFUL DAYS!!』 2007.8.28 引用でしょうがグラフ入り), 「2000年以降、外国語が減少 中島みゆきさんユーミンに見る(東京新聞: TOKYO Web)」 ―8月27日の東京新聞夕刊、8月28日の産経新聞などにも載ったようで―, 「日本語回帰」(『真夜中にようこそ!』2007.8.30 表入り), 「2000年以降、歌詞に「日本語回帰」現象 国立国語研究所調査」 (『国際情勢の分析と予測』2007.8.29), etc.

しかし、つぎのものを読んでからでないと、いちがいに否定はできないのかしら。 いや、やっぱり中島みゆきの外来語(高頻度)の1位がララバイ: lullaby」、2位が「ドア: door」、3位が「クレンジング・クリーム: cleansing cream」で・・・・・・6位が「煙草: tabaco [ママ]」、松任谷由実が1位が「ドア」で、2位が「ハート」、3位が「ラララ: lalala [ママ]」、4位が「サンタクロース: Santa Claus [ママ]」、5位が「キス: kiss」、6位が「クリスマス: Christmas」7位が「セブンティ エイト: seventy eight」、8位が「バス: (omni)bus」、9位が「ビル: buil(ding) [ママ]」、10位が「ガラス: glas [ママ]」 とか表にして書いてある時点で唖然呆然という感じです。ちなみに16位は「キャサリン: Catherine」でっせ。中島みゆきの11位は「ミラージュホテル: mirage hotel [ママ]」で13位は「ドクオブザベイ: Dog of the bay [ママ]」だ(ご丁寧に「*「Dog of the bay」はオーティス・レディングの曲名」と注がついている)。このかたは和漢混淆文に対して「 日英混交文」の命名者で、計量言語学が専門だそうだけれど、もっと質的なものを問題にするべきだと感じました。が、直観的に感じるものを数量であとづけするのが統計の意味なのかもしらんがね。

独立行政法人国立国語研究所第31回「ことば」フォーラム 「日本語の中の外来語と外国語――新聞, テレビ, j-pop――」 2007.3.14 pdf. <http://www.kokken.go.jp/event/forum/31/haihu_31.pdf>  伊藤雅光(国立国語研究所)「j-pop の中の外来語・外国語」

ケペル先生のブログの「歌謡曲日英混交歌詞のルーツを探る」(2007.5.14) の線のほうがおもしろいかも。

あくまで私的( ..)φメモメモ

------------------------------------------------------

milk_teaさんというひとの「歌詞の世界 Ⅵ (ユーミンと大貫妙子 Ⅱ)」がとてもおもしろかったので――あえて言えば上の言語なんたらの先生が言葉を殺しているのに対して――( ..)φメモメモ <http://music-milk-tea.blog.so-net.ne.jp/2005-08-01>  『~ Life with Music ~ 世界の末端で音楽を叫ぶ』 おお、so-net の人だ。

作者:morichan

更新日:2008年11月20日 3時51分

このブログのホーム

November 18 リンデンの木から、またはマイアヒー――メイポールを巡って (3) Doragostea din Tea, or Maiahii: About the Maypole (3)

November 18, 2008 (Tuesday)

November 17 マイアへ~」 [歌・詩]のつづきですが、

October 31, Nov. 3 メイポールを巡って (2)――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続きのつづきの2)   About the Maypole (2): Renaissance Fair (5)[America]につづいてしまいました。

 

    現在WEBに遺っているさまざまなサイトからわかることだけれど、2005年に邦題「恋のマイアヒ」、原曲名 "Dragostea din Tea" の歌詞についてさまざまな人がさまざまな日本語訳を試みています。前回紹介した、

A) 「Dragonstea Din Tei - Lyric & Listen 日本語訳+読み付き」 <http://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/Dragostea_Din_Tei-Lyric.html

それから、 英訳、英詞ではなくて、ルーマニア語の原詞から直接意味を探ろうとしたさまざまなサイトの中で目にとまったものとして、以下のようなものがあります。――

B) 『Lyrique☆な部屋』の「本当の‘マイヤヒ‘の歌詞の意味O-ZONEを語る♪(64)」」 <http://plaza.rakuten.co.jp/Lyrique/diary/200509040001/> (2005.9.4)

C) 『恋のマイヤヒ~~avexのまネコ問題~』の「恋のマイヤヒ、の歌詞の本当の意味」 <http://blog.livedoor.jp/nomanoma2/archives/50017045.html> (2005.9.15)

