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トップ > over > over - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2008年12月3日 8時)

風に語りて

セックスアピールの亡霊
『セックス・アピールの亡霊』。
ダリの画の中ではこれが一番好きだ。
ダリは性的なアンバランスを松葉杖で支えようとすることが多い。
そして、象徴ですらないほとんど化け物に近いダリの描くセクシャリティが、
崩壊しかけてついには立てなくなってしまったのがこの『セックス・アピールの亡霊』。
それを見上げているのが子どもだというところに悪意を感じる。
そもそもが松葉杖で支えてやらなくてはならない存在。
う~ん批評的だなぁとか思えて、僕はこれが好きだ。

でも、ダリのイビツな画を観れば観るほど、
彼の奇行の数々を知れば知るほど、
あの直角に上向いた髭を見れば見るほど、
この男、実はただ死ぬほど退屈だっただけじゃないか、
という素人考えをしてしまう。

プログレッシヴ・ロックの複雑性だって、結局はそこじゃないかと思う。
三分半のポップ・ソングなんて、死ぬほど退屈だったんだろう。
始まりというのは、意外と単純なもんである。
その始まりから何を始めるかが、重要なのだ。

In The Court Of The Crimson King
/ King Crimson

King Crimson-In The Court Of The Crimson King
墓碑に刻まれたロックと僕たちの未来
 ビートルズ『アビイ・ロード』をチャート一位から引きずり落としたとされるキング・クリムゾンの記念碑的デビュー・アルバム。邦題は『クリムゾン・キングの宮殿』。冒頭を飾る“21世紀の精神異常者”。シェイクスピアやウィリアム・ブレイクの詩世界に強く影響を受けたピート・シンフィールドが書いた詞には、まさに彼が21世紀の預言者であるかのように9.11や秋葉原通り魔事件を否が応でも想起させる、怖いくらい鋭く未来を読み取った言葉たちが刻み込まれている。無限の高さから世界を俯瞰し、その有り様に苦悶するかのように「死の種。無知なる者の強欲。詩人は飢え、子どもたちは血を流す。だが欲しいものはなにひとつ得られない。21世紀の精神異常者」と歌うグレッグ・レイク。それはまるで21世紀というニュー・ミレニアムを未だに明るい希望で塗り替えることのできない僕たちのことを歌っているようではないか。かの有名な「混乱こそ我が墓碑銘」という一節の歌われた名曲“エピタフ”も収録されているが、そこでは未来への圧倒的な絶望感が歌われている。愛と平和を誓う理想主義の最たるものであるロックの甘ったるい幻想を打ち砕き、そこに残された瓦礫の上で立ち尽くす絶望をそのまま未来へと投げつけた、ロックそのもののパラダイムシフトが行われたまさにその瞬間である。そして、それが大々的に受け入れられたのだ。本作発表から40年という月日が経とうとしているが、ここに書き連ねられた言葉たちは現実の未来から乖離していくどころかますます真実味を増して僕たちに重くのしかかろうとしているような印象がある。未だにこの恐怖を共有できてしまう時点で、僕たちはすでに彼らの歌うところの21世紀の精神異常者であり、敗北者なのだ。

作者:幸大(こうだい)

更新日:2008年12月3日 12時25分

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マジック・ウィズアウト

うさぎ
08年振り返り中。
ライトスピード・チャンピオンが各誌でどれくらいの順位に割り込むかが気になる。
ひと目見ただけでもわかるとおり、相当にアクの強い作品。
個人的にはかなりのツボだったが。

ウサギを抱えてるつながりということで、YUKIの『長い夢』と一緒に。
性別も肌の色も作風も全然違うが、
見れば見るほどこの二人は似てる。
コンプレックスのかたまりじゃないか。
青赤黒の色だけは一緒だ。

