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トップ > 資産設計 > 資産設計 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月2日 3時)
注意されてばかり…↓
今日は、記帳件数が、とても多かった。
そして、注意される回数も、多かった…。
私くらいの年次になると、まず、先輩自体、少ないので、後輩に囲まれて仕事していた。
教えてもらう、より、教えてあげる側。
頼られる側。
だから、1日で、こんなに、注意されるのは、かなり久しぶりであり、免疫が……なくなってた。
キツい言い方ではないけれど、後輩に注意されるのは、やっぱり、辛いな…。
屈辱的な…。
早く、覚えればいいんだろうけど、この会社に馴染んでいくのは、それはそれで、辛い。
営業店の仕事を忘れなければいけない、辛さ。
この15年間、培ってきた知識を、捨てなければいけない、悲しさ。
いったいどうして、こうなってしまったんだろう…。
明日が、怖い。
明日が、辛い。
明日は、前の会社の荷物を、全部、引き払ってくる日。
作者:mayu
更新日:2008年12月1日 17時54分
お前なんか、父親じゃない!
昨日は、病院ざんまいでした。
朝一番に、皮膚科。
次に、歯医者。
最後は、心療内科。
・・・皮膚科は、「低温火傷」
一昨日、会社の帰りに、歯医者に寄ったのです。
ここ最近、奥歯・・・親知らずが痛くて、痛くて・・・(o;ω;o)ウゥ・・・
とりあえず、抜くらしいのですが、その周りが炎症になっているらしく。
その治療をしてから、抜くとのこと・・・(>ω<、)
家に帰ってから、記憶がないのです。
どうやら、コートを着たまま、ヒーターの前で寝込んでいたらしく、母が、コートだけ脱がせて、布団に寝かせてくれていました。
なので、私は、気がついたら、洋服を着て、布団で寝ていた状態・・・( ̄□ ̄;)!!
そして、なぜか、足が痛い・・・。
タイツを脱いでみたら、足が広範囲に、真っ赤でした。
低温火傷でした。
私は、必死に、母を呼びましたが、部屋が離れているので、気づいてもらえず。
真隣の部屋にいる父は、起きているにもかかわらず、知らん顔。
エアコンのリモコンを押す音が聞こえていましたから・・・。
でも、火傷の場所が場所だけに、父を呼びたくなく、必死に母を呼ぶ私。
そして、ようやく、母が気づいて、来てくれました。
応急処置を必死で行い、氷が足りず、父に氷を近所のスーパーに買いに行かせました。
全く、気が利かないのです、父は。
こういう、非常事態や、いざという時。
情けない・・・。
「おまえなんか、父親じゃない!もう、帰ってくるな!」
私は、発狂していました。
先日の母のメニエール病の時も、何もしなかった父。
頭が働かない父。
ギャンブル好きで、酒のみで、働かない。
多数の消費者金融から、借金ばかりして、私の短大の入学金も、私は、アルバイトして、給料を父に渡していた。
てっきり、銀行に返済しているんだとばかり、思っていた。
でも、そのお金は、消費者金融の返済にあてられていた・・・。
銀行のローンは、延滞状態となっていて、信用保証協会へ代位弁済となった。
まだ、残高は、数百万円も残っている。
母、兄の名前も使われていたので、私以外全員の名前を使っていた。
ローンを組んだ銀行側にも、重大な責任があると思う。
でも、やっぱり、私は、どうしても、父が許せない。
ギャンブルばかりして、酒ばかり飲んで・・・仕事をしようとしなかった。
私も、小さい頃、父と遊んだ思い出は、パチンコ屋さんに行ったこと、競艇場に行ったことなど、ろくな思い出がない。
家族にいつも、お金を借りてばかりいた。
「金、貸してくれ」
「mayu、金、ないか? 貸してくれ。」
娘ながらに、情けなかった。
家族間の会話が、そんな内容なのだから。
父親が、娘に頭をさげて、お金を借りている光景・・・。
もう、10年以上、ろくに口をきいていなかったけど、私の鬱病をきっかけに、家族が一つになるんだって・・・
喜んでた・・・
でも、叫んでしまった。
「お前なんか、父親じゃない!」
・・・それは、先日も、お金を貸したから。
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作者:mayu
更新日:2008年11月30日 20時47分
もう・・・疲れた
昨日、労働基準監督署に、電話しました。
一昨日、弁護士に、電話しました。
そして・・・ 元の会社の総務部に、「内部告発する」という言葉を使いました。
・・・泣き寝入りするのか、あんな大会社相手に戦うのか・・・
ずっと、ずっと、考えてた。
私は、今、何をすれば、この真っ暗闇から、抜け出すことが出来るのか。
産業医の先生は、言った。
「弁護士に電話するには、まだ時間があるから。」
そう、今のこの状態で闘っても、負け試合。
始めから分かってる。
相手は、いくつもの犯罪を、隠してきたのだから・・・。
その手は、おてのもの。
きっと、私の命一つ、なくなったところで、あの会社が受けることは、業務停止命令くらいだろう・・・。
そして、私は、忘れ去られるんだ。
私は、もう、疲れた。
自分を大切にすることが、一番。
あんな、くだらない会社にしがみついて、闘って、疲れ切って、バカみたいな毎日を送るのは、アホだ。
私は、アホ会社に、身をささげる気は、さらさら、・・・ない。
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作者:mayu
更新日:2008年11月29日 23時39分
復職3日目・・・絶望の日。
朝は、起きる事は出来ました。
でも、会社に行くかどうか、迷いました。
私の気持ちの整理は、全くついておらず、仕事になるかどうか・・・。
とにかく、産業医の先生と保健士さんと話がしたかったのです。
「欠勤」になるのが、嫌だったので、とりあえず、行くだけ行きました。
時間を見計らって、9時すぎに、本部に電話しました。
