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『ひらめきの導火線 トヨタとノーベル賞』 茂木健一郎 PHP新書
最近テレビで頻繁に見かける脳科学者さんの著書。「発想方法」 とか 「ひらめき」 というテーマに特化したありふれた内容なのだろうと思ったら違っていた。その程度の偏狭なものではなかった。秀でた日本文化論である。
【偶然幸運に出会う能力:セレンディピティ】
偶然の出来事自体は、コントロールすることはできない。しかし、偶然の出会いを活かすように心がけることはできる。セレンディピティは、きたえることのできる能力なのである。
まずは、行動を起こすことが肝心である。ただ待っているだけでは幸運は訪れない。できない言い訳をならべる暇があるのなら、ともかくやってみる。そして、一見些細に思えるような出来事でもよく観察し、なにが起こっているのかを認識して、理解し、受容することが大切である。 (p.20)
要約するならば、「やる、観察、認識、理解、受容という一連の意識覚醒状態を保っていれば、幸運に出会うことができる」 ということであろう。守株の忍耐では、セレンディピティなど鍛えようもない。まずは、行動を起こすことが肝心である。ただ待っているだけでは幸運は訪れない。できない言い訳をならべる暇があるのなら、ともかくやってみる。そして、一見些細に思えるような出来事でもよく観察し、なにが起こっているのかを認識して、理解し、受容することが大切である。 (p.20)
【「ひらめきは個人に宿る」 は 「フィクション」 である】
『カイゼン(改善)』 とは、既に経営の世界で標準用語となっているトヨタの生産方式の中の一つである。
「ひらめきは個人に宿る」 という 「フィクション」 のメガネをかけてしまうと 「天才科学者ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが二重螺旋構造を見抜いた」 ということになるが、それは必ずしも事実を言い当ててはいない。
たしかにたぐいまれな才能を備えている人は存在するが、その人をその人たらしめた周囲の知恵や、先人の研究の積み重ねといった恩恵を見落としてはいけない。個人がすべてを発想するというのは 「神話」 であり、21世紀を持続可能な時代にはしないだろう。
「日本人は欧米人が創造したものを改良するのは得意だけれど、自ら創造するのは苦手である」 という俗説も同様だ。「欧米人の創造」なるものも、先人の智恵、そのまた先人の発明・・・・という果てしないリンクの中の通過点に過ぎない。 (p.42)
「独創的な研究者のみが手にするノーベル賞」 という思い込みを排して、「創造性は、個人に宿るのではなく、先人から現代にまで連なる智恵の連鎖の中に萌芽する」 と明確に認識すべきなのである。そうすれば、「日本人には創造性が欠けている」 というマイナスの思い込みが、逆に、「日本人の智恵を連鎖による、弛まざる 『カイゼン』 に結実している」 のであり、「それはノーベル賞の受賞者の創造性と根源を同じくするものである」 という結論を導く。たしかにたぐいまれな才能を備えている人は存在するが、その人をその人たらしめた周囲の知恵や、先人の研究の積み重ねといった恩恵を見落としてはいけない。個人がすべてを発想するというのは 「神話」 であり、21世紀を持続可能な時代にはしないだろう。
「日本人は欧米人が創造したものを改良するのは得意だけれど、自ら創造するのは苦手である」 という俗説も同様だ。「欧米人の創造」なるものも、先人の智恵、そのまた先人の発明・・・・という果てしないリンクの中の通過点に過ぎない。 (p.42)
『カイゼン(改善)』 とは、既に経営の世界で標準用語となっているトヨタの生産方式の中の一つである。
トヨタでは 「創造性は、誰もが持つものだ。一部の天才やエリートのものではない」 と当たり前のように考えられていて実践されていた。 (p.76)
【「お互いさま」で進歩する】
また、個の才能を突出させた傲慢な集団よりは、個の才能を突出させぬ謙虚な集団の方が、全体最適を導きやすいのも必然である。日本人本来のやり方は、本質的な理にかなっているのである。
トヨタ生産方式は、世界のものづくりを変えたと言われるほど画期的だ。その生みの親といわれるトヨタ自動車工業の大野耐一氏は、自分のオリジナルだとは一言もいっていない。トヨタグループの始祖である豊田佐吉の 「自動化」 や、喜一郎氏の 「ジャスト・イン・タイム」 をベースにしたと明言している。またフォードの流れ作業と、科学的管理法の父フレデリック・テイラーの手法がヒントになったとも語っている。
この「みなさんのおかげです」 という謙虚さこそが、日本の伝統であり、創造の基礎となるものだ。これがヨーロッパやアメリカだったら、「タイイチ・オーノ」 という天才がいて、たった一人でゼロからトヨタ生産方式を独創的につくりあげたという 「フィクション」 になるかもしれない。 (p.49)
あらゆる創造は「影響の連鎖」の中にある。だからこそ日本人は、「お互いさま」 とか 「おかげさまで・・・」 と謙虚に表現してきたのである。 “日本人の謙虚さ” は、「影響が連鎖する(因縁の)世界」 を冴えた眼差しで見極め切った結果の必然なのであろう。未熟な眼差しで世界を認知した結果の必然が “傲慢” なのである。智恵と呼ぶに相応しいのがいずれかは問うまでもない。この「みなさんのおかげです」 という謙虚さこそが、日本の伝統であり、創造の基礎となるものだ。これがヨーロッパやアメリカだったら、「タイイチ・オーノ」 という天才がいて、たった一人でゼロからトヨタ生産方式を独創的につくりあげたという 「フィクション」 になるかもしれない。 (p.49)
また、個の才能を突出させた傲慢な集団よりは、個の才能を突出させぬ謙虚な集団の方が、全体最適を導きやすいのも必然である。日本人本来のやり方は、本質的な理にかなっているのである。
【考え続けることで脳は成長する】
トヨタでは、常時、カイゼン(改善)の提案制度を取り入れている。
脳はオーバーヒートしない。脳はハマれば疲れないのである。脳には使いすぎを警報する装置はなく、逆に負荷のかかった状態で使い続ければドーパミン分泌機能が働いて快をもよおすようにできている。使いすぎを憂える必要は全くないのである。
トヨタでは、常時、カイゼン(改善)の提案制度を取り入れている。
このように、絶えずやること、続けることは重要である。年に一度、「さあ、アイデアコンテストをやりましょう」 「今月は改善月間です。提案を出してください」 というやり方では、脳の回路は強化されにくい。「毎日やる」 という習慣化、日常化が、創造性を自分のものとする最善の方法だ。 (p.60)
独楽が高速に回転している時、天地を貫く軸は安定し揺らぐことはない。回転力が衰えると僅かな外力であってさえよろめきを引き起こす。頭(脳)の使い方は、独楽の回転に比定することができると思っている。アイデアも同じなのであろう。頭(脳)を使ってないと遊惰安逸に流れアイデアも枯渇する。脳はオーバーヒートしない。脳はハマれば疲れないのである。脳には使いすぎを警報する装置はなく、逆に負荷のかかった状態で使い続ければドーパミン分泌機能が働いて快をもよおすようにできている。使いすぎを憂える必要は全くないのである。
【ソニーとトヨタ】
両社にはほかにも 「こだわり」 「創意工夫」 「みんなでアイデアを出し合う」 といった共通項がいくつもある。同じことをソニーは 「ソフト、エレガント、クール(格好よく)」 でやり、トヨタは 「厳しく、まじめに、思いやりの心」 でやっている。この両社にかぎらず、なにかを成し遂げた企業や人には、共通する要因があるということだ。
脳の学習はオープンエンドである。終わりがない。それは日本人の心性そのものなのかもしれない。 (p.142)
日本人の 「道」 と見たがる心性、それはまさに 「終わりなき “道” 」 である。脳の学習はオープンエンドである。終わりがない。それは日本人の心性そのものなのかもしれない。 (p.142)
【ひらめきの変容】
ひらめきの量を意識的に積み重ねることで、ひらめきの質自体も高められるということになる。量が質に転化するのだ。さらに、個々人がひらめきのロングテールを拾い続けることによって、集団としての創造の回路も太くなる。 (p.64)