D) 『★Dragostea Lingua ルーマニア語学習帳★』の「Dragstea Din Tei」 <http://blog.goo.ne.jp/saemon0114/e/6e10bab1d4e95c88964d2a86f60572fb> (2005.10.1)

E) 『Welcome to the satelliete Phobos』 の「イェイ」 <http://phobos.g.hatena.ne.jp/plank/20051001> (2005. 10.1)

F) 『Do be Ambitious! 別館~MOVE ON HOKKAIDO!~』の「の日記2月8日「野々村的「Dragostea Din Tei」和訳」<http://blog.goo.ne.jp/takeyan85/e/a9970a62c165fc049634a2428028d606> (2006.2.9)

  冒頭のマイアヒーの部分、「意味なし」と注記するものがやはりある(E)一方で、(F) は「ルーマニア語では5月のことを「Mai(マイ)」と言います。5月は夏、すなわち恋の季節の始まりで、この歌詞からは「君」と恋に落ちたときのことを思い出していることが伺えました。」と記しています。しかし、意外だったのは、(C) は(マイアヒ、のMaiは、ルーマニア語で五月(=夏が始まる季節)という意味です。(Mステより))」と記し、(B) は「Ma-I-A Hi, Ma-I-A Hu Ma-I-A Ho, Ma-I-A Ha-Ha ここにある「Ma-I」は「Mai(マイ)」で、5月と云う意味だと、作詞者本人の談。ルーマニアは5月に夏が始まり、夏は恋の季節・・・そして、菩提樹はその季節の代表的な花(一気に咲き乱れサッと散ってしまう夏の花)で夏の恋(パッと燃え上がりすぐに消えてしまう花火のような恋)の象徴。」と記します。(D) のルーマニア語学習帳さん(という呼び方でよいかどうかわかりませんが)は、実際にルーマニア、モルドヴァに旅行し、文字通りルーマニア語を学習しているかたで、他にもたくさん記事を書いています。そして7月18日の「Dragostea Din Tei は奥が深い!」は冒頭にミュージックステーションの話題がありました。――

Mステで「マイアヒーって何なの?」というタモさんの質問に、
待ってましたとばかりに「OK~」と説明を始めたDan。

MAI-A-HI のMAIはルーマニア語の5月、という話は聞いていました。
が、「ルーマニアでは5月から夏が始まって、恋する季節なんだよ」というのは
初めて知ったのです。
なるほど~!
やっぱりどこの国でも夏は解放的で情熱的で、アバンチュールで恋の季節なのね!

けど、恋の季節なのに、どうしてピカソ君は捨てられてしまう歌なの?
そこで、私はココで興味深い記事を発見しました。
http://go2rumania.exblog.jp/586356

こちらの「ルーマニアへ行こう!」さんによると、
「dragostea din tei」とは、「偽りの愛」のメタファーのこと。〔以下略〕


    まあ、モーリちゃんの父的には、一般的には、作家の発言を信用するな、というのが解釈の前提にあるのだけれど、めぐりあわせのようで興味深いのは、メイポール、メイツリー、マイバウムのイメジを、リンデン(菩提樹)と一緒に読み取れるからにほかなりません。いちおう懐疑的なところから始めれば、マイアヒ~♪の冒頭部分の、少なくともマイに意味があるのならば、ちょっと大事にするよーな気がするが、上の引用の「MAI-A-HI のMAIは」と書いているルーマニアの学習帳さんも先の訳詞記事では「Ma-I-A-Hi Ma-I-A-Hu Ma-I-A-Ho Ma-I-A-Ha-Ha」と書いています。O-Zone のドイツ語のホームページで歌詞のページを見ると、ルーマニア語とドイツ語の歌詞が載っているのですけれど、この冒頭のマイアヒ~の部分はそもそも歌詞に載せられていません、なぜか――<http://artists.universal-music.de/ozone/>。荒木師匠の『arakishishou blog!! 荒木師匠』の2005年7月17日の記事「「恋のマイアヒ~DRAGOSTEA DIN TEI」」に導かれて「O-ZONE OFFICIAL WEB SITE」に行ってみると、日本版のジャケットは「MA-I-A-HA-HA...」みたいに分かち書きされていました。

    まあ、思いついたように言ったか、隠された意味だったか。アメリカでダン自身が出した英語版が"Ma Ya Hi"となったのは "May" を入れるためだったのか? (微笑)。いずれにしても、音の並びが意味をはらんでしまうというはなし・・・・・・うぅ、書いててつまらんw。