産業医の先生に、今、つらいと感じていること、を話しました。
・・・でも、いともあっさりと、私の期待は、裏切られました。
「そちらの会社のことは、分からないから!今、ちょっと、忙しいんで、かけなおしてくれる?」
「はぁ???」という気持ちでした。
だって、あの、産業医の先生は、”うちの会社の産業医”なのですから。
頭が混乱しました。
その後、保健士さんに、再度電話しました。
「熱っぽいし、話したいこともあるので、今日、そちらに行ってもいいか?」と。
そして、早退しました。
事由は、「体調不良」
・・・本部での産業医面談は、1時間くらい行われました。
私と、保健士さんと、産業医。
何度も、何度も、何度も・・・沈黙の時間がおきました。
要は、『 出向した会社で、働き続けなさい。 』 というもの。
私は、どうしても、どうしても、納得ができない。
どうして、休職後、復職をしようとしたら、元いた支店が大変なことになっていて、
『 (欠員が4人も出ていて)殺伐とした、ぴりぴりとしたムードで、とても、復職出来るような状況じゃない。 』
と説明され、「それでも、今の支店に戻りたい?」
と訊かれ、
『 鬱が悪化する可能性が高い。 』
とまで言われたら、私の方も、「では、戻りたくありません。」
と答えたら・・・
・・・何で?と思うのは、普通ではないのでしょうか・・・。
しまいには、会社側の精神科医より、主治医の先生の出した、「再度、配置転換を検討願いたい」という、診療情報提供書に対して、
「あなた、この書類を人事部に出したら、確実に、「人事査定が下がりますよ」
と言われ、
主治医の先生が、診察状況のあまりの悪さから、休職の診断書を出そうとしたことに対して、
「あなた、ここで、休職をしたら、単なる だだっ子だよ!」
とまで言われたこと。
そして、出向がどうしても嫌ならば、
「辞めるしかないよね。」
・・・と、穿き捨てられたこと・・・。
納得がいかない。
精神科医?と疑いたくなる内容。
普通、精神科医が、「人事査定」の話を持ち出してくるのか・・・
「嫌なら、辞めるしかないよね。」と、鬱病患者の復職の面談で、普通、言うのか・・・
結局、1時間以上続いた、産業医面談も、何の結論も出ず、終わり。
その日、4時40分から、主治医の先生との診察があるので、その後、産業医の方に電話をして欲しいとのこと。
家に帰りついて、私は、眠ってしまっていた。
起きたのは、診察時間の10分前・・・。
あわてて支度をして、診療所へ。
診療所は、混みあっていたようで、なんとか、一番最後の患者として、診察してもらえました。
産業医は、5時30分までなら、会社にいるとのことなので、診察室の中から、電話してしまいました。
主治医の先生の目の前で。
そして、話の流れから、主治医の先生と産業医が電話で話すことに・・・。
でも、結局、何を話したか分からないけれど、主治医の先生も、「今の会社で働き続けなさい。」という言葉。
ケースワーカーさんも、一緒。
今の会社で、就業制限がとかれるまで、働くのは、私も全然、納得している。
問題は、そこの所長の、
「定年まで働いて、幹部になってほしい」
という要求。
その言葉で、私の未来は、真っ暗になったのだから。
もう、元の会社に戻れない・・・。
元の会社は、私を捨てたのだ・・・と。
誰一人、私の気持ちに同調してくれる人は、いない。
産業医も、保健士さんも、主治医の先生も、ケースワーカーさんも・・・。
結局、ひとごとなのか・・・
私は、今の会社で、働く。
それは、生活していくため。
夢や希望は、全くない。
商品知識、接客応対、資産運用・・・何もいらない。
会社の部品となり、部品として働く。
そう決めた。
絶望の日。
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作者:mayu
更新日:2008年11月28日 5時50分
復職2日目・・・精神科医に怒りをぶつけた日。
3連休明けの寒い朝でしたが、なんとか、起きることが出来、出社しました。
昨日は、少し、仕事を班長、副班長から、教えてもらいました。
班長は、年次でいえば、私より、4年下の人で、結婚している人です。
正直、話しているとき、「この人、キツイ人だな・・・」という印象を受けました。
副班長も、もちろん、年下の人で、私は、年下の人の下で、働くことになります。
朝、所長から、うちの班の打ち合わせをやりました。
私は、12月は、「職場に慣れること」
そして、序所に、今の班を覚え、(簡単なので、すぐに覚えられるだろう、とのこと)次に、別の部署を手伝いに行ってもらいたい、とのこと。
お昼、コーヒーとパンを、自動販売機で買いました。
食堂は、とても広いです。
私は、定食を食べないので、同じ時間に一緒にあがってくれる、次長の女性と一緒のテーブルで食べていません。
カフェとごはんを食べるところは、どうやら分かれているようです。
昼休憩の時、保健士さんか、産業医の先生に、どうしても、話を聴いてもらいたかったのですが、どちらも不在。
なんとか、就業制限の14時10分まで、踏ん張りました。
会社から出ると、速攻で、自宅の母に電話しました。
昨日は、メニエール病の母を耳鼻科に連れて行く日だったからです。
家にたどり着くと、まだ、布団の中に寝ている母。
思わず、キレてしまいました・・・。
私は、耳鼻科が終わったら、心療内科に行きたかったので、時間を急いでいたのです。
結局、母は、診察も受けず、薬の処方箋を受け取っただけ。
申し訳ないことをした・・・と反省です・・・(ノ_・。)
急いで、心療内科に向かいました。
いつもの診療所は、火曜日は、休診なので、過去に1度だけ行ったことのあるクリニックへ・・・。
でも、このクリニックでも、院長は不在。
「非常勤の先生ですが、よろしいですか?」 という受付の女性に、しかたなく、「はい。」と。
意外とすぐに、呼ばれました。
一人一人の診察時間が、3分くらいなのです・・・。
いざ、診察室に入って、驚きました。
白衣も着ないで、普段着、まるで、見た目、大学生???