今日のCDレヴューはライトスピード・チャンピオンこと
デヴォンテ・ハインズが在籍していたバンドのアルバム。
早すぎた伝説、テスト・アイシクルズ。

For Screening Purposes Only
/ Test Icicles

Test Icicles-For Screening Purposes Only
紀元前の神話
 「三回ショウを開いたら解散する」というメンバー同士の口約束から04年に始まったバンド、それがテスト・アイシクルズだ。熱烈な支持を受け実際には三回以上ショウを開いているが、まるで置き土産だとでも言うかのようにこのたった一枚のオリジナル・アルバムを残して06年には早々と解散してしまった。それぞれが非常に多彩な音楽的バックグラウンドを持つローリー、サム、デヴの三人組から成るテスト・アイシクルズのサウンドを一言で説明するのは難しい。スレイヤーやらビースティーズやらブロック・パーティーやら時にはバステッドの名前まで引き合いに出されるバンド・サウンドと言えばその尋常じゃないカオティックぶりがわかっていただけるだろうか。一寸先も予測不能なジェットコースター・エンジン搭載で四方八方に眩いプラスチック光線を撒き散らしながら光年を一瞬で駆け抜ける圧倒的なスピード・オブ・サウンド。そう、僕たちはこれを後に「ニュー・レイヴ」と呼ぶことになる。この無形のカオスを「ニュー・レイヴ」として正式に定義し有史のものとしたのがクラクソンズだったわけだが、そもそもの走りはテスト・アイシクルズだったことがこのアルバムを聴けば一発でわかる。自分たちの聴いてきたすべての音楽を片っ端からぶち込んで作られたという本作はしかし、ただの趣味のごった煮アルバムではない。その根底には「面白いものはどっからだって出てくる」という後のニュー・レイヴ思想(ハドーケン!なんて特にそう)の原型を形作ったロックの正しさと本当の自由がある。デヴは今年ライトスピード・チャンピオンとしてソロで新作を発表したが、そこで彼が柔らかいフォーク・ソングに乗せて童貞喪失なんて歌っていたのもその思想があってのことだろう。刹那にすべてを詰め込み大輪の花火のように散ったテスト・アイシクルズ。ニュー・レイヴが憧れた理想郷はその有史以前にあった。

作者:幸大(こうだい)

更新日:2008年12月2日 13時12分

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深読み

オウテカ
『真夜中のピアニスト』という映画のレヴューを書こうと思って色々考えていた。
我が家に何か極端なエレクトロ・ミュージックはないか、
と思い立って、オウテカを聴いている。
オウテカが映画の中で使われていたわけではない。
主人公の男が、エレクトロ・ミュージックを好んで聴いていただけだ。

微細な粒子が無機質に積み上げられたエレクトロニカという構築美。
それは、無機質だからこそ、そこが完璧であればあるほど、
人間的な感情の迷いや綻びを排除する音楽だ。
ある意味でそれは「完全なフォルム」と呼ぶことができる。

主人公の男はブロック・パーティーを聴いていた。
ブロック・パーティーは、厳しすぎるほど自己を省みるバンドだ。
彼らの音楽はだからこそ不完全な自分たちへの批評性と
完全を目指す強い創作意欲に溢れている。
ブロック・パーティーの音楽は、完全と不完全の相対。
今年発表された彼らの最新作は、エレクトロニカの要素を強く取り入れた作品だった。

真夜中のピアニスト
真夜中のピアニスト
ピアニストはピアノを超越できない
 主人公は不動産ブローカーを生業としたひとりの男。ネズミを放したり水や電気を止めたり時には暴力に訴えて物件を獲得する相当あくどい男だが、意外にもピアニストになるというロマンチックな夢を完全には諦められずにいた。そんな男の、プロのピアニストになるためのオーディションへの道程とその後が描かれた本作『真夜中のピアニスト』。この物語の中で行われる数々のコミュニケーション――同僚との共犯関係や仕事上の軋轢、同僚の妻との不倫、父親との不安定な繋がり、中国人女性と言葉が通じない中でのピアノ特訓――は、どれも一口に円滑とは認めがたいイビツなものばかりだ。いつだって齟齬をきたす日常生活。だからこそ男はピアノを前にした時だけは正直にならざるを得なかった。ピアノとだけは上手くコミュニケーションを取りたいとでも願うかのように、完全なフォルムの美しさを求めて男は鍵盤の上に指を走らせる。来たるオーディション当日、結局のところ不全に陥るピアノとのコミュニケーション。主人公の男を演じたフランス人俳優ロマン・デュリスがとても良い表情をしている。彼の見せる焦りや苛立ち、葛藤の表情が本作のムードをほとんど作っていると言っても良い。だがそれは同時に本作が描くコミュニケーション不全の明らかな表出でもある。殺された父親の死体を目の当たりにした時の彼の表情は迫真の一言に尽きる。父親の死の二年後、中国人女性のピアノ・コンサートに向かう途中で仇の男と偶然に出会い襲撃に成功するが、それが何の意味も果たさないことに彼は気付いてしまう。袋小路に迷い込む彼の心を癒すものは、最後の最後までピアノの美しい音色が持つ完全性だけだった。そう、不全によって失われたものはもう二度と戻らないのかもしれない。ピアノだってそうだ。一旦弾き逃してしまった音色を、始めに戻ってもう一度弾き直すことなどできやしない。ピアニストとは、これ以上何も失わないために、常にピアノという「完全」を必死に追い続ける「不完全」のことを言うのかもしれない。

作者:幸大(こうだい)