  ルーマニア語(ルーマニア語に近いモルドバ語という説もあるけれど、モルドバの人ではないハイドゥッチ(ちなみにこの人の名前は明らかに歌詞のhaiduc を女性名詞化してこしらえられたた芸名ですよね)がそのまま歌っているのだから、少なくとも本文はルーマニア語と思われ)のタイトル "Dragostea din Tei" については、ルーマニア語学習帳さんをはじめ、説明がありますけれど、最後のTei については、Tiliaceae シナノキ科を意味するラテン語のTilia (学名)に相当するルーマニア語ですね。英語だと、あと形容詞のtiliaceous しかなくて、linden (ヨーロッパで)、lime (英国で)、basstree (アメリカの一部の木で)と呼ばれる樹木があてはまる(英語のWikipedia の "Tilia" にはO-Zone やルーマニアの詩人の詩への言及もあります)。

   まあ、いわゆる菩提樹、正確には東洋の、仏教との連想が強い菩提樹とは種類がちがっていてセイヨウボダイジュと呼ばれる木の仲間なのですが、当然、世界樹、宇宙木的な象徴性をもっているだろうな、ということは想像されます。問題は、メイツリー、マイバウムとして際立った意味をもっているかです。

  あ、話が唐突と思われるなら、さかのぼって、「October 31, Nov. 3 メイポールを巡って (2)――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続きのつづきの2)   About the Maypole (2): Renaissance Fair (5)」 、あるいは中心のシンボリズムについてのメモ「October 31 エリアーデのいう中心のシンボリズム The Symbolism of the Center as Described by Mircea Eliade」、あるいは画像のある「October 29 メイポールを巡って (1) ――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続きのつづき)   About the Maypole (1): Renaissance Fair (4) 」など参照いただけるとありがたいです。あと、「メイポールを巡って(2)」で、ヨーロッパの五月木を記述するブログを紹介しましたが、その後、ありちゅんさんのブログ『それでもドイツ語が好きなんだワン♪』2007年5月1日の記事「Maibaum (五月柱)」」<http://deutschmachtspass.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/maibaum_394c.html>を拝読、若い男女のミニチュア版五月柱(つまり五月木ですが)の話(それを注文するサイトのリンクもあり)が丁寧に語られるとともに「Wikipedia の Maibaum (様々なMaibaum の写真が載っていますので、よろしければクリックしてくださいね♪)」とドイツ語のウィキペディアへリンクされていました。目からウロコというか、なるほど、ヨーロッパのメイポールについては、英語の"Maypole" - Wikipedia ("Maytree" という項目は、あるけれど、まったく別の概念)よりもドイツ語のほうが豊富なのでした。いやまったく。

   それから、フレイザーの『金枝篇』を見ようかなあ、と思いつつも、つい忙しくて(またモーリちゃんとバドミントンやサッカーをしに山下公園に暗くなるまで出ていた)、でも出かける直前に検索で探しだした植田重雄「ドイツ・スイスにおける年間民俗行事研究」という日本語の論文から引用しておきたいと思います(典拠として標準的じゃないかもしれないけれど、内容的には完全にビンゴ♪です。植田重雄の本は『神秘の芸術――リーメンシュナイダーの世界』やブーバーの訳書をモーリちゃんの父はもっている、立派な宗教学者です)。

 菩提樹、樅、トネリコ、樫、橅などの巨樹となる樹木は、ゲルマン人にとって生活の中心――柱をなすものであった。彼らの家族、部族、村落の共同体は、自分たちと生活をともにし、祖先から生きつづけてけ〔き〕た巨樹(老樹)のもとに集まり、重要な共通の議題を協議し、生活のあり方を皆の賛否で決めていった。ここで神々に祈った。神々は樹木を伝わって天から降(くだ)ってくると考えられた。樹木はゲルマン人にとって神の降臨の目印であり、神の声を聴く場であった。この樹木の下で神への願い事を祈り、誓いを立て、歌い且つ踊った。〔・・・・・・〕つぎの詩句はチャールズ・ヴァルデマール(Charles Waldemar)の一節である。

マリアよ、甘美な菩提樹よ
喜びの花に満ちた世界樹よ
ああ、わたしを
胸に抱かれるあなたの子供とさせて下さい(*注11)