机の上には、ヴィトンのバッグと、ペットボトル・・・。
もう、・・・見た目で、「ハズレだ・・・」と分かりました。
苦しい気持ちを、言いました。
会社を出向して、いつも通っている診療所が今日は、休診日であること。
家にいても、発狂してしまい、どうしていいか分からず、誰に頼っていいか分からず、一度来た事のある、このクリニックへ来た事。
話を聴いて、一言・・・
・・・その言葉に、私の中に溜まっていたストレス、いろいろなものが、爆発しました。
そこから先の会話は、ほぼ、喧嘩ごしでした。
「診察をしていただけない、ということですか?」
「そうは言ってません。」
「今、言いましたよね?! 出来ることはない、と。」
「最初に言っただけです。・・・で、何を困って、こちらに来られたのですか?」
「最初に言いましたよね?!」
「もう一度言ってもらえますか」
呆れながら、大声で、わざとゆっくりと、分かりやすく、言ってあげました。
・・・そうやって、始まった診察、結局、私の話した内容、何一つ、カルテに記入してませんでした。
「次回、院長に、今日と同じ内容を始めから話さなければ、いけないんですか?」
「そうですね。」
「カルテ、何も書いてなかったですもんね!」
「後で書きますけどね。」
「もう、いいですか?」
「ありがとうございました!」
そう言って、退出しました。
ほぼ、喧嘩ごしの診察。
「患者をなめるなよ!!」
・・・そう、言ってやりたかった。
最悪の精神科医でした。
家に帰って、倒れ込みました。
熱が、37.3℃ありました。
寝込みました・・・。
夕食は、もちろん、食べず。
出向してから、日に日に、体重が、嬉しいくらい、減っています。
・・・もう、誰を信じていいのか、分からない。
誰を頼ればいいのか、分からない。
誰か、私を、助けて欲しい・・・。
助けてください。
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作者:mayu
更新日:2008年11月26日 6時6分
学科・実技過去試験問題集:学科試験:ライフプランニングと資金計画 <三巡目> まで
★FP試験まで、あと
62日(11月23日)
★勉強時間
2時間05分
★勉強内容
学科・実技過去試験問題集
(資産設計提案業務)
ライフプランニングと資金計画
19年1月

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勉強の開始が、どうしても遅くなってしまう。
でも、だいぶ、風邪のだるさも治まったので、良かった。
昼間の眠気は、前の晩の睡眠不足が原因。
規則正しい生活を心がけねば・・・復職もしたのだし。
時間の使い方をもっと上手にならなければ、いけないとも思った。
時間のスケジュール管理を、始めたら、2時間の勉強が出来たので、今後も続けていきたいと思う。
あと、体調に十分気をつけること!