更新日:2008年12月1日 17時34分

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チューズ・ライフ

トレスポポスト
後輩がもうすぐ誕生日だから、
サークルの仲間で誕生日プレゼントを買いに行った。
ついでに買った『トレインスポッティング』のポストカード。
かっこいいなぁ、ユアン・マクレガー。
一緒に行ったやつに『プリズン・ブレイク』と間違われたけど。
憧れだ。

さてさて、またやるぞ、アルバム・オブ・ザ・イヤー。
08年ベスト・アルバム50を選ぶぞ。
そして50枚分レヴュー書くぞ。
というわけで、08年を振り返っています。
今、ブライアン・ウィルソンを聴いてる。
『ザット・ラッキー・オールド・サン』は、本当に今年の名盤だった。
だからとりあえずこれ。

SMiLE
/ Brian Wilson

Brian Wilson-Smile
呪縛は、解かれた
 今年発表された文句なしの傑作アルバム『ザット・ラッキー・オールド・サン』を聴いた後だからこそ言えることなのかもしれないが、ブライアン・ウィルソンにとって本作と改めて向き合うということは、それがたとえあの67年という狂気と破滅の時を残酷なほどに想起させるものだったとしても、それでもポジティヴな行為だったんだと思う。というか、37年間という人生の半分以上を費やして、ようやくそれをポジティヴに受け入れることができたんだと思う。ここから自分が前に進めるということに、彼は初めて気付けたんだと思う。
 66年に全米一位を獲得した“グッド・ヴァイブレーション”を皮切りに制作が開始された『スマイル』。メンバーや制作関係者からは槍玉に挙げられ、当時の革新的な録音技術を必要としたレコーディング作業は暗礁に乗り上げ、ビートルズの『サージェント・ペパーズ』を聴いたブライアン・ウィルソンは『スマイル』制作を打ち切り、ついには正気の人間でいることを止めた。多くのブートが作られ無数の断片だけが世に散らばり、それでも新しい世紀を超えるまで完成という日の目を見ることのなかった本作にまつわるサイド・ストーリーは生々しく、それは彼にとって永遠に忌々しい記憶として残っているはずだ。しかし、99年に復活して以来、第二の人生と呼ぶには余りにも鮮やかなほど凄まじいペースで作品を発表し、ついにはこの『スマイル』を完全にフィニッシュさせてしまったブライアン・ウィルソン。37年間という眩暈の起きそうな長い月日はもう二度と取り戻せないからこそ、このアルバムは彼と過去を足枷のように重く結び付けていた。彼が初めて本当にポジティヴになれた時、それはここからの未来さえも引き寄せたということだろう。ブライアン・ウィルソンの過去と未来を繋ぐ『スマイル』という運命――。それはもはや「呪縛」ではない。

作者:幸大(こうだい)

更新日:2008年11月30日 23時25分

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今日の一冊

カテゴリーに「本」なんていうのがあるからビックリした。
いったいいつ作ったんだろう。
そんなに昔じゃないと思うけど思い出せない。
久しぶりに使ってみようと思う。
今日は午前中に授業があったのだけど、
寝るかこの本読むかで全然話聞いてなかった。

ショートショートの広場①
/ 星新一・編 

ショートショートの広場1
魔法使い、広場に大集合
 講談社が一般から作品を募集し、ショートショートの神様・星新一がその中から優れた作品を選出する催しとして79年に始められた「星新一ショートショート・コンテスト」。星新一の死後には作家・阿刀田高が審査員役を引き継ぎ現在も続けられているこのコンテストの、開始当初から83年までの優秀作品全58編が収められたシリーズ第一巻である。
 ショートショートならではの1ページできちんとオチる驚きの作品、長編小説のような深い世界観に浸れる作品、非科学的な空想アイディアに溢れた作品、生活の身近な一場面にしみじみできる作品など、単にショートショートと言えどもそのバラエティの豊富さは果てしない。ショートショートという短編小説よりも更に短く限られた場所にも「ジャンル」と呼べる歴然たるものがあることがわかる(星新一はひとまず大きく「技巧派」と「ムード派」に分けている)。それぞれの作者の豊かな想像力に圧倒され続け興奮しっぱなしで最後まで一気に読み尽くせる一冊だ。
 最後には星新一によるそれぞれの作品に対する軽い選評も収められているのだが、これが面白い。ひとつの作品につき数行の短いコメントのようなものだが、それが時に星新一の譲れない理想論になっている。そこで彼が強く主張していることとは、要約するならつまり「ショートショートに限界はない」ということだ。そんなショートショートの神様によって選定された本作は、当然のようにそういう一冊になっている。不可能を可能に変える魔法としてのショートショート。そこには限界も制約もない。

作者:幸大(こうだい)

更新日:2008年11月29日 15時2分

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