 ここでは菩提樹を世界樹として表象し、幼児を抱いていつくしむマリアの象徴のごとく歌っている。ドイツ、オーストリア、その他ヨーロッパの人々は菩提樹を庭や街路、公園その他到る処に植え、その樹の蔭で安らぐことを生活の喜びとしている。〔・・・・・・〕
 愛する若者が森にはいって白樺や樅の若木を折り取り、これを思いをよせる相手の娘に贈るものを五月の若枝(マイレーエン Mailehen)と呼んでいる。五月祭に近付くと、贈られた若枝を窓や家の戸口に飾りつける。ところがやや昔に遡ると、結婚した二人にお祝いとして菩提樹や樅などの若木(苗)をプレゼントし、二人がこれを大切に育ててゆくという習俗があった。子供に身の廻りのものを画に描かせると、太陽や家と一しょにかならず樹木と花を描くパターンがある。これは無意識に人間にとって樹木が不可欠な存在であることを暗示している。樹木を愛の祝いに贈るのは、若い人々の間だけではない。新しい市長が選ばれると、その就任式に先立って樅や白樺を一本切り出し、市庁舎、市長となる人の自宅の入口にこれを立てて祝う。この場合他の祝いとちがって枝に緑の布切れを沢山結わえて垂らす慣わしがある。十二月のクリスマスに樅、栂、松などを家の前、戸口、教会などに立てる。中世期ではキリスト教会は、樹木を教会に立てることを禁じた。樹木崇拝をおこなっていたゲルマン人の宗教的習俗を排除するためであった。しかし宗教改革以降樅などの常緑樹を「キリストの樹」(Christusbaum)と呼んで家庭内で飾るようになり、これに星型、日型、月型の装飾をつけ、小さな蝋燭を点したり、パン、菓子、人形などを吊り下げるようになる。暗く厳しい冬でも若々しい緑を保つ針葉樹を喜び、生命の存続や発展を願う気持がこもっている。やがて家庭におけるクリスマスを祝うツリーは、福音派教会の内部で飾るようになり、最後にはカトリック教会でもクリスマスを祝う不可欠の存在となっていった。これは樹木と人間の実存的な深い結びつきをよく示している。〔『早稲田商学』333号(1989):34-36ページ〕

(*11[もとは84ページの尾注]) Maria,Du süße Linde,
   Weltbaum voll blüh’nder Lust,
   Ach,laß mich zu Deinem Kinde
   Werden an Deiner Brust.(An Maria)

   引用箇所の前には、世界樹イグラドシルについて書かれており、そこではトネリコがクローズアップされるわけですけれど、俄然菩提樹が五月祭にもからんで言及されるのでした。最後の、クリスマスツリーに至る、いわば樹木崇拝のキリスト教化のくだりは、ドイツ語版ウィキペディアの十字架を模したように見えるメイポールの説明にもなると思います。

  さて、思わず知らずか知ってか知らずかメイポールの話に戻ってしまったわけですけれど、確認されるのは、第一にリンデンの木はすぐれて中心の象徴性をもちうる樹木のひとつであり、だからそれは信義や信仰や愛情の証人になりこそすれ逆ではないということです。だから、英語のWikipediaの "Tilia" の "German Mythology" の項で(どこが神話かわからんのはともかく)、リンデンの木が真実を掘り起こす空間として裁判や審理の場となったことが書かれるのはうなづけるところです―― "Originally, local communities not only assembled to celebrate and dance under the lime-tree to hold their judicial thing meetings there in order to restore justice and peace. It was believed that the tree would help unearth the truth. Thus the tree became associated with jurisprudence even after Christianization, such as in the case of the Gerichtslinde, and verdicts in rural Germany were frequently returned sub tilia (under the lime-tree) until the Age of Enlightenment." そういう意味で言うと 、英語の"under the rose" が「秘密裏に」というのとは反対の意義だと思われるのですが。

     そしてまた、リンデンは恋人の木というイメジももつことも確かなようです。そうでなければ、マイバウムとして選ばれるはずがない。

   であるならば、ルーマニア語学習帳さんも影響された、 「dragostea din tei」とは「偽りの愛」のメタファーという考えは、どこに由来し、どのような妥当性をもつのでしょうか。

  ・・・・・・と書きましたが、深入りし過ぎておりますね。もともと歌詞の内容を検討するつもりはなく。既に過去においてどこかで議論されているような気もしますし。モーリちゃんの父的には、ここにメイポールないしマイバウムのイメジを見つけただけで満足です。

  が、いちおう( ..)φメモメモ的に書き散らしておきます。dragostea din tei が偽りの愛のメタファーだというのはルーマニアに在住の人による解説です――

『Dragostea Din Tei』 とは 実はこんな意味。
Dragoste(a) = 愛 / Tei = 菩提樹  つまり直訳では「菩提樹の愛」。

 英題では「Words of Love」となっていたり、ヨーロッパでもとりあえず愛に関する色々な題になっているようです。
 でも実はこの言葉、ルーマニアでは『偽の愛』を表すメタファーなのです。
つまりそのまま訳すことはできません。