体調を壊せば、会社にも行けないし、勉強も出来なくなるので・・・。
作者:mayu
更新日:2008年11月24日 10時51分
「サキヨミ」を見て・・・。
今、8チャンネルの「サキヨミ」を見ています。
「実録 ”新・貧困世代”」
正社員に雇用してもらうのも、今の時代、大変らしく、日雇いが多いそう・・・。
正社員にやっとなって、激務で、「うつ」になり、休職になった人も紹介されている。
人事じゃないよ。
私も、同じ。
うつで、休職した・・・。
今の時代、正社員になるのは、大変なんだ・・・と実感・・・。
だとしたら、「出向」で、落ち込んでる私は、申し訳ないな。
みんな、人それぞれ、闘っている。
私も、闘うよ。
みんなのように・・・。
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作者:mayu
更新日:2008年11月23日 23時11分
久しぶりに、このカテゴリー使います・・・
ほんと、久しぶりにこの、カテゴリー使います・・・。
もう、本腰入れて、勉強せなあかんからね
風邪ひいてましたが、昨日1日中、安静状態・・・。
今日1日、安静状態・・・
で、かなり、回復
本当は、もっと、朝から、勉強したかったのに、今日は、昼寝してしまったし
さすがに、月からヶ月も経っていると、思い出すのが、一苦労だわ・・・。
というか、ほぼ、忘れてる
やばいよ、やばいよ
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作者:mayu
更新日:2008年11月23日 21時34分
3度目の復職、第1日目・・・
昨日から、私は、出向したグループ会社に、復職しました。
先月の27日に辞令を受け取り、一晩中、泣きつづけ、1週間、泣きつづけ・・・。
28日の産業医面談で、過呼吸を起こし・・・。
それほどまでに、ショックだった、「出向」
昨日の朝、ビルに入るまでは、気持ちの切り替えは出来ていたつもりでした。
総務の手続をとり、入館証を発行し、定期券の手続をとり・・・。
そして、私の配属される部署名が告げられました。
なんとなく、予想していた・・・部署でした。
そして、いざ、その部署の中に入ると、今まで、働いてきた・・・15年間、働いてきた職場とは、全く違う、会社でした。
本当に、いわゆる・・・「私服」で働いている普通の会社。
私は、15年間、制服を着て、仕事をしていたので、それが、不思議な場所に見えるのです・・・。
そして、その部署の所長から、この部署の説明が行われました。
総勢、156名。
男性OB 49人。
私と同じ立場、出向者、1人。女性、55歳。
グループ会社が直接採用した社員、40人。
パートさん、66人。
ほとんどの人が、仕事に精通している、という状態でないこと。
男性は、インプットが苦手である、ということ。
だから、私を待っていた、ということ・・・。
私は、一番、「暇な班」に、配属されました。
最初は、ここで、雰囲気に慣れてもらって、序所に、いろいろ、やってもらいたい、とのこと。
本当に・・・「暇な班」でした。
私の隣の席は、OBの男性が2人、いるのですが、ずっと、話しているだけ・・・。
仕事が・・・ないのです・・・。
どうやら、まだ、開設したばかりの班らしく、もうじき、システム改定で、今の3倍の仕事量になるそうです。
それまでは、「暇」らしいのです・・・。
なので、初日、ということもありましたが、本当に、昨日は、私は、仕事をしませんでした。
館内の場所を教えてもらったり、ロッカーの場所を決めてもらったり・・・。
そして、やがて、所長と面接がありました。
所長は、開口一番、
と、直球を投げてきました。
私は、思わず、「ハイ」と言いたかったのですが、さすがにそれは無理な話で・・・
と、話を濁しました。
そして、所長から、その日、一番ショックを受けた一言を言われました。
「あなたには、ここで、定年まで働いてもらって、将来、「幹部」になってもらいたいんだよね。」
昨日は、ちょうど、インフルエンザの予防接種が来ていたので、ついでに受けてしまおうと思ったら、熱を測り・・・
受けられず・・・。
それでも、何とか、就業制限の2時10分まで、働きました。
帰りは、意識が朦朧としていました。
「定年まで・・・」が、頭の中をぐるぐる・・・回転していました・・・。
そのまま、家に帰る気にもなれず、診療所のケースワーカーさんと、話したくて、電話しました。
何とか、一番最後の予約を入れてもらうことが出来ました。
その日のことは、ほとんど、話せませんでした。
もう、言葉が出てこないくらい、ショックが大きくて、ケースワーカーさんや、主治医の先生と話しても、ずっと、下を向いてました。
涙も出ませんでした。
結局、6時半まで、診療所にいて、ケースワーカーさんの車で、送ってもらいました。
これが、復帰、第1日目の出来事です・・・。
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作者:mayu
更新日:2008年11月22日 17時8分
これから、面接です!
いよいよ、産業医面談。
・・・もう、こんな時間になってしまいました・・・
昨日は、産業医面談に本部へ、行ってきました。
これで、復職できるかどうか、決まります。
今、ちょうど、インフルエンザの予防接種の期間らしく、とても混みあっていました。
保健士さんに、診断書を渡し、いよいよ、面談がスタートしました。
まず、産業医の先生より、「27、28日と比べて、どうですか?気持ちは?」という言葉から始まりました。
27、28日・・・といえば、「出向」の辞令が出て、出向先の会社での面接を受け、ショックを受けた日。