「集団としての創造の回路も太くなる」 という記述の実例が、初期のソニー研究者集団に当て嵌まっていたらしい。ソニーの開発責任者である天外伺朗さんが、ご自身の著書の中で書いていた。ひらめき集団の中に属すると、個人のひらめきも活性化するのである。
【総合のフィールドで】
しかし、これも日本人の特性に起因しているのであろう。大局的な視野でとらえてオーガナイズする欧米的な発想方法と、こじんまり整理整頓してしまう日本人の発想方法の違いである。
大枠で見ても、いわゆる文系は日本語の空間で閉じているし、理系は総合的な視点に乏しい。領域を超えた横断的な見地で、知の全体像をわかりやすく伝えられる人が日本人には少ない。(p.89)
「古代ギリシャにおいて専門という概念は意味を持たなかった」 とは、私の好きなニーチェの言葉である。縦横無尽な知の応酬の中で、本当の知性は築かれてゆく。世界はすでに総合科学、総合学問の時代に入っているのに、日本はまだそこにいたってはいない。 (p.90)
そういえば、政治・経済・社会・世界史・産業史・思想・宗教など全てを含んだ A・トフラーの著作 『第三の波』 に匹敵するような日本人の手による著作を読んだ記憶はない。「古代ギリシャにおいて専門という概念は意味を持たなかった」 とは、私の好きなニーチェの言葉である。縦横無尽な知の応酬の中で、本当の知性は築かれてゆく。世界はすでに総合科学、総合学問の時代に入っているのに、日本はまだそこにいたってはいない。 (p.90)
しかし、これも日本人の特性に起因しているのであろう。大局的な視野でとらえてオーガナイズする欧米的な発想方法と、こじんまり整理整頓してしまう日本人の発想方法の違いである。
【今の日本人に必要なこと】
日本人自身が日本の対外的な評価見積をやけに低くしている。著者が書いている通り、一般的には確かにそう言えるのだろう。神道に触れる以前の私も、確かに日本を誇れる根拠を持っていなかった。
しかし今の私は、―― 著者の言を借りるならば ―― 神道こそが、まさにあらゆる文物を日本文化の中に溶かし込んできた媒質たる 「真水」 に相当するのではないかと考えている。神道的な考え方を受容している人々は、文化ビックバンこそ、我がフィールドにおいて行われるに相応しきこと、と思えるはずである。
神道的という言葉を用いずとも良い。日本文化という言葉で十分ことたりる。著者がこの本に記述している、トヨタとノーベル賞を結ぶ考え方それ自体が、日本文化という真水に映る映像の見事な解読になっている。
この本は、トヨタを例にした、その嚆矢である。 <了>
インターネットは、国境や組織の違いを超えて 「文化をつくる」 という、いわば 「真水(まみず)」 の部分に集中することができるインフラを提供した。この 「文化ビックバン」 に、日本人のメンタリティは対応できていない。 (p.167)
著者は、本の終盤近くになって、このような問題提起をしている。その上で、「遷宮」 や 「もののあわれ」 といった日本独特な用語を短く説明し
日本人の生命哲学をきちんと掘り下げることができさえすれば、いままで日本の習慣として 「負」 の評価を受けていたことが、あらたな光を当てられて輝きだしさえするかもしれない。 (p.169)
と書いている。日本人自身が日本の対外的な評価見積をやけに低くしている。著者が書いている通り、一般的には確かにそう言えるのだろう。神道に触れる以前の私も、確かに日本を誇れる根拠を持っていなかった。
しかし今の私は、―― 著者の言を借りるならば ―― 神道こそが、まさにあらゆる文物を日本文化の中に溶かし込んできた媒質たる 「真水」 に相当するのではないかと考えている。神道的な考え方を受容している人々は、文化ビックバンこそ、我がフィールドにおいて行われるに相応しきこと、と思えるはずである。
神道的という言葉を用いずとも良い。日本文化という言葉で十分ことたりる。著者がこの本に記述している、トヨタとノーベル賞を結ぶ考え方それ自体が、日本文化という真水に映る映像の見事な解読になっている。
いまの私たちに必要なことは、わたしたちの思想そのものを、グローバルな行き交いの中に思い切ってだして、鍛え、磨き、そして世界の人たちとわかちあうことではないか。 (p.170)
「沈黙は金」 とはならないのが世界であるから、語るために出向かなければならない。その前に、日本人の全てが、日本を誇れるように、確かな知識、確かな認識を持たなければならないだろう。この本は、トヨタを例にした、その嚆矢である。 <了>
作者:
更新日:2008年12月4日 1時31分
『ともだち』 やわやままこと ピオ・マガジン
宇宙人が地球に関与しているという内容の書籍は、渡部大起・著 『宇宙船が天空に満ちる日』 など、20年以上前からたくさんあって、その主旨は、人類に危機が迫っていることを告げつつ、地球に異変が起こるときには宇宙船が人類を救済しに来る、というものである。世紀末を越えたのでブームは去ったらしいけれど、私は、これらの書籍の内容に疑惑を挟むことなく受け入れてきた。
2008年5月初版のこの書籍、ほとんどが特異な空の様子を映した写真で構成されていて、記述は余りにも少ない。先のUFOブームは終わり、20年の時を経て、文字よりダイレクトな写真の方が感覚的に認知しやすい若者が増えている。そんな人々向けに発行されているのだろう。
2008年5月初版のこの書籍、ほとんどが特異な空の様子を映した写真で構成されていて、記述は余りにも少ない。先のUFOブームは終わり、20年の時を経て、文字よりダイレクトな写真の方が感覚的に認知しやすい若者が増えている。そんな人々向けに発行されているのだろう。
【マヤ暦の終焉】
マヤ暦の終焉する日まで残りが次第に少なくなってきています。私たちの慣れ親しむこの地球がこれから大きく変化し、光の世界へと転じて行く前の激変期がすでに始まっています。
この過渡期をスムーズに移行するためには、私たち人間の力だけではどうしようもありません。より多くの人類を救済するために、さまざまな星から多くの異星人たちが救いの手を差し伸べにやって来ています。 (p.3)
マヤ暦の終焉する日とは、地球がフォトンベルトに入ると言われている2012年12月23日のこと。この過渡期をスムーズに移行するためには、私たち人間の力だけではどうしようもありません。より多くの人類を救済するために、さまざまな星から多くの異星人たちが救いの手を差し伸べにやって来ています。 (p.3)
【地球の輝球化】
地球のアセンション(次元上昇)は、他の星々のアセンションに連動するトリガーになっているからこそ、危惧する面々が地球をサポートしているのだろう。
地球の現状は、明らかに危機的要素の色合いを深めているけれど、いつだってピンチとチャンスは裏表である。
<了>
この(我欲のない)献身的な人を中心として、とはいっても献身的な人でなければこれからの輝球化(地球を光り輝く世界へ転じる)を進めていけません。またその人たちであれば人類の意識をまとめ、地球の大自然と調和し、異性人との共同作業を遂行することが可能になります。
そして地の光の輪を完成させることができ、天の光の輪とリンクでき、地球がアセンションを開始し、それに伴いプレアデス星やシリウス星がアセンションを開始します。ですからポイントは、人の意識の持ち方が最重要課題なのです。 (p.11)
既にお亡くなりになったけれど、加速学園の関英男先生は、 『洗心』 と常々書いていた。そして地の光の輪を完成させることができ、天の光の輪とリンクでき、地球がアセンションを開始し、それに伴いプレアデス星やシリウス星がアセンションを開始します。ですからポイントは、人の意識の持ち方が最重要課題なのです。 (p.11)
地球のアセンション(次元上昇)は、他の星々のアセンションに連動するトリガーになっているからこそ、危惧する面々が地球をサポートしているのだろう。
地球の現状は、明らかに危機的要素の色合いを深めているけれど、いつだってピンチとチャンスは裏表である。
<了>
作者:
更新日:2008年12月3日 23時54分
『青い血族 ロックフェラー財閥の野望』 ギル・リービル メディア・ファクトリー
ロルチャイド家の紋章である「赤い楯」は、さながら血族の象徴であろうけれど、このタイトルの「青」は、ロックフェラーという血族に関する直接の象徴ではない。ロックフェラー家が財をなすに至った石油運搬用のバレル(樽)の色に因んでいる。