 ちなみに、このようなルーマニア語のメタファーとして
「Mama dracului (ドラキュラの母)」=『とても悪い奴』 というのもあります。 

  ドラキュラの母がとても悪い奴というのはよくわかるんですけどね(笑)。ルーマニア語のdin は英語のfrom とかフランス語のde に相当するんですかね。out of みたいに落っこったみたいな曖昧な意味になるのかしら。学習帳さん自身は、「「はかない愛」「偽りの愛」などのメタファーだそうです。コチラ トランシルバニア地方出身のルーマニア人男性に聞いてみたところ「う~ん、『片思い』って隠喩に使うかなぁ。でも滅多に聞かないよ。特定の地方で使われるフレーズじゃないかなぁ?」とのこと。」と記しています。わからんですけど、有名ならばウィキペディア等でも注釈が出そうなものだが。ちなみに英語の ウィキペディア"Dragostea din tei" のタイトル解釈の項には "The intended translation is possibly shown in the subtitles of the music video by O-Zone, which translates it as Love of the linden tree. Linden trees have strong lyrical associations in Romanian poetry, tied to the work of the poet Mihai Eminescu. Therefore the expression may be interpreted as romantic, "linden-type" love. " などと描かれています。「リンデン型の恋愛」ってなんや? わけわかめなままにあちことでこの箇所がコピペされており。やれやれ。

  また、このタイトルのフレーズは歌詞にも出てきます。"Chipul tau si dragostea din tei, / Mi-amintesc de ochii tai."  君の顔と "dragostea din tei" (リンデンの木の恋?) は僕に君の眼を思い出させる。

  ところで、上で言及したドイツ語のホームページの歌詞紹介では、ドイツ語のタイトルは "Lindenblüten-Liebe / eine Scheinliebe" と

なっています。・・・・・・ドイツ語よくわかりませんが、スラッシュ(/) で切られた前半のLindenblüten-Liebeは「リンデンの花の恋」(Blüten は木の花というような意味でしょうが、後半のScheinliebeって偽りの恋」という意味なんですかね、それとも「輝く恋」という意味と「見せかけの恋」「うわべの愛」「偽りの愛」という意味と両方あるのかしら。

  わかりません。

 

    〔カリフォルニア時間19日朝7時追記 Scheinliebeは「偽りの愛」と考えましょう。しかし、ルーマニア語とドイツ語ではモノの比喩が異なる可能性がもちろんあるとはいえ、Lindenblüten-Liebe = eine Scheinliebe というのが一般的ならば、わざわざふたつ書く必要はないわけで、Lindenblüten-Liebe であったのにそれは eine Scheinliebe となってしまった、ととるのが妥当な気がします。ちなみにふたつ上のウィキペディアの"Tilia" の引用にあるドイツの"sub tilia"というのはドイツ語ではなくてラテン語だと思われます。たぶんドイツ語なら"Unter der Linde"(Linde はLinden の単数)。なにが言いたいかというと、ラテン的中世というか、言語が違っても、ひとつにはラテン語という共通語による観念の共有、第二に、モノ自体(この場合はヨーロッパの菩提樹)の共有によって、原則的にはメタファーも共有されてきたのではないかなあ、ということ。〕

 

   投稿者の記述欄に歌詞が詳しく記載されている音源を一つ最後に(歌はhaiducii なんですが)――

"THE REAL NUMA NUMA DANCE" (3:33) posted by "GoRiLLaFooTpRiNtS925" on March 15, 2007.

 

November 19-20 メリーマウントのメイポール(五月柱)――ルネサンス・フェアをめぐって (下のはじまり)  Renaissance Fair (6)

 につづきます。

--------------------------------------------------

 植田重雄「ドイツ・スイスにおける年間民俗行事研究『早稲田商学』333号(1989): pp. 1-90 (886-799) pdf. <http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/4940/1/92698_333.pdf>

にほんブログ村 英語ブログ 洋書・洋楽・映画の英語へ

作者:morichan

更新日:2008年11月19日 14時41分

このブログのホーム

November 18 〔私的メモ〕色魔の女

November 17 カリフォルニアのクモ (その3) Californian Clouds

November 17, 2008 (Monday)

    今日も暑い一日でした。こういうのをインディアン・サマーっていうのかしら、誰も言わないけれど、と朝、モーリちゃんの母が言ったような気がするが、そうかもしれない。

   さっき、見て見て、なにあれ、ヘンなの! と窓の外を指さしながらその同じ人が叫び声をあげた。見ると雲だった。別にヘンだとは思わなかったけれど、その人によると、なにか地震とか起こる前兆ではないかという。飛行機雲の変形だろ、じいさんかよ、ばあさんかよ。 と口では言ったのだが、いちおう記録して、なにかあったときになにか言ってもらおうかという気になりました。