それについては、リハビリ通勤で、毎日、出向先の会社の本社へ通っていたので、大丈夫です、と答えました。
ただ、出向先より、年末調整の書類が送られてきた時、「鬱になった」と言ったところ、先生は、それは、「鬱になったのではなく、一時的な、あなたの感情の落ち込みでしょう?」と。
・・・でも、確かに、鬱状態になり、私は、あの時、寝込みました・・・
そして、とにかく、産業医の先生から、念を押して言われた事・・・
それは、「会社だって、慈善事業でやっているわけじゃないんだから、人から注意されたり、ささいな言葉に敏感に反応しないこと!」でした。
確かに、私は、人の顔色をうかがったり、言葉に弱いのです。
しかも、復職したばかりの、今のこの状況で、キツイ言葉を浴びせられたら・・・
本当に、とにかく、念入りに言われました
次に、精神科医の先生のセカンドオピニオンがありましたが、あっという間に、終わりました・・・
「復職できそうですか?」
「睡眠はとれていますか?」
・・・で、終わりでした
復職は、可となりました。
そして、「いつから行ける?」の質問に、「明日から、いいですよ。」ということで、今日から、復職です
ついでに、インフルエンザの予防接種もしていこうか?となったのですが、体温を測ったら、37.3℃でした
私、熱があったみたいです・・・
しかたなく、延期しました。
そして、今日の復職のため、有楽町で、服やら、靴やら、ジャケットやら・・・揃えました。
一応、正装していった方がいい、と言われたので・・・。
初日ですし。
こないだの、28日の面接は、結構、ラフな格好で行ってしまいました
今月は、出費が多いです(x_x;)
さ、いよいよ、今日の8時40分から、復職です
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作者:mayu
更新日:2008年11月21日 2時39分
学科・実技過去試験問題集:相続・事業承継(H19.1月) <三巡目> まで
★FP試験まで、あと
66日(11月19日)
★勉強時間
1時間05分
★勉強内容
学科・実技過去試験問題集
(資産設計提案業務)
相続・事業承継(H19.1月)まで

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診療所・区役所、から帰ってきても、なかなか、勉強する気になれなかった。
勉強をしよう、と思っていたら、寝てしまった。
その日1日の目標を、最低限、設定しようと思う。
そうすれば、モチベーションも上がると思う。
でも、まず、とにかく、復職が先。 ・・・第一。
作者:mayu
更新日:2008年11月20日 2時9分
復職前の診察日
昨日は、先日の予約から、ずらしてもらった日です。
母の容態も、薬のおかげで、かなり安定しており、朝食も、自分でおかゆを作って食べていました。
おかげで、私は、安心して、診察に行くことが出来ました。
いつもの予約時間は、たいてい16時頃なのですが、昨日は、午前11時からの予約でした。
・・・というのも、自立支援の継続の手続を、区役所まで行かなければならず、先生の診断書を持っていく必要があるので、早めがいいでしょう、ということで、午前になっていました。
昨日は、また、いつものように、受付にがいましたが、私は、以前の自分と変わろう!と決意しました。
いつも、挨拶をしてくれない、笑顔を知らない、何度も泣かされたに、私は、挨拶をすることが出来ませんでした。
でも、昨日は、診療所の扉を開けて、「こんにちは!」と、言いました。
二人並んでいる、もう1人の方の人が挨拶してくれましたが、私は、満足です。
勇気を出して、に挨拶をしたのですから!!
私より前に、2人くらい診察があって、私が呼ばれました。
先生には、事前に、復職の診断書が必要なこと、就業制限は、午後を削りたい旨、を電話で伝えておいたので、比較的、スムーズに診察は進んだと思います。
母のメニエール病の件も、話しました。
先生は、聴いてるのか、聴いてないのか・・・???
よく、あるんです・・・(^-^; 話、スルーされること・・・。
私が、リハビリ通勤をしていたことを伝えると、「すごいねー!」と誉めてくれました。
手帳に、起床時間、家を出た時間、就寝時間、特記事項を毎日書いていたのを見せて、説明しました。
どうしても、どうしても、復職したい一心で、やっていたことです。
おかげで、無事に、復職可の診断書をGET!!しました
そして、自立支援の診断書も、いただきました。
薬は、多めに、30日分、処方してもらいました。
そして、診療所の近くのバスターミナルから、区役所に行くバスを教えてもらいました。
先生は、しょっちゅう、区役所に行ってらっしゃるので、詳しいのです。
最後に、一つ、先生に訊きたいことがありました。
それは、「精神障害者手帳」のことです。
申請を出すのは、自由だそうです。
でも、その申請が通るのは、なかなか、難しいそうです。
例えば、精神病院に入院していた患者さんとか、退院してきた時、1人で物事をすることが、困難な場合、等級で判断されるそうなのですが、審査会が、結構、厳しいそうです。
もちろん、市町村によって、違うそうですが・・・。
昨日は、ケースワーカーさんは、他の患者さんと、既に面談中だったので、そのまま、区役所に向かいました。
診断書、2通出たので、6,000円の出費は、正直、痛かったです・・・。
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作者:mayu
更新日:2008年11月20日 1時39分
学科・実技過去試験問題集:相続・事業承継(H19.1月) <三巡目> まで
★FP試験まで、あと
67日(11月18日)
★勉強時間
0時間19分
★勉強内容
学科・実技過去試験問題集