【ロックフェラー家の祖先】
【ロックフェラー家の祖先】
ロックフェラー家の祖先は、ロッシュフィーユまたはロックフィーユ(岩の葉)といって、フランスのラングドック地方に住んでいた。それが1685年、プロテスタント・ユグノー派の迫害のときに、ドイツ・ライン河近くのコプレンツへ逃れることになる。 ・・・(中略)・・・。そうこうして1723年には、ヨハン・ピーター・ロックフェラーという一人の若者がアメリカの地に下り立った。 (p.9)
この家系からジョン・D(デイビソン)・ロックフェラー(1839-1937)という財閥の初代が生まれる。ジョン・Dはエリー湖南岸にあるクリーブランドという土地で、当時、鯨油から移り変わりゆく勃興期にあった石油ビジネスに手を染めていた。
【スタンダード石油】
19世紀中頃、クリーブランドという石油生産地から消費地であるニューヨークへの石油輸送は、専ら鉄道に依存していた時代である。バレル(樽)から漏れ出す石油のロスを改善するために、ジョン・Dは、青く着色したバレルを大量に管理生産し、鉄道会社と特約契約を交わし価格競争で優位に立ち、業績を伸ばしていった。
また、石油輸送が鉄道からパイプラインへ移行すると見るや、先鞭をつけていたタイドウォーター社に内部抗争を仕掛け、買取を成し遂げたりもしたのである。(p.115)
こういった手法は、アメリカ国内での企業戦略に限らない。後に、世界中で繰り広げられるアップストリーム争いでも、この手法はいかんなく発揮される。
19世紀中頃、クリーブランドという石油生産地から消費地であるニューヨークへの石油輸送は、専ら鉄道に依存していた時代である。バレル(樽)から漏れ出す石油のロスを改善するために、ジョン・Dは、青く着色したバレルを大量に管理生産し、鉄道会社と特約契約を交わし価格競争で優位に立ち、業績を伸ばしていった。
ロックフェラー・アンドリュース&フレイグラー社は新しく生まれ変わったのだ。それは古い会社のスキャンダルを覆い隠すためでもあった。ジョン・Dは、全ての石油会社を評価するうえでの新しい基準(スタンダード)になってほしいという思いから、社名をスタンンダード・オイルとつけた。 (p.57)
彼はクリーブランド中の銀行の頭取たちを訪問し、スタンダード・オイル社の株買う機会を申し出た。こうして、ジョン・Dの競争相手たちは、銀行のドアが次々と目の前で閉じていく様を見せられるのであった。 (p.62)
ロックフェラー家の末の弟、フランクは、ジョン・Dのライバル会社で働いていた。フランクはロックフェラー家の同胞となることを拒み、一生をジョン・Dへの憎しみに捧げた。彼はクリーブランド中の銀行の頭取たちを訪問し、スタンダード・オイル社の株買う機会を申し出た。こうして、ジョン・Dの競争相手たちは、銀行のドアが次々と目の前で閉じていく様を見せられるのであった。 (p.62)
また、石油輸送が鉄道からパイプラインへ移行すると見るや、先鞭をつけていたタイドウォーター社に内部抗争を仕掛け、買取を成し遂げたりもしたのである。(p.115)
こういった手法は、アメリカ国内での企業戦略に限らない。後に、世界中で繰り広げられるアップストリーム争いでも、この手法はいかんなく発揮される。
【ゲイツ牧師と慈善事業】
ゲイツとジョン・Dは、ここ数年間のうちで、最大の慈善事業といえるシカゴ大学を創設した。この大学は、バプテストの神学校として1856年に創設され、すべてのバプテストの教育計画の基となるよう計画された。(p.151)
こういった多額の寄付行為は、ロックフェラー家の評判の挽回のためであったのか、純粋な善意であったのか?
ジョン・Dがまっしぐらに飛び込んでいった慈善事業が、かえってかれの個人的財産を膨大に増やしたのは、皮肉な事実だった。それは、かれが最終的に慈善事業だけでなく、個人的な投資も――― 言い換えればスタンダード以外のすべての資産を ――― 優秀な財産運用役のゲイツ牧師に委任したためであった。 (p.156)
これらは、最終的にロックフェラー財団として実を結んでゆく。
【スタンダード・トラスト】
1880年代半ばに、カスピ海のロシアの大規模なバクー油田が開発されるまで、世界の輸出向け石油市場はアメリカの独壇場だった。ということはつまり、スタンダードが世界市場を独占していたということだ。
ジョン・Dとその仲間たちは、これまであらゆる手段を行使して政府の組織を手中に収めていた。実質的に上院議員たちを「所有」していたと言っても過言ではない。
「我々の最大の援助者の一つが、ワシントンの国務省である。大使たちや大臣たち、領事たちが世界の隅々にまで新しい市場を推し進めるのを助けてくれた」とジョン・Dは述べている。 (p.159-160)
ゲイツ牧師による慈善事業も、権力の絶頂を極めたロックフェラーへの非難を回避するには至らず、彼の息子ジュニアに降りかかって行く。ジョン・Dとその仲間たちは、これまであらゆる手段を行使して政府の組織を手中に収めていた。実質的に上院議員たちを「所有」していたと言っても過言ではない。
「我々の最大の援助者の一つが、ワシントンの国務省である。大使たちや大臣たち、領事たちが世界の隅々にまで新しい市場を推し進めるのを助けてくれた」とジョン・Dは述べている。 (p.159-160)
【ラドローの悲劇】
ラドローにある鉱山開発に関って、11人の子供たちが窒息死した。しかし、この難局を、ジョン・D・ジュニアは乗り切った。
ラドローにある鉱山開発に関って、11人の子供たちが窒息死した。しかし、この難局を、ジョン・D・ジュニアは乗り切った。
ラドローは、世論がロックフェラー一族へ不当に低い評価を示していることを意味していた。ラドローはジュニアを、立派な事業家として仕立てたのである。 (p.196)
【ジョン・Dの孫たち】
長男:ジョン・D・3世、次男:ネルソン、3男:ローレンス、4男:ウインスロップ、5男:デイッビッド。
長男:ジョン・D・3世、次男:ネルソン、3男:ローレンス、4男:ウインスロップ、5男:デイッビッド。
【祖父と孫の誕生日】
初代、ジョン・Dと、その孫のネルソン・ロックフェラー。
初代、ジョン・Dと、その孫のネルソン・ロックフェラー。
二人の誕生日は同じである。フロイト的解釈によると、息子と祖父が同盟して父親に対抗しているとも取れる。ネルソンが「権力」にとりつかれていったのは、祖父が「管理」に取り行かれたことの変形だった。違ったのは、ネルソンが道徳的に劣っていた点だけだろう。祖父にとって「管理」は、目的に対する手段であった。ネルソンの「権力」は、それ自体が目的で行使されたものだった。 (p.216)
ネルソンの野心は、南米地域への事業拡張に留まらず、アメリカ大統領という国家権力の頂点をも目指していたのである。権力とスキャンダルに取り付かれていたネルソンは、腹上死という、人生の最期を飾るには最も相応しいエンディングを遂げている。
【ローレンス・ロックフェラー】
アイゼンハワー大統領がアメリカ国民に、「軍産複合体(ミリタリー・コンプレックス)の暴走に気をつけよ」 と良心の片鱗を見せた発言をしたのも、国家権力と国家財閥の癒着関係が、もはや解消できないステータスにあったことを受けてのこと。
1938年、ローレンス・ロックフェラーは、イースタン航空の開業資金として1万ドルを提供した。・・・(中略)・・・。
翌1939年、ジェットエンジンの将来性を確信したローレンスは、父をくどいてロックフェラー家の金をマクダネル社に投入した。こうして彼は、航空産業の分野で最も有望な2社の筆頭株主となったのである。 (p.220)
ロックフェラー家と軍需産業がダイレクトにタイアップしたのである。この時点で、アメリカ国務省は、戦争というビジネスを定期的に仕掛ける殺人機関への変貌を確実なものにした。翌1939年、ジェットエンジンの将来性を確信したローレンスは、父をくどいてロックフェラー家の金をマクダネル社に投入した。こうして彼は、航空産業の分野で最も有望な2社の筆頭株主となったのである。 (p.220)
アイゼンハワー大統領がアメリカ国民に、「軍産複合体(ミリタリー・コンプレックス)の暴走に気をつけよ」 と良心の片鱗を見せた発言をしたのも、国家権力と国家財閥の癒着関係が、もはや解消できないステータスにあったことを受けてのこと。