CalifornianClouds_November17,2008.jpg

 2008年11月17日17時16分。毎度ですが中央下左に見えるのはゴールデンゲートブリッジです。クリックでちょこッと拡大。

  あ、その1とその2、時間が1時間まちがっていました。やはり5時台です。これも時差ボケというのかしら。


カリフォルニア時間午後7時、画像追加します。ナンマンダブ。

 

cloud2.jpg

cloud3.jpg

 

作者:morichan

更新日:2008年11月18日 10時31分

このブログのホーム

November 17 マイアへ~

November 17, 2008 (Monday)

    なんでいまごろマイアヒなんだ、3年遅い、と言われれば、第一に、アメリカでラッパーのT. I. が女性歌手のRihanna の応援とともに「恋のマイアヒ」を入れた "Live Your Life" (邦題は「マイアヒ・ライフ」というらしい- Wikipedia)という曲を今年2008年に発表し、そのビデオ(T. I. feat. Rihanna, Live Your Life)が出たのは最近の話で、さらにオバマが大統領に決まったら、この曲でパロディーがつくられて("Obama Wins song (T.I. - Live Your Life SPOOF)" (2:50) posted by "asathecomic")、百万hit を超えたり、とアメリカでは空耳ではなくて聞こえている曲であるのが一つ(もちろん、これは後知恵です)、第二に、個人的な関心で、複数の言語をまたがって擬声や擬音はどのように捉えられるか、というyeehaw / heehaw 問題の延長です。

   ところで、この歌についてはウィキペディアの日本語の記事「恋のマイアヒ」英語の記事 "Dragostea din tei" を読むと、ヒットの経緯からその後の各種ヴァージョン、また各国での反応などについていささか錯綜するたくさんの知識をえることができます。モルドバ共和国出身の男性3人のO-Zoneというグループが、ルーマニアでは数十年ぶりのヒットとなった2002年の "Despre Tine"に続いて〔裏を取ろうと後から調べたら、"Despre Tine" という曲はマイアヒにつづく2004年の3枚目のシングルのようで・・・・・・〕 2003年春に発表した。2003年秋にイタリアのダンスミュージック会社の社長がある日ルーマニア人運転手が聞いていた曲を耳にして、自社に所属する元ミス・ブカレストの女性歌手Haiducii (本名Paula Mitrache, 1977生まれ HP)に歌わせてイタリアで大ヒットを記録("Haiducii - Dragostea din tei" (2:29))。日本版ウィキペディアによると、ルーマニア以外でははじめはこのハイドゥッチ版のほうでヨーロッパでは広く知られたが、2004年になるとオゾンのオリジナルが認知されて各国で1位に、そして12月にはアメリカのGary Brolsmaがこの曲にあわせて踊るダンスを公開、Numa Numa Danceとして流行する。日本では2004年10月ごろ、空耳Flashムービーが話題になると同時にヒット、スマスマ『SMAP×SMAP』のコーナーでパラパラのテーマ曲として使われてさらに広く知られた。日本では2005年3月に国内版「恋のマイアヒ 」(AVCD-17626)を発売(ZIP-FMによる邦題は「恋の呪文はマイヤヒ・マイヤフ」だった)。しかし2005年1月に解散を発表。リーダーのDan Bălan は前年、ひとりアメリカに渡り、英語版"Ma Ya Hi" (日本語版ウィキペディア記事 「O-Zone」は "MA-YA-HEE Song" としているが、どうもそれではヒットしない)を制作したことで対立し、口論の末に決裂したらしいが、解散は回避して、7月には来日し、ミュージック・ステーションやスマスマに出演。

  さて、記事「O-Zone」のほうがあれこれ突っ込んで書いているが、 「日本におけるO-Zoneの扱われ方」の項の後半を引用します――

なお、日本版『DiscO-ZONE』[ママ]の曲名のカタカナ表記にはかなり間違いが多い。例えば、3曲目の「De ce Plang Chitarele?」は「デ・セ・プラン・チタレーレ」と表記されているが、実際の発音は「デ・チェ・プレン(グ)・キタレーレ」にずっと近い。

そして、歌詞カードに記されている1曲目の「Dragostea Din Tei」の歌詞は、実はUS盤DiscO-ZONEのボーナストラックであるMa Ya Hee(Dragostea Din TeiのEnglish.ver)の歌詞なのである。このEnglish.verの内容はルーマニア語で歌われているオリジナルの歌詞とはまったく異なるものである上、O-Zone解散の直接的原因と言われる曲のものであるため大きな問題となっている。