(資産設計提案業務)
相続・事業承継(H19.1月)まで

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16、17日、が勉強出来なかったが、母の看病などがあったので、しかたないと思う。
時間はあっても、日中、寝てしまった。 疲れてしまったのだと思う。
昨日は、湯船につかりながらも、参考書の問題に取り組んだ。
お風呂あがりに、少しでもいいから・・・と勉強できた。
本当に、まとまった時間が取りづらいので、スキマ時間を有効に活用していきたい。
作者:mayu
更新日:2008年11月19日 15時24分
今度は、私が倒れる。
昨日は、9時過ぎに、父が、果物をいっぱいさげて、帰って来ました。
でも、誰も、手をつけず・・・。
私も、父には、接したくない・・・、以前、抱いていた、『 憎しみ 』 が、また湧き上がってきた気分でした。
「おにぎり買ってきたけど、食べるか?」
母と私は、顔を見合わせて、呆れるばかり・・・。
「さっき、”おかゆ” 食べさせたから。」
結局、父は、自分で食べたようです。
私は、洗濯物をたたんだりしていました。
そして、ブログを書いていました。
さっきまで、考え込んでいたことが、頭の中をぐるぐるし始めました。
母は、難病のメニエール病、メニエール病・・・
私は、うつ病、うつ病、うつ病・・・
来週から、復職、復職、復職・・・
産業医面談、産業医面談、産業医面談・・・
私がしっかりしなきゃ、しっかりしなきゃ、頼りになる人はいない、いない、いない、いない・・・
鬱に落ちました・・・
部屋から、出ようとした瞬間、倒れました。
呼吸が荒くなってました。
「過呼吸になる!」
急いで、叫びました。「紙袋!ビニール袋!袋、袋!」
ビニール袋を口につけて、しばらく、荒い呼吸が続きました。
でも、これじゃ、過呼吸になる・・・
ゆっくり、ゆっくり、呼吸を戻す努力をしました。
・・・そして、過呼吸は、なんとか治まりました。
母には、抗不安薬を飲まされました。
父は、私の方についていてくれましたが、私は、母の方についていてあげるよう、言いました。
なぜなら、母は、自分のせいだと、動揺して、泣き出してしまったからです。
私は、泣いている母に、「自分の部屋で安静にして、寝て!」と言いました。
父は、母の方に行ったり、私の方に行ったり・・・。
私は、そのまま、眠ってしまいました。
今日、起きたら、おばあちゃんの写真を手に持ってました。
もう、鬱は、大丈夫です。
今日の朝も、父は、6時頃、出て行こうとし、母は、「今日は、家にいてくれないの?私は、mayuの方、診てあげられないんだよ?!」と、泣きそうな声で、言い、私は、もう大丈夫だったので、父に、そのまま、仕事に行ってもらいました。
もう、頼らない。
私が、母を、守ってみせる。
誰も、頼りにならないのは、わかったから・・・
私ひとりで、守ってみせる。
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作者:mayu
更新日:2008年11月18日 16時37分
メニエール病の母。
昨日は、朝から、母は、落ち着いていました。
ただ、耳鳴りが少しする、ということだったので、昼に、一昨日行った、耳鼻科の先生からいただいた紹介状と、処方箋を持って、近所の耳鼻咽喉科に行きました。
とても、驚いたのですが、その先生(一昨日、行った耳鼻科の先生)は、近所の耳鼻科の先生の、先輩だそうだったのです。
それで、今度からは、近所の耳鼻科に通ってください、とのことで、とても助かりました。
12時までの受付に、ぎりぎり、間に合いました。
私は、昨日は、本当は、心療内科の診察日でしたが、診察日を変更してもらいました。
そして、本部の保健士さんにも電話し、産業医面談の日程を決めました。
復職可能なら、20日が、面談日。
また、セカンドオピニオンの精神科医の先生との面談、そして、産業医の先生との面談です。
就業制限も、今まで、午前を削っていたのですが、今度の復職は、朝は定時に出て、後ろを削る方法をとりたい、と伝えました。
保健士さんも、別に問題ない、とのこと。
一応、診療所のケースワーカーさんにも、そのことを主治医の先生に伝えておいて欲しい旨、言いました。
近所の耳鼻科でも、一昨日と同じ、聴力検査、など、検査をやりました。
わざと、めまいを起こす動作をさせて、瞳孔の動きを見る検査もやったので、案の定・・・というか、当たり前なのですが、また、眩暈が起こり、母は、ベッドで横になり、その間に、私は処方箋をもらい、近くの薬局で、薬を受け取りに行きました。
耳鼻科に戻ると、母の具合も、だいぶよくなっていたので、帰りました。
薬は、眩暈止め、など4種類の錠剤と、眩暈止めの飲み薬。
この、飲み薬は、かなり、独特の味・・・つまり、マズイ・・・らしく、りんごジュースに混ぜて飲ませても、辛いそうです。
薬を飲んだ後、かえって、気分が悪くなる、と言っていました。
でも、とにかく、一昨日とは、雲泥の差。
夜には、テレビを見て、笑っていましたし・・・。
とりあえず、ほっとしました。
ただ、昨日は、朝、人悶着ありました。
父が、いつもより早く、家を出ようとした時のことです。
いつもなら、7時すぎに家を出る父が、昨日に限って、6時前に家を出ようとしたのです。
母は、自分の具合が悪いのに、何で、今日に限って、早く家を出るのか!と怒り・・・父は、仕事があるから!と。
私が、「今日は、早く帰ってきて」と言っても、父は、「9時くらいまで、かかるぞ。」と・・・。
それに、兄が夕方まで、家にいるから・・・ということで、とりあえず、父には、そのまま、仕事に行ってもらいました。
でも、兄は、タバコを吸って、ビールを飲んで、寝転がって、テレビを見ているだけ。