【ジョン・D・3世(ジョニー)とジョン・D・4世(ジェイ)】
《参照》 『アメリカに食い尽くされる日本』 森田実・副島隆彦 (日本文芸社)
いずれにせよ、石油で世界の覇権を握っていたロックフェラー家は、近年、世界中で新たな油田が開発されている状況の中で、もはや世界のスタンダードたりえないのは既定の事実である。
アメリカン・スタンダードの内実は、ロックフェラー・スタンダードだったのである。
日本は、アメリカン・スタンダードから離れて、自立せねばならない段階に来ている。 <了>
ジョニー (1906-1978) は、ロックフェラー一族の気力に恵まれ、60歳を超えても公式行事への出席とロックフェラー財団のハードなスケジュールをこなし続けた。・・・(中略)・・・彼のあだ名は未だに「ミスター・アジア」であって、・・・(中略)・・・。彼のアジアへの関心を、息子のジョン・D・ロックフェラー4世 ―― 「ジェイ」と呼ばれた ―― に譲り渡した。 (p.269)
その後、ロックフェラー家の主導権争いは、5男のデイッビッドとジェイの間で繰り広げられているらしいことは、副島隆彦さんの著書に記述されている。《参照》 『アメリカに食い尽くされる日本』 森田実・副島隆彦 (日本文芸社)
いずれにせよ、石油で世界の覇権を握っていたロックフェラー家は、近年、世界中で新たな油田が開発されている状況の中で、もはや世界のスタンダードたりえないのは既定の事実である。
アメリカン・スタンダードの内実は、ロックフェラー・スタンダードだったのである。
日本は、アメリカン・スタンダードから離れて、自立せねばならない段階に来ている。 <了>
作者:
更新日:2008年12月2日 1時14分
『日本霊界風土記 富士・箱根』 深見東州 たちばな出版
『人類が生まれた秘密をあかす』 深見東州 (たちばな出版) の中で書き出しておいた 【日本神界の特異性 と 次元界スライドシステム】 の、ス神の化身に関する詳細が、この本の33ページ付近に記述されている。
神霊界の事を真摯に探求し続けている人は、この書籍の中に類希なる内容を多く見出すことだろう。
【神道・仏教・儒教】
【清涼の気に溢れる高級神霊】
神霊界の事を真摯に探求し続けている人は、この書籍の中に類希なる内容を多く見出すことだろう。
【神道・仏教・儒教】
神界、霊界、現界はそれぞれ感覚の世界、心の世界、肉体に世界に相当します。そして、その神界、霊界、現界に即して説かれたのが神道、仏教、儒教であって、観世音菩薩の菩薩はあくまでも霊界(心・仏教=4次元)の言葉であります。 (p.30)
【清涼の気に溢れる高級神霊】
ここが大きく誤解しやすいところです。光まばゆい神霊だからといって最高神ということではありません。清らかで涼しげな神霊のほうが次元が高いのです。それを求めてきたのが日本の山岳信仰というものであって、光まばゆき神霊が降りるのは違う場所です。 (p.43)
【富士山を通して天が教えていること】
すなわち、日本一高い山、日本一美しい山になろうと思えば、それだけ下積みが要るんだよ、と。
裾野の広い経験と知識。裾野の広い人脈と多くの人たちの引き立て。それがあってはじめて日本一高い山、日本一美しい山になれる。自分一人、ボコッと高くそびえていても決して美しくない。だから、年季を積んで基礎をがっちり固めなさい。実力を養いなさい。それが人として本来あるべき姿であって、下積みがなければ富士山のように人々から慕われませんよ。そう、天は私たちに教えているに違いありません。 (p.64)
偏りがなく、多様性があり、しかも基礎をしっかりと固めて日本一高い富士山のような人は、本当に素晴しい。(p.66)
裾野の広い経験と知識。裾野の広い人脈と多くの人たちの引き立て。それがあってはじめて日本一高い山、日本一美しい山になれる。自分一人、ボコッと高くそびえていても決して美しくない。だから、年季を積んで基礎をがっちり固めなさい。実力を養いなさい。それが人として本来あるべき姿であって、下積みがなければ富士山のように人々から慕われませんよ。そう、天は私たちに教えているに違いありません。 (p.64)
偏りがなく、多様性があり、しかも基礎をしっかりと固めて日本一高い富士山のような人は、本当に素晴しい。(p.66)
【時代に応じて移り住む神々】
神々の移住という、人知では成しえないことであっても、それに関与できる神人が日本にはいる。
このように、時の神である木花開耶姫の働きによって、その時のスポットの当たる場所が違うわけですが、京から江戸に遷都されてからは、日本国家の仕組の中心が関東になったことで、熊野の神様、国常立之大神様が箱根の霊域・神域に移られました。もとは同じ神様ですけれど、同体異名で名前が違うのです。(p.88)
このような神々の移住のような事態は、日本国内のみで起こっているわけではない。世界史の大きな転換点でも、神々は移住している。いずれ崩壊してゆく国々から、世界史の中心となる国に、神々は移ってゆくのである。神々の移住という、人知では成しえないことであっても、それに関与できる神人が日本にはいる。
【大昔からの霊気が凝結している場所】
聞けば、日本アルプスは5億年くらいの土地らしいです。対して、カナディアンロッキーとかエベレストとか、ヨーロッパのアルプスは8千万年から1億年までで、日本のアルプスのほうがよほど古いということでした。
まあ、古ければいいというものではありませんが、日本のアルプスや熱海、箱根あたりの土地が世界的にも最も古い地質であることは間違いないようです。ということは、大昔からの霊気が凝結している場所ではないかという気がしてなりません。 (p.99)
日本のアルプスといっても広い。中でも白山周辺が最古層である。 <了>まあ、古ければいいというものではありませんが、日本のアルプスや熱海、箱根あたりの土地が世界的にも最も古い地質であることは間違いないようです。ということは、大昔からの霊気が凝結している場所ではないかという気がしてなりません。 (p.99)
作者:
更新日:2008年11月29日 2時42分
『日本精神の道標』 明治神宮崇敬会
10年前(1998年)、明治神宮崇敬会創立50周年記念大会の講演内容を収録した書籍。
石川六郎、江藤淳、香山健一、西尾幹二、渡部昇一といった皆さんがお話しをされている。
石川六郎、江藤淳、香山健一、西尾幹二、渡部昇一といった皆さんがお話しをされている。
【アメリカン・デモクラシー】
「日本人の自己回復」 と題された西尾幹二さんの講演内容から。
中国・明代の官吏であり、子供や女性のために幾つかの教育的書物を著した呂坤という人物に関するアメリカ人研究者(Tomas H. C. Lee)の論文の一部をたまたま読む機会があった。その中に、デモクラシーという単語が何度記述されていたことか。研究者の主旨は、「呂坤という人物は、当時の中国社会のデモクラシーに貢献した」 という論調で一貫していたのである。
教育的な書物の著述家である呂坤を、日本人ならば、たんに善良な教育者として認識するだろうけれど、アメリカ人研究者は、デモクラシーの推進者という視点で高く評価しているのである。かように、アメリカによる世界解認識は、デモクラシーというイデオロギーに準じて行われてきたという事実は知っておいてもいい。
独裁よりはデモクラシーの方がましではあるけれど、アメリカン・デモクラシーは、陰の支配者の強欲を覆い隠すイデオロギーとして機能していることは周知のことである。
かつて、ビル・クリントンという大統領が、金融で恫喝して日本から大いに搾り取ったけれど、今度は、ヒラリー・クリントンという国務長官が軍事・金融の両面から越権的黒幕としてアメリカ本位の世界秩序で日本や世界をかき回すのだろう。最後の悪あがきをするであろうアメリカ本位のイデオロギーには要注意である。
「日本人の自己回復」 と題された西尾幹二さんの講演内容から。
アメリカン・デモクラシーはイデオロギーじゃないと思ったら大間違いです。戦前の日本は少しそのことを知っていて、「英米本位の世界秩序を排す」という論文がよく書かれました。こういう議論が出たのは、英米がいかにエゴイスティックな原理主義の国であるかということを、骨身にしみて知っていたからです。
戦争に負けたらすっかりそれを忘れてしまって、われわれはアメリカの正義、アメリカの歴史観、アメリカ本位の世界秩序の内部に包み込まれてしまった。袋の中に入れられたものには、袋は見えないのです。だから、アメリカという国の底意が見えない。 (p.64)