エイベックスは、あくまでも「Nu Mă,Nu Mă Iei」に意味がないように思わせたり(実際は「僕を、僕を連れて行ってはくれない」という意味がしっかり存在している)、「恋のマイアヒ」を英語に訳すと"Words of love"になるようにしたいらしい。
このことや日本ではO-Zoneの本来の姿がほとんどマスメディアによって語られていないことから日本で純粋にO-Zoneを愛しているファン達からはこうしたavexの売り出し方に批判的な意見が多数噴出している。

それもあってこれらのファン達はルーマニアの公式サイトなどから情報を集めて立派なファンサイトを作り上げるまでに至った。

なお、2007年6月1日放送の探偵!ナイトスクープでは再び彼らのマイアヒとは別の空耳ソングが取り上げられていた。

 

  最後の1行は何を言っているのか不明(微笑)。 その英語版というのはこれだと思われます――


" Ma Ya Hi (english) " (3:35) posted by "Firekitten21" on July 28, 2007

  いま、アマゾンで確認したら、アメリカ版は確かに12曲目が"Ma Ya Hi" となっているけれど(たぶん、だけれど、レヴューでもそうなっているからまちがいないでしょう、あと "Ma Ya Hi - English Lyrics"というアメリカのGregさんのブログ記事 [Generic Confusion: 2005.3.14] も、"Nu ma Nu ma" の入った英語ヴァージョンを指摘しながらも、このタイトルだし――"Amazon.com: Discozone: The O[-] Zone"。 でも日本のアマゾンのこのアルバムの情報を見ると、なぜか "12. Mai Ai Hee - (bonus track, with Dan Balan, featuring Lucas Prata) " となってる。やれやれ。

   頭が痛くなってきそうです。とりあえず、歌詞の全体を検討する気持ちなどさらさらなく、ただ、アメリカで、少なくとも当初「マイアヒ」 という音以上に訴えた「ヌマヌマ」のほうは、意味がある言葉であるということを確認し、では「マイアヒ」のほうは意味はないということでよろしいのでしょうかね。

  早い時期につくられたと思われる、「Dragonstea Din Tei - Lyric & Listen 日本語訳+読み付き」 <http://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/Dragostea_Din_Tei-Lyric.html> という、『不可思議音楽 <Fukashigi Music>』 <http://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/> 内のページには、日本語読みと日本語訳、そして原詞、英訳、仏訳、のみならず、スペイン、ポーランド、アラビア語の訳詞、さらに上記の英語版のDan とLucas Prata のかけあいの歌詞も載っていて、参考になりますが、ただ気になるのは原詞も訳詞もいずれも最初の部分は"Ma-I-A Hi, Ma-I-A Hu / Ma-I-A Ho, Ma-I-A Ha-Ha" と同一に記されているところです。

  ちなみに"Romania - Dragostea Din Tei - Miya Hee - Numa Numa - Lyrics in Romanian and English" <http://www.catteacorner.com/dragosteadintei.htm>という、表記だけ見ると怪しげなページは、冒頭で "The Miya Hee Song! The Numa Numa Song!" とうたっているものの、それは英語での通称ということでそう表記しているのであり、本文は明らかにルーマニア語と英語の双方に通じている、たぶんルーマニアの人の、ていねいなものだとわかる内容です。そこでは、冒頭は、

Ma-ia-hii
Ma-ia-huu
Ma-ia-hoo
Ma-ia-haha

となっており、英訳(英語版の歌詞ではなくて翻訳だと注記されている)は

Miya-hee
Miya-hoo
Miya-ho
Miya-haha
[These are just sounds.]

と書かれている。ヌマ・ヌマ・イエイのところはきちんと英語(not take me みたいな)に置きかえられています。

  さて、この冒頭部分の英語は、音声体系が違う言語のあいだで、擬声・擬音的なコトバをどういうふうに近い音として移すか、ということにかかわるわけです、もちろん。そして、結局、並べてみてもモーリちゃんの父の頭からはなんのおもしろいことも出てこないのでした。まあ、1行目と3行目で hee と ho、こっちでhee、そっちでho、くらいしか。しかし、音に過ぎない(just sounds) という記述は、他のページでも見られるにもかかわらず、いや、そうではない、という説があることで、俄然当初の思惑とは別方向へ「調べ」は展開することになるのでした(←しゃれのつもり)。

  疲れたので続きます。

frog_next.gif

November 18 リンデンの木から、またはマイアヒー――メイポールを巡って (3) Doragostea din Tea, or Maiahii: About the Maypole (3)