何もしてくれません。
途中、ジュース等を、買いに行ってくれましたが、もう、「やることがない」と、帰ってしまいました。
そして、私と母の二人になりました。
具合の悪い母と、復職前のうつ病の私を残して・・・。
私は、昨日、夕飯の後、考え込んでしまいました。
父と母の老後は、面倒は、私1人に任されるに違いない・・・。
兄は、何もしない・・・いや、出来ない人間です。
きっと、「おまえに任せる」と、私1人に、全て、押し付けるのだろう・・・。
母が、もしも、認知症にでもなったら、父も、兄も、頼りにならない・・・。
昨日のことで、身にしみた私でした・・・
それからです。
今度は、私が、倒れたのは・・・
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作者:mayu
更新日:2008年11月18日 13時41分
母、倒れる その2
つづきです・・・
私は、薬局からクリニックに戻って、点滴をうっている母の元に戻り、受け取ってきた薬、吐き気どめ、めまいどめ、胃薬、風邪薬を、母に飲ませました。
やがて、点滴も全てなくなり、薬も効いてきた頃・・・というのに、母の容態は、一向に回復しませんでした。
眩暈、吐き気が治まらず。
そして、しばらく、ベッドで休ませてもらっていました。
先生は、「早めに判断して、家に帰った方がいい。ここに、いつまでも、いても、しょうがないから・・・。」と。
そして、「クリニックの処置室を閉める時間なので、とりあえず、待合室へ、出てください。」と、半ば、強引にベッドから、起き上がらされました。
母は、立ち上がった途端、倒れました。
車椅子が用意され、無理矢理、待合室へ、出されました。
目の前で、倒れた患者を、” 待合室 ” へ、強引に出すのです。
母は、待合室のソファーで、寝込みました。
一向に、吐き気、眩暈は、治まってくれませんでした。
苦しがる母・・・。
そして、しまいには、「クリニックを閉めるので、待合室からも、出て欲しい。」と言われてしまいました。
母は、嘔吐しているというのに・・・。
私は、先生に、「この状態で、家に連れ帰るのは、無理です!この状態を、とにかく、治すにはどうしたらいいんですか!!」と、ほとんど、怒りに近い状態で、言い寄りました。
クリニックの先生と看護士さんは、耳鼻科で、救急で、入院施設のついている病院を探してくれましたが、今いるクリニックから、かなり離れています。
「では、入院施設は、ついてなくてもいいので、とにかく、その病院に、”救急車で搬送して欲しい”」と伝え、クリニック側も、そのやり取りをしてくれました。
私は、その間に父に電話しに行きました。
この緊急事態に、朝から、電話に出てくれない父。
例え、昼ご飯を、外に食べに行っているとはいえ、1~2時間も工場にいないなんて、私は、腹立たしくて・・・。
救急車が、クリニックに到着する頃、ようやく、連絡がとれ、今の状態を伝えました。
父の答えは、「大変だろうけど、mayuちゃん、がんばってくれ。」という言葉。
救急隊の人に、救急車に乗り込む前に言われました。
「始めに言っておきますが、この耳鼻科、僕達、場所、よく分かってませんから。何か、個人で経営されている耳鼻科みたいなんですよね。」
そして、救急車に、母と乗り込みました。
あまりの荷物の多さに、(クリニックから、頭のCTのレントゲン写真、紹介状も持たされた)救急隊の人が、「持ちますよ」と、長い傘2本と、レントゲン写真を持ってくれました。
でも、なかなか、出発しない・・・。
どうやら、病院名が変わっていたらしく、電話番号が分からない・・・とか。
そして、しばらくして、出発しました。
当初、10分で着くでしょう、とのことでしたが、20分かかりました。
サイレン鳴らして、赤信号全部無視して・・・。
車内での、母は、横になっている姿は、クリニックにいるときよりは、落ち着いていました。
やがて、耳鼻科に着きましたが、なんと、ビルの3階。
エレベーターも、救急車の搬送車が入るスペースも入らない狭さ。
救急車に備え付けてある、組み立て型の車椅子のようなものに、母は移されました。
救急隊と母は、エレベーターで3階へ。
私は、荷物を全部持って、3階まで、階段で駆け上がりました。
本当に、個人で開業している耳鼻科でした。
母は、診察室の椅子に移され、私は、レントゲン写真と、紹介状を渡しました。
その後、聴力検査となり、よろよろと、その検査室へ、移動させられてました。
母、曰く、この聴力検査が一番、つらかったそうです。
救急隊の人は、先生にサインをもらって、帰っていかれました。
先生のサインをずっと待っていたようです。
私は、深くお辞儀し、お礼しました。「ありがとうございました。」と。
私は、外の待合室で待っていて、ということなので、その間に、父に、救急車で搬送された耳鼻科の名前、場所、電話番号を連絡しました。
待合室は、携帯電話使用禁止の張り紙が。
私の携帯の番号を、父に教え、夕方5時に再度、私に電話してくれるとのこと。
診察室に入ると、母は、眩暈止めの点滴を、また、打つことになりました。その日、” 2回目 ” です。
その間、私は、待合室で待つことに。
母の病名が、先生から告げられました。
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%97%85
・・・原因不明の難病・・・特定疾患、だそうです・・・
5時になり、父に電話しました。
兄が、車で向かっているんだけれど、渋滞にはまっていて、到着するのは、7~8時になるということでした。
「もう、いいよ!私たちで帰るよ!!」
父は、頭が働かないのか???
何も、遠く離れた兄の車で向かわなくても、自分ひとりでこちらに、タクシーで来れないのか?!