「アメリカン・デモクラシーがイデオロギーであるという認識は、袋の中からはみえない」 という指摘のとおり、日本国内に住み続けている人々は、なかなかそのようには実感できないものである。ただ、国内にいてもアメリカ人研究者が諸外国を対象に著した論文なりを読む機会があれば、そのイデオロギーの偏重ぶりを知ることはできる。戦争に負けたらすっかりそれを忘れてしまって、われわれはアメリカの正義、アメリカの歴史観、アメリカ本位の世界秩序の内部に包み込まれてしまった。袋の中に入れられたものには、袋は見えないのです。だから、アメリカという国の底意が見えない。 (p.64)
中国・明代の官吏であり、子供や女性のために幾つかの教育的書物を著した呂坤という人物に関するアメリカ人研究者(Tomas H. C. Lee)の論文の一部をたまたま読む機会があった。その中に、デモクラシーという単語が何度記述されていたことか。研究者の主旨は、「呂坤という人物は、当時の中国社会のデモクラシーに貢献した」 という論調で一貫していたのである。
教育的な書物の著述家である呂坤を、日本人ならば、たんに善良な教育者として認識するだろうけれど、アメリカ人研究者は、デモクラシーの推進者という視点で高く評価しているのである。かように、アメリカによる世界解認識は、デモクラシーというイデオロギーに準じて行われてきたという事実は知っておいてもいい。
独裁よりはデモクラシーの方がましではあるけれど、アメリカン・デモクラシーは、陰の支配者の強欲を覆い隠すイデオロギーとして機能していることは周知のことである。
かつて、ビル・クリントンという大統領が、金融で恫喝して日本から大いに搾り取ったけれど、今度は、ヒラリー・クリントンという国務長官が軍事・金融の両面から越権的黒幕としてアメリカ本位の世界秩序で日本や世界をかき回すのだろう。最後の悪あがきをするであろうアメリカ本位のイデオロギーには要注意である。
【明治天皇の御製】
香山健一さんが、明治天皇の御製3首を紹介している。
例え日本人であっても、余りにも心が曇っていれば、明治天皇の御製とはいえ、ほとんど心に響かない。
最低限の玉磨きは各自が心がけるべきこと。
磨かれていれば、御製は強く深く心に響くものであろう。
香山健一さんが、明治天皇の御製3首を紹介している。
くもりなきこころのそこのしらるるはことばの玉の光なりけり
さやかなる光をつつむ春の夜に月にもみえて散る櫻かな
たわむべき時はたわみてくれ竹のしたをれぬこそみさをなりけれ
一つひとつの短いお歌の中に日本の伝統の心が、文字通り玉のように凝縮しているのです。こういうものを大切にしながら、次の時代に向けて日本の心の再建、失われたものの復権と回復に皆様方とともに努力してまいりたいと思います。 (p.44)
原宿駅に隣接する明治神宮へ行けば、いつでも、大きな字で書かれた明治天皇の御製を見ることができる。さやかなる光をつつむ春の夜に月にもみえて散る櫻かな
たわむべき時はたわみてくれ竹のしたをれぬこそみさをなりけれ
一つひとつの短いお歌の中に日本の伝統の心が、文字通り玉のように凝縮しているのです。こういうものを大切にしながら、次の時代に向けて日本の心の再建、失われたものの復権と回復に皆様方とともに努力してまいりたいと思います。 (p.44)
例え日本人であっても、余りにも心が曇っていれば、明治天皇の御製とはいえ、ほとんど心に響かない。
最低限の玉磨きは各自が心がけるべきこと。
磨かれていれば、御製は強く深く心に響くものであろう。
《参照》 日本文化講座 〓 【 松竹梅 】 昭和天皇の御製 <了>
作者:
更新日:2008年11月28日 0時59分
『首輪』 佐藤亜有子 河出書房新社
『ボディーレンタル』 では、私の一時代の心象風景を代表する象徴的な単語に複数出会っていたので、著者の世界に通底するものを感じていた。だからこそ、この小説を手にしたのであるけれど、この作品は単なる駄作である。
仏文出身の著者は、フランスの官能小説を読みすぎたのではないかと想像してしまった。出口のない精神的低迷に引きずり込み、そこをターミナルとするのが必然である “肉体文学” という駄作である。
【首輪】
強者であればあるほど、その裏腹のコントラストは強いものであって、その2面性を悩まない。
弱者は、コントラストをなしえぬ不明瞭なグラデーション領域を何とか記述しようと、無駄な文学を著したがる。
仏文出身の著者は、フランスの官能小説を読みすぎたのではないかと想像してしまった。出口のない精神的低迷に引きずり込み、そこをターミナルとするのが必然である “肉体文学” という駄作である。
【首輪】
見つめても、尋ねても、男は何も答えない。男はただ、私のそばに立ち、決して自分から首輪をはずしてはいけないと、静かに言った。はずしたらどうなるか、ないが起こるかということも、説明しなかった。私は男の目を見上げ、少し返事に迷いながら、たぶん逆らうことはないだろう、と思っていた。男が故意にわたしを苦しめないかぎり、首輪をはめたまま、愛する男のものでいるほうが、きっとしあわせにちがいない。・・・・・わたしはうなずいた。そして男は何を思ったのか、やさしく微笑んで、わたしの右手にそっと誓いのグラスを握らせた。 (p.102)
人には誰であれ、隷属したいという心があるものである。強者であればあるほど、その裏腹のコントラストは強いものであって、その2面性を悩まない。
弱者は、コントラストをなしえぬ不明瞭なグラデーション領域を何とか記述しようと、無駄な文学を著したがる。
ところで、隷属の心理に関するこの部分を読んでいて、アメリカの人種差別問題を扱っていた社会派の映画を見たときのことを思い出していた。
黒人の側に “差別される側で安住したがる心理がある” のである。このことに気づいた時は、正直なところショックだったのだけれど、この心理との共通性をふと思ったのである。
歴史書の中に、足に鉄鎖・首に枷という黒人奴隷の姿が、掲載されていることがある。これを見た人が懐くであろう、「何と悲惨な人々であることか・・・・」 という第三者的な良心的思念とは別に、奴隷状態にある本人の心理には、隷属の快というものがありうるのである。これは、社会問題とか人種問題とかの領域で解釈されるべき問題ではない。あくまでも個々の人間の心理の問題である。
アンダーグラウンドに実在するサド・マゾの世界や、官能小説の世界では、社会問題とか人種問題を考慮しなくてよい前提があるために、人間の隷属心理がダイレクトにレリーフされ肥大化するのであろう。
この心理について、どんなに精緻な記述がなされようと、畢竟、それらは何の解明にもならない。解明にならないからこそ、アンダーグラウンドな領域で、終わりのない低迷世界を末永く形成してゆけるのである。
アングラ小説・ポルノ小説などの肉体文学は、誰がどう記述しようと駄作以外は生み出せない世界なのである。
何故か?
肉体と脳の構造に制約されているからである。
《参照》 『いい女は、セックスしない』 石崎正浩 (なあぷる) 【人間を人間たらしめるもの】 <了>
黒人の側に “差別される側で安住したがる心理がある” のである。このことに気づいた時は、正直なところショックだったのだけれど、この心理との共通性をふと思ったのである。
歴史書の中に、足に鉄鎖・首に枷という黒人奴隷の姿が、掲載されていることがある。これを見た人が懐くであろう、「何と悲惨な人々であることか・・・・」 という第三者的な良心的思念とは別に、奴隷状態にある本人の心理には、隷属の快というものがありうるのである。これは、社会問題とか人種問題とかの領域で解釈されるべき問題ではない。あくまでも個々の人間の心理の問題である。
アンダーグラウンドに実在するサド・マゾの世界や、官能小説の世界では、社会問題とか人種問題を考慮しなくてよい前提があるために、人間の隷属心理がダイレクトにレリーフされ肥大化するのであろう。
この心理について、どんなに精緻な記述がなされようと、畢竟、それらは何の解明にもならない。解明にならないからこそ、アンダーグラウンドな領域で、終わりのない低迷世界を末永く形成してゆけるのである。
アングラ小説・ポルノ小説などの肉体文学は、誰がどう記述しようと駄作以外は生み出せない世界なのである。
何故か?