 

作者:morichan

更新日:2008年11月18日 9時31分

このブログのホーム

November 17 〔私的メモ〕ねこにゃん――人間がネコになるとき

November 17, 2008 (Monday)

    以下、まったくの私的メモ。

  マクドナルドのじいさんの農場の歌〔「November 15 マクドナルドじいさんの農場の動物 Old MacDonald Had a Farm 王老先生有塊地」〕でなぜあのねのねが頭に浮かんでいたのかがわかった。

あのねのね 「ネコ・ニャンニャンニャン」(1979.2.25)  作詞:犀泪弾/作曲:鹿王院嵐山/編曲:国伸まこと 〔「あのねのね」- Wikipedia

    ほぼ前後して細川(下の名前が思い出せなかったが、ふみえ)さんが歌っていた歌も頭をめぐったが、それがわかった。

細川ふみえ 「にこにこにゃんにゃん」(1993年2月25日)  作詞・作曲:石野卓球 / 編曲:朝本浩文 〔「細川ふみえ」 - Wikipedia

  これは動画が見つかった。

「にこにこにゃんにゃん 細川ふみえ」 (1:45) 〔歌詞字幕付きだけど短い〕

「細川ふみえ- にこにこにゃんにゃん」 (3:54) 〔なぜか長いpv〕

  それから、ぜんぜん知らなかったのだけれど、2004年にデビューしたハレンチ☆パンチ(のち2007年3月に「80★PAN!」、2008年に4月に「80_pan」と改名)の4枚目のシングルに、次の曲があった。

ハレンチ☆パンチ 「ねこにゃんダンス (アニメ『ちょこっとSister』エンディングテーマ)」 (2006年4月19日)「80_pan」 - Wikipedia: 「ちょこッと」が正しいようですが〕 作詞:井出安軌 作曲:西田マサラ 編曲:鈴木Daichi秀行 〔「ちょこッとSister」 - Wikipedia により補足〕

  これは動画から見つけた。

「Harenchi Punch - Neko Nyan Dance PV - ハレンチ☆パンチ - ねこにゃんダンス PV」 (1:35)

    ウィキペディアの「ちょこッとSister」は、冒頭に「この記事には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。
これを解消するために独自研究は載せないを確認した上で、ある情報の根拠だけではなく解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してくださいテンプレート)。」という、ときどき見かける注意が付いている記事だが、「略称はちょこシス(またはちょこSis)。よく『ちょことSister』と誤表記されるが、正しくは『ちょことSister』。」とていねいに記してある。白泉社の『ヤングアニマル』(白泉社って少女マンガのイメジしかなかったけれど、これは青年漫画誌なのね)に2003年から07年まで連載の漫画で、2006年にはテレビアニメになったそうだ。記事内には「ねこにゃんダンス」という項目がある。――

原作

原作4巻より初出したダンスで、朝のニュース番組の1コーナーとして放送されており、子供たちの間では大人気となっているダンスとちょこが説明して いる。5人以上でダンスを踊ったビデオを放送局に送り、当選すれば小田原絵里子〔このキャラ、「オダエリ」は、朝のニュース番組で子供たちと一緒に「ねこにゃんダンス」を踊る新人アイドルだそうだ〕と共に踊ることが出来る。ちょこたちつばき荘の面々は落選したが、オダエリ がちょことプライベートで一緒に踊ってくれた。

アニメ

アニメでは14話より登場。19話にてちょこはオダエリと一緒にダンスをしたが、オダエリの衣装は原作と違い私服だった。またそれとは別に、アニメでは第1話より、ハレンチ☆パンチの「ねこにゃんダンス」がエンディングテーマとして使われている。〔以下略〕

  あなーるほど。 ちょこ というのは女の子の名前。推定練馬近辺のつばき荘というアパートで一人暮らしをしていた大学生の川越はるま(男の子)が、クリスマスの朝に、突然あらわれたサンタのお姉さんからクリスマスプレゼントに大きな袋を渡される。中を開けると女の子がでてくる。はるまが子供のころに、生まれてくるはずだった妹を流産で失なってしまい、そのときにサンタにお願いした妹だった。そして兄が自らちょこと名付けた、という設定らしい(ちょこはねーだろ、と思うが(わからないことがあるとすぐアンチョコを見るのでちょことはるまが名づけたそうな・・・・あんちょくw)。

  あと、ついでに「危険。英語学習者は、聞かない方がいいです。」と投稿者(オーストラリア在)のkoboronokovさんが書いている「恋のマヒアヒ ねこねこ空耳」というのも後学のために見聞してみた。――