頭に血が上ってしまいました。
そこの病院は、5時で閉まるのです。
また、待合室のソファーで、横になる母。
病院の受付、看護士さん達は、帰っていきました。
先生も私服に着替え始め、診察室の電気も消され、待合室の電気も、薄暗い状況・・・。
でも、母は、起き上がれそうにありません。
起き上がると、眩暈がまだ起きる、というのです。
そこで、また、しばらく、先生のご好意に甘えさせてもらって、ソファーで寝かせてもらっていました。
そして、もう、いい加減・・・というところで、「帰ろうか?立てる?」と私から、母に声をかけ、なんとか、なんとか、母を起き上がらせました。
でも、母は、具合がかなり悪そう・・・。
タクシーで、へたに帰ると、嘔吐してしまうかもしれないので、電車で、ゆっくり、ゆっくり、帰ることにしました。
本当に、一歩ずつ、一歩ずつ、歩いていきました。
電車は、前の席の女性が譲ってくれました。
母の話では、電車に乗っているとき、かなり、辛かったそうです。
でも、「あと、1駅。あと、1駅・・・」と、我慢したとか・・・。
帰りがけ、スーパーに寄っていると、家に既に到着していた父から電話が入りました。
「スーパーの外に、母を座らせているから、迎えに来て!」と言い、父が母の元にやってきました。
・・・そして、やっと、家に辿り着きました・・・
母を、早く布団に寝かせ、私は薬やら、何やらの整理、片付け・・・。
そして、兄が帰ってきました。
それからです。
父は、夕食を買ってくるといって、出かけていき、「生ものの、チラシ寿司」を、全員分、買って来ました。
もちろん、母の分もです・・・。
1日中、嘔吐して、倒れ込んでいる人に、いくらの入った、生物のチラシ寿司を買ってくる、父の神経を疑いました。
そして、父と兄は、それを食べながら、タバコを吸い、ビールを飲み、隣の部屋で、宴会を始めました・・・。
結局、何もしてないのです
私の隣の部屋なので、タバコ臭いし、ビール臭いし、うるさいし・・・
母のことは、どうでもいいのかという感じで。
とにかく、へろへろの1日で、私は、朝から、何も食べず、薬も1錠も飲まず。
あわてて、薬は飲みました。
・・・長い、長い、1日でした・・・
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作者:mayu
更新日:2008年11月18日 12時27分
母、倒れる。
今朝、母が、吐き気、めまいで苦しんでいました…。
夜中から、吐き気が治まらなかったようで、一人、苦しんでいたそうです。
汚い話で、すみませんm(_ _)m
朝は、ずっと、トイレで、………。
なんとか、タクシー乗り場まで、走っていき、途中で、母を乗せて、救急病院に連れてきました。
待合室で、辛い(x_x;) ということなので、処置室へ…。
めまい用の薬を点滴で受けた後、頭痛が心配なので、CTをとってもらうことに…。
当初、母は、検査を嫌がったのですが、「MRIとは違うので、5分程度で、終わりますよ」と、先生に言われ、納得して検査しました。
不安がっていましたが、検査が終わって、ホッとした様子…。
車椅子の揺れで、気持ち悪さが、ぶり返したようで、まだ、点滴が終わっても、「帰りたくない」と言っています。
先生のご診断では、「耳なりが、以前からしていたので、「耳」から、"めまい"がきてる可能性があるので、早めに、耳鼻科に行って下さい」とのことでした。
今日は、さすがに、病院のハシゴは、"無理だろう"ということで、1時間くらいベッドで、休んでから、先生に、また、様子を診てもらうことにしました。
私は、その間に、処方箋をもらい、今、薬局で、薬待ちです。
今日は、休日だから、時間が、かかっているみたいで、まだ呼ばれません。
今日は、吐き気止め、めまい止め、胃薬、風邪薬が、出るようです。
明日は、心配なので、リハビリ通勤、診察は、やめようと思います。
母に付き添って、耳鼻科に行くかもしれません。
脳は、特に問題ないということなので、よかったです。
作者:mayu
更新日:2008年11月16日 12時43分
学科・実技過去試験問題集:不動産(H19.1月) <三巡目> まで
★FP試験まで、あと
70日(11月15日)
★勉強時間
0時間23分
★勉強内容
学科・実技過去試験問題集
(資産設計提案業務)
不動産(H19.1月)まで

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一昨日から、「鬱」に落ちてしまい、昨日は、何もする気がしなかった。
布団から、起き上がることも・・・。
外出も出来ず、ブログのUPだけは出来た。
「鬱」の時こそ、無理な気持ちを起こさないように、気をつけたいと思っている。
それが、悪化の元になるから・・・。
まだ、勉強を復活してから、1週間なので、「勘」が取り戻せていないし、第一、肝心の「復職」が、正式発表されない、不安定な心境なので、勉強にも、身が入らない。
復職が、とりあえず、一段落する来月始めくらいまでは、いきなり勉強を頑張りすぎず、段々と、モチベーションのアップ、勉強時間のアップをはかっていきたい。
作者:mayu
更新日:2008年11月16日 1時18分
久しぶりに、「鬱」 に落ちた・・・
昨日は、家に帰ってくるまでは、大丈夫だったんです。
いつも通り、リハビリ通勤をし、しかも、 「無印良品週間」初日 ということで、はりきって、買い物して回って、重たい荷物を持ちながら、家に帰ってきたんです。
そうしたら、今度の新しい会社・・・つまり、「出向先の会社」から、封筒が届いていました。
中には、年末調整に必要な書類一式が入っていました。
記入して、返送して欲しいという内容のもの。
そこで・・・また・・・実感してしまったんです。
部店名・店番号・電話番号 など記入したくても、まだ、人事部から着任先を聞いてないから、書けない・・・。
しかたなく、出向先の会社に電話し、記入方法を訊きました。
書類には、「出向者用」という文字が所々、印刷されており、私を苦しめました。
毎日、リハビリ通勤を、「出向先の会社の本社」前まで、している私。
もう、心も体も、大丈夫だとばかり、思っていたのに、あの、一通の封筒で、簡単に、鬱に、落ちました・・・。
今日は、天気もよくなく、起きることも出来ず、何も出来ず・・・。
負けたくない。
負けたくないよ・・・
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作者:mayu
更新日:2008年11月15日 21時38分