肉体と脳の構造に制約されているからである。
《参照》 『いい女は、セックスしない』 石崎正浩 (なあぷる) 【人間を人間たらしめるもの】 <了>
作者:
更新日:2008年11月27日 2時3分
『個性を捨てろ!型にはまれ!』 三田紀房 大和書房
著者は、『ドラゴン桜』 という偏差値30の学生たちが東大入学を目指すというマンガの作者だという。
タイトルは著者の主旨を端的に表している。やや極端と思われやすいタイトルであろうけれど、内容を読めば、整然とした記述で一貫していて気持ちのいい著書である。個性だの子供の自主性だのと戯けた空論に迎合する「友達のような教師」、「友達のような親子」 は、この本を読んでその弊害をよく認識すべきだろう。
タイトルは著者の主旨を端的に表している。やや極端と思われやすいタイトルであろうけれど、内容を読めば、整然とした記述で一貫していて気持ちのいい著書である。個性だの子供の自主性だのと戯けた空論に迎合する「友達のような教師」、「友達のような親子」 は、この本を読んでその弊害をよく認識すべきだろう。
【まずは 「コード」 を憶えろ!!】
自由の象徴のような即興演奏でさえ、コードという 『型』 によってつくられているのだ。
この事実はなかなか示唆に富んだものではないだろうか。
たとえば、学生時代にギターを買って、3ヶ月もしないうちに挫折したという人は多い。
彼らにどうして挫折したのかと聞いてみると、大半が「Fのコードが押さえられなかった」といった理由のようだ。
きっとコードを憶えられるかどうか、ギター習得の第一関門なのだろう。
その単純な理屈がわからない人に限って、コードも憶えようとせず
「そのうちキターの神様が降りてこないかな」
といった夢をみる。
あるいは反対に
「俺には才能がないんだ」
とあきらめる。
はっきり言って、コードも弾けないようなギタリスリなんてどこにもいない。リフティングができないサッカー選手がいないように、そんなものは当然クリアしておくべきステップで、才能以前の問題だ。
物事には順序というものがある。まずはコードを憶えること。個性だの才能だのを考えるのは、その後だ。
これは音楽に限らず、たとえば自分の仕事における「コード」はなんなのか、ジックリと考えてみるがいい。意外とその部分をおろそかにしているかもしれないのだ。 (p.53-54)
この事実はなかなか示唆に富んだものではないだろうか。
たとえば、学生時代にギターを買って、3ヶ月もしないうちに挫折したという人は多い。
彼らにどうして挫折したのかと聞いてみると、大半が「Fのコードが押さえられなかった」といった理由のようだ。
きっとコードを憶えられるかどうか、ギター習得の第一関門なのだろう。
その単純な理屈がわからない人に限って、コードも憶えようとせず
「そのうちキターの神様が降りてこないかな」
といった夢をみる。
あるいは反対に
「俺には才能がないんだ」
とあきらめる。
はっきり言って、コードも弾けないようなギタリスリなんてどこにもいない。リフティングができないサッカー選手がいないように、そんなものは当然クリアしておくべきステップで、才能以前の問題だ。
物事には順序というものがある。まずはコードを憶えること。個性だの才能だのを考えるのは、その後だ。
これは音楽に限らず、たとえば自分の仕事における「コード」はなんなのか、ジックリと考えてみるがいい。意外とその部分をおろそかにしているかもしれないのだ。 (p.53-54)
【「自由」を掲げたジーコ監督】
英雄ナポレオンを撃破するために編み出されたクラウゼヴィッツの戦争論を知っている人ならば、戦を遂行するのに 「自由」 という選択肢などありえないことは、前提以前のことであって想像すらできないものである。スポーツの戦術も、企業経営のノウハウも、縦の指揮系統下にある組織力によって遂行されるものである。チームや企業が、苛烈な上下関係を経験してきた体育会系人材を好み、自由や個性を主張する輩を敬遠している事実を、一方的に看過し続けている教育界が、実社会に合わない間抜けな学生を育てているのである。だから、フリーターやニートが増えてしまう。
チームの指針として 「自由」 を掲げたジーコ監督は、ほとんど戦術らしい戦術を持たないまま本大会に突入し、選手自身の対応力、イマジネーション能力に全てを託した。きっとこの才能あふれる選手たちなら、それが可能だと思ったのだろう。
しかし、ジーコ監督の 「自由」 は選手たちに困惑と迷いを引き起こしただけだった。
特に戦術を与えられなかったディフェンス陣の崩壊ぶりは、目を覆いたくなるほど悲惨なものだった。
ジーコ監督の 「自由」 は、完全に失敗だったのだ。 (p.106)
組織力のヨーロッパ、個人技の南米と言われているサーカーの2大戦術。社会学的に個人主義社会といわれているヨーロッパが組織力を基本とし、個人技といわれる南米のチームですら、コーチやトレーナーがいて、選手全員に指示を送り、みんなで同じ練習をこなす。あくまでも全体練習なのである。ところが、ジーコ指揮下の日本チームは、練習であってすら完全な自由だったという。しかし、ジーコ監督の 「自由」 は選手たちに困惑と迷いを引き起こしただけだった。
特に戦術を与えられなかったディフェンス陣の崩壊ぶりは、目を覆いたくなるほど悲惨なものだった。
ジーコ監督の 「自由」 は、完全に失敗だったのだ。 (p.106)
英雄ナポレオンを撃破するために編み出されたクラウゼヴィッツの戦争論を知っている人ならば、戦を遂行するのに 「自由」 という選択肢などありえないことは、前提以前のことであって想像すらできないものである。スポーツの戦術も、企業経営のノウハウも、縦の指揮系統下にある組織力によって遂行されるものである。チームや企業が、苛烈な上下関係を経験してきた体育会系人材を好み、自由や個性を主張する輩を敬遠している事実を、一方的に看過し続けている教育界が、実社会に合わない間抜けな学生を育てているのである。だから、フリーターやニートが増えてしまう。
【自主性を重んじるという責任逃れ】
たとえば、選手をオリンピックに導くような名コーチたちは、みな 「こうやれば強くなれる」 という指導の 『型』 を持っている。
一方、ダメなコーチはそのような 『型』 を持っていない。
そして 「こうやれば強くなれる」 と言えないため、選手たちの自主性を重んじるようになってしまう。これでは完全な丸投げだ。ただ責任逃れをしているだけである。 (p.115-116)
『型』 を持たない白痴級の父兄と、『型』 を持たない日教組系の教師が、学生に対しては自主性という言葉を掲げて、自らは責任逃れの場所を確保した上で、全うな 『型』 を持つ教師を譴責し管理し評価することに専念するのである。一方、ダメなコーチはそのような 『型』 を持っていない。
そして 「こうやれば強くなれる」 と言えないため、選手たちの自主性を重んじるようになってしまう。これでは完全な丸投げだ。ただ責任逃れをしているだけである。 (p.115-116)
【子どもを叱れるのは親と教師だけ】
子供たちに率先して真似をさせるには、親や教師が尊敬やあこがれ、あるいは畏怖すべき対象でなければならない。
その意味で、僕は最近の 「友達みたいな親」 や 「友達感覚の先生」 が気に食わないのである。テレビで「今日は娘とデートなんです。さっきもお店で姉妹と間違えられて」 なんて言っている母親を見ると、虫唾が走る思いがする。 (p.145)
同感であるけれど、私は虫唾が走るというよりは、無表情の下でお寒い笑いを笑っている。その意味で、僕は最近の 「友達みたいな親」 や 「友達感覚の先生」 が気に食わないのである。テレビで「今日は娘とデートなんです。さっきもお店で姉妹と間違えられて」 なんて言っている母親を見ると、虫唾が走る思いがする。 (p.145)
【日本の 『型』 を教育せよ】
最近の曲に大ヒットはないと言われている。それは、感覚的な曲だけで作られ、歌詞が軽視されているからであろう。「なぜロックなのか?」 と訊かれたロックンローラーが、「最後にバラードを歌いたいから」 と答えていたのを聞いて唖然としたことがあるけれど、現在の若者達であっても、心中では静寂な世界に響く珠玉の言の葉に包まれたいのである。穏やかな大和言葉でつむがれた美しい歌詞に心を打たれるのである。それこそが日本人に共有されている日本語の妙味である。日本語として美しい歌詞と、それを活かす曲調でつくられた歌謡曲ならば、かならずやロングセラーとして残るはずである。
なにはともあれ、日本語の型を七五調にのせた唱歌は、小学校において復活されるべきであろう。
そこには日本の 『型』 が、日本人の 『心』 が、厳然と息づいているからである。
元旦には 『お正月』 を歌い、春になれば 『花』 や 『春の小川』 を歌う。夏になれば 『茶摘み』 を、秋が来れば 『夕焼け小焼け』 や 『荒城の月』 を歌い、冬には 『蛍の光』 を歌う。
いったいなんの意味があるんだと言われそうだが、唱歌を歌うのに意味なんかいらないのである。
ただ、これら唱歌に触れることで、七五調の歌詞が持つ不思議な心地よさを知り、日本語の美しさを感じながら、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に歌えるようになる。
世代間の断絶がなくなる。
そうしたら、もうそれで立派な目的達成だ。
時代のヒットソングなんか黙っていても耳にはいるのだから、学校の音楽の授業で教える必要はない。少なくともヒットソングを憶えるよりも何倍も人生を豊かなものにしてくれるはずだ。 (p.151)
この記述は、重要な意味を持つ立派な文章である。唱歌を歌う意味が、ピンポイントで説明されているではないか。日本語の美しさと、七五調のリズムが持つ不思議な心地よさ、これらは正に日本の 『型』 そのものである。いったいなんの意味があるんだと言われそうだが、唱歌を歌うのに意味なんかいらないのである。
ただ、これら唱歌に触れることで、七五調の歌詞が持つ不思議な心地よさを知り、日本語の美しさを感じながら、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に歌えるようになる。
世代間の断絶がなくなる。
そうしたら、もうそれで立派な目的達成だ。
時代のヒットソングなんか黙っていても耳にはいるのだから、学校の音楽の授業で教える必要はない。少なくともヒットソングを憶えるよりも何倍も人生を豊かなものにしてくれるはずだ。 (p.151)
最近の曲に大ヒットはないと言われている。それは、感覚的な曲だけで作られ、歌詞が軽視されているからであろう。「なぜロックなのか?」 と訊かれたロックンローラーが、「最後にバラードを歌いたいから」 と答えていたのを聞いて唖然としたことがあるけれど、現在の若者達であっても、心中では静寂な世界に響く珠玉の言の葉に包まれたいのである。穏やかな大和言葉でつむがれた美しい歌詞に心を打たれるのである。それこそが日本人に共有されている日本語の妙味である。日本語として美しい歌詞と、それを活かす曲調でつくられた歌謡曲ならば、かならずやロングセラーとして残るはずである。
なにはともあれ、日本語の型を七五調にのせた唱歌は、小学校において復活されるべきであろう。
そこには日本の 『型』 が、日本人の 『心』 が、厳然と息づいているからである。
作者:
更新日:2008年11月26日 0時2分
『今を深く生きるために』 中野孝次 海竜社
学生時代に 『ブリューゲルへの旅』 という著書を通じて、私に “絵画を通じての文学的な知の楽しみ” を教えてくれた著者なので、懐かしさ半分でタイトルが何であれ、つい手にしてしまう。1990年初版。
【断ちもののすすめ】
同じフニャフニャであっても、私は 「それではイカん」 と思えるフニャフニャぶりであるけれど、「イカん」とも思えないタコ連中の個体数は少なくない。
本当に生活に必要不可欠な物ではなく、あってもなくてもいい、余計な、むしろ有害なものに溢れた時代におのれを守るには、それらの真正度をためすためにも、商品の氾濫の中で断ちものをしてみるのが有効ではあるまいか。・・・(中略)・・・。がんがん鳴るウォークマンの与える擬似満足よりも、静寂のなか遠い森からきこえてくる鳥の声に耳をかたむけるほうが、はるかに人の心を深めてくれるのを知るほうが、生きる力をどれだけ回復させてくれるかしれない。 (p.33)
私は著者の意図するところとその効用が理解できるけれど、生まれて以来、コンクーリートやアスファルトに囲まれた環境の中だけで生きてきた若者は、「そんなことをしたら、かえって生きる力がなくなる・・・」 と思ってしまうらしいのである。私も含めて若者世代の軟弱さはなかなか堂に入っている。同じフニャフニャであっても、私は 「それではイカん」 と思えるフニャフニャぶりであるけれど、「イカん」とも思えないタコ連中の個体数は少なくない。
【開高健という作家】
それゆえにこそ、著者のこの記述に驚きつつメモしておいた。 『珠玉』 という作品、いつか読んでみよう。
文明の爛熟とその虚しさをこの作家ほど認識していた人はないであろう。その認識は底なしの虚無に通い合うが、それは人を無常観に陥れるよりは、むしろこれこそが、あらゆる生きものの生だと、今の生をいとおしむほうへみちびく。開高健の文学はわたしにとってそういうものであった。 (p.41)
「釣りばっかりしている美食家のオッサンのメンタルが、私と同じであるわけはない」 とばかり思っていたから、開高健の作品は読んだことなどない。それゆえにこそ、著者のこの記述に驚きつつメモしておいた。 『珠玉』 という作品、いつか読んでみよう。
【精神の自由】
学生時代、私の心の中の大きな部分を占めていたのが、この言葉だったような気がする。著者の世代とは違い、窮乏や混乱があったわけでもないのに、一体全体、私は何故に “精神の自由” という言葉を心の中に置いていたのであろうか。
多くの作家の言葉を引用しつつこの著作の中に書かれている著者の文学観の周辺を読んでいて、あるいは・・・と思えてきた。おそらく、著者の作品である、『ブリューゲルへの旅』 を読んで受けた影響が少なからずあったのではないかと。この1冊しか読んでいなかったにも関わらず・・・・である。
ただ、はっきり言えることは、現在の自分よりもその当時の自分の方が、明らかに 「今を深く生きていた」 ということである。“精神の自由” という言葉が忘れ去られてゆくにしたがって、探すことの真剣さも次第に希薄化していったのである。
まだ敗戦後の窮乏と混乱がつづいていたその時代、みじめな現実ととほうもない夢の間でうろついていたわれわれに、石川淳はその文章の力によって、現実などに侵されぬ精神の自由というものがあることを教えてくれたのであった。それはまさに鼓舞するといってよいほどのものであった。
なによりもその文章にわたしは酔った。なんという自在で闊達な文章であるか。日本語でこれほどまでに自由な、精神そのものの運動をそのまま伝える文章が書けるということが、20代の若者にどれほど希望を与えたことか。 (p.66)
“精神の自由” という言葉。 なによりもその文章にわたしは酔った。なんという自在で闊達な文章であるか。日本語でこれほどまでに自由な、精神そのものの運動をそのまま伝える文章が書けるということが、20代の若者にどれほど希望を与えたことか。 (p.66)
学生時代、私の心の中の大きな部分を占めていたのが、この言葉だったような気がする。著者の世代とは違い、窮乏や混乱があったわけでもないのに、一体全体、私は何故に “精神の自由” という言葉を心の中に置いていたのであろうか。
多くの作家の言葉を引用しつつこの著作の中に書かれている著者の文学観の周辺を読んでいて、あるいは・・・と思えてきた。おそらく、著者の作品である、『ブリューゲルへの旅』 を読んで受けた影響が少なからずあったのではないかと。この1冊しか読んでいなかったにも関わらず・・・・である。
ただ、はっきり言えることは、現在の自分よりもその当時の自分の方が、明らかに 「今を深く生きていた」 ということである。“精神の自由” という言葉が忘れ去られてゆくにしたがって、探すことの真剣さも次第に希薄化していったのである。
【ブリューゲルとの出会い】
1966年ウィーンの美術館でブリューゲルに出会って以来、私は彼の虜になった。今も私において彼に勝る画家はいない。 (p.194)
エッセイストクラブ賞受賞作品の 『ブリューゲルへの旅』 が書かれるまで、それから10年もの歳月を要したのだという。
【『ブリューゲルへの旅』】
このまま寝ずに4連休にしてしまおうか・・・・・。そうもいかない。寝る。 <了>
わたしが少年時以来愛好してきたモネやセザンヌやゴッホの伝達性は、なんだかたかが知れている、というか、はっきりと主観が伝わる気がした。一言でいうと、ブリューゲルはいわばこっちに対して視覚の革命とでもいうべきものを要求していると感じられたのである。彼はいろんな言葉で私の一番奥にあるものを刺激するようであった。しかし、視覚の革命なんてことが、物の見方をどうにかするだけで起こりうるわけがないのだから、これは結局絵を媒介としてわたしが自分のこれまでの生を問うという作業を始めるしかないようであった。
帰国して以来、わたしは彼の言葉のふしぎを知ろうと、目につくかぎりの画集や研究書や時代史や宗教改革史やを読みあさってきた。いろんなことが少しはわかるようになった。しかし肝腎な点、ブリューゲルの絵がなぜ私に働きかけてくるのかという点については、知識はなんの手助けもしてくれなかった。 (p.28)
今でも応接間の書庫に場所を与えられている 『ブリューゲルへの旅』 の序盤を少しばかり読み返してしまった。この秀でたエッセイの文学性が予感できる箇所である。帰国して以来、わたしは彼の言葉のふしぎを知ろうと、目につくかぎりの画集や研究書や時代史や宗教改革史やを読みあさってきた。いろんなことが少しはわかるようになった。しかし肝腎な点、ブリューゲルの絵がなぜ私に働きかけてくるのかという点については、知識はなんの手助けもしてくれなかった。 (p.28)
このまま寝ずに4連休にしてしまおうか・・・・・。そうもいかない。寝る。 <了>
作者:
更新日:2008年11月25日 1時43分
『斉藤一人 15分間 ハッピーラッキー』 舛岡はなえ 三笠書房
ほんとうに15分で読み終えてしまう。CDも付いているけれど、これを聞くと49分ほどかかりそうだ。
実にシンプルに書き切られている自己啓発書である。
実にシンプルに書き切られている自己啓発書である。
【「つやこ」の法則】
詳細なことを書くと、この本の趣旨に反するけれど、人相学的に、特にツヤを重く見るのは 「綺堂」 と呼ばれる位置である。ここに限っては、ホクロであってもシミであっても、あるのは好ましくないとされている。
「つやこ」 の法則とは、後続の章の内容も読み合わせるならば、顔のツヤばかりではなく、ツヤのある言葉の意味で「つやこ(とば)」の法則、ということでもあるらしい。
「一番大切なのは「人相」なんだよ。人相が貧相で幸せになることはできないし、福相で不幸になることはできない。それから、人相というのは、顔のつくりやホクロの位置じゃない。ツヤ、この一点なんだよ」 (p.27)
この文章を読んでいて、貧相な麻生首相の顔を思い出してしまった。日本のトップがあのような貧相では、日本は決して栄えない。そして、マンガばかり読んでいたからだろうか、漢字もろくに読めないというし・・・・。詳細なことを書くと、この本の趣旨に反するけれど、人相学的に、特にツヤを重く見るのは 「綺堂」 と呼ばれる位置である。ここに限っては、ホクロであってもシミであっても、あるのは好ましくないとされている。
「つやこ」 の法則とは、後続の章の内容も読み合わせるならば、顔のツヤばかりではなく、ツヤのある言葉の意味で「つやこ(とば)」の法則、ということでもあるらしい。
【ツヤ言葉 : 言霊パワー】
あなたに、すべてのよきことが、 言葉には、パワーがあります。もし、地獄言葉を言って
なだれのごとく起きます!! しまったら、「ついてる」tp10回言いましょう。
◇ 天国言葉 ◇ ◆ 地獄言葉 ◆
ついてる ついてない
うれしい・楽しい 不平不満
感謝してます グチ・泣きごと
しあわせ 悪口・文句
ありがとう 心配ごと
ゆるします ゆるせない (p.48・49)
いずれの言葉であれ、情感がこもっていればいるほどそのパワーは圧倒的に増幅される。なだれのごとく起きます!! しまったら、「ついてる」tp10回言いましょう。
◇ 天国言葉 ◇ ◆ 地獄言葉 ◆
ついてる ついてない
うれしい・楽しい 不平不満
感謝してます グチ・泣きごと
しあわせ 悪口・文句
ありがとう 心配ごと
ゆるします ゆるせない (p.48・49)
【 “頑張る” ではなく “顔晴る” 】
でも、それは仕方がない。
自己啓発論と日本文化論は、必ずしも同一の地平で論ぜられることではないのだから。 <了>
世間で言われている “がんばる” は、 『頑固に意地を張る』 という意味なんだけど、そうやって神経を張り詰めているから、人生がおかしくなっちゃう。
天の神さまは、そんなこと望んでないよ。
『晴れ晴れとした顔をしなさい、顔晴れば、しあわせですよ』
そう、神さまは言ってる。 (p.58-59)
ロボコップみたいなお相撲さんがいるけど、彼なんて、対戦の前から何回も何回も自分の顔を張って “顔張って” いる。気合を入れるために、自分の顔ならいくら張ってもいい。勝負師が、対戦する前から “顔晴って” たら、アホカッて思われちゃうもんね・・・。天の神さまは、そんなこと望んでないよ。
『晴れ晴れとした顔をしなさい、顔晴れば、しあわせですよ』
そう、神さまは言ってる。 (p.58-59)
お相撲のことを書いたから思い出してしまった。 今場所優勝した白鵬は、優勝者に相応しくない卑劣・低劣な行為が目立っていたのではないか。 2日目(だったか3日目だったか)と優勝決定戦しか見ていないけれど、 2日目の対戦では、決着のついている土俵の外で、相手の力士を故意に押し倒していたではないか。これは力士としてという以前に勝負師として卑劣極まりない行為である。 そして千秋楽。優勝決定戦で勝ち名乗りを受けた後、花道を引きあげる途中で、手にしていたペットボトルから口に含んだ水を、花道に吐き出していたではないか。!!! 花道に!!!。 幕の内最高優勝の、「優」とは、「人」偏に「憂」えると書く。 土俵の外で相手を押し倒すことが “人を憂える行為か!” 。 幕の内最高優勝者が、花道を歩きながら口に含んだ水を吐き捨てる! これが優勝者に相応しい行為か! 白鵬など、私には単なる日本文化の破壊者にしか思えない。 相撲協会は、白鵬に対して、 それらが「強者ではなく驕者の傲岸不遜かつ恥知らずな行為」であることを教えて厳重注意せよ。 そして来場所も改善しないようなら、横綱を止めさせろ!。そう思っちゃって書いている私の顔は、 “顔晴って” なんかいないもんね〜。
でも、それは仕方がない。
自己啓発論と日本文化論は、必ずしも同一の地平で論ぜられることではないのだから。 <了>
作者:
更新日:2008年11月24日 23時58分
『サウンド・ホロスコープ』 鏡リュウジ・坂本彰範 経済界
星座占いで著名な著書と出版社がマッチせず、奇異な感じがしないではない。
しかし、極めて重大な局面で一人判断せねばならない経営者が、万策を講じた上でなお選択に悩むとき、神秘的な領域を扱っている人々に判断を仰ぐことは少なくないらしい。だからこそ、合理的な経営方法の指導と共に、スピリテュアルな世界にも通じた船井幸雄さんの様な人が経営するコンサルタント会社が多くの依頼を受け、優れた業績をあげているのだろう。
著者の一人である鏡さんは、いくつかの著書を読んだ私の感じでは、感性的世界を専らの領域としていて、経営や合理の世界には全く関与していないと思われる。だからこそ、そこがいいところである。
時に、理屈っぽい世界から完全に離れて感性のみ100%で生きたいと思うことがある。そんな時は本などない環境を選ぶのだろうけれど、もしも手にしても害がないとしたら、鏡さんの著作だろうか。
ただし、この本は共書である。丸ゴシック体の部分は鏡さんが、明朝体の部分は坂本さんが記述しているらしい。サウンドのセレクトも坂本さんの手によるものであることが、あとがきに記述されている。
しかし、極めて重大な局面で一人判断せねばならない経営者が、万策を講じた上でなお選択に悩むとき、神秘的な領域を扱っている人々に判断を仰ぐことは少なくないらしい。だからこそ、合理的な経営方法の指導と共に、スピリテュアルな世界にも通じた船井幸雄さんの様な人が経営するコンサルタント会社が多くの依頼を受け、優れた業績をあげているのだろう。
著者の一人である鏡さんは、いくつかの著書を読んだ私の感じでは、感性的世界を専らの領域としていて、経営や合理の世界には全く関与していないと思われる。だからこそ、そこがいいところである。
時に、理屈っぽい世界から完全に離れて感性のみ100%で生きたいと思うことがある。そんな時は本などない環境を選ぶのだろうけれど、もしも手にしても害がないとしたら、鏡さんの著作だろうか。
ただし、この本は共書である。丸ゴシック体の部分は鏡さんが、明朝体の部分は坂本さんが記述しているらしい。サウンドのセレクトも坂本さんの手によるものであることが、あとがきに記述されている。
【サウンドとホロスコープ】
タイトルに興味をおぼえたのではあるけれど、そもそも人間の類型がわずか12の星座に截然と分類されるわけなどないのだから、この両者の間に明確な相関などあるわけがない。占星術がそんなに単純なものであったなら、とおの昔に、ありふれた科学の分野に入ってしまっていたことだろう。
そして何より、この書籍に取り上げられている全サウンドの中で、私の知っている曲は僅かに3曲しかなかった。自分の星座の中で取り上げられているサウンドは、全部知らない曲ばかり。これでは、感覚的な想像力の翼を広げようにもまるで無理である。 <了>
タイトルに興味をおぼえたのではあるけれど、そもそも人間の類型がわずか12の星座に截然と分類されるわけなどないのだから、この両者の間に明確な相関などあるわけがない。占星術がそんなに単純なものであったなら、とおの昔に、ありふれた科学の分野に入ってしまっていたことだろう。
そして何より、この書籍に取り上げられている全サウンドの中で、私の知っている曲は僅かに3曲しかなかった。自分の星座の中で取り上げられているサウンドは、全部知らない曲ばかり。これでは、感覚的な想像力の翼を広げようにもまるで無理である。 <了>
作者:
更新日:2008年11月19日 18時